4 交わった邂逅
「よっ!久しぶり!」
「これはっ延麒!よく来てくれました!」
蓬山公のいない静かな蓬山への久しぶりの来訪者に出迎えた女仙たちは喜ぶ。
手を挙げて挨拶をしてきた延麒に、禎衛は特に嬉しそうに返した。
今や350年を超える大王朝になった雁の麒麟は胎果の生まれであり、4年の歳月を蓬莱で過ごした後に蓬山へと連れ戻された。
ちょうどその頃、昇仙したばかりだった新参者の禎衛が初めて目にした麒麟が延麒である。故に、特に思い入れが強い。
蓬山の宮の1つ、海桐宮(かいどうきゅう)へ招かれた延麒は宮内の様子に首を傾げる。
「すぐに使えるようにしてあるんだな」
「はい、香蘭が毎日欠かさず整えていますから。徇麟が戻られた際にいつでも使えるようにと…かれこれ15年になりますわ」
「そっか…」
禎衛の呟きに延麒も気まずそうにする。
実の所、延麒が蓬山に立ち寄ったのも件の話である。
胎果の麒麟の特権…と主張しつつ、しばしば蓬莱へ遊び(散策)に赴くことが多い。
専ら今の目的は、蓬莱に流されてしまった徇果の行方だった。
「して、今回はどうでした?」
「実はさ、一瞬だけ麒麟の気配を感じた時があった…。でもすぐ近くで大きな戦があってよ、気配を見失っちまったんだ」
「まぁ!延麒!無茶をなさらないで下さいませ!!…となりますとっ徇麟は」
「間違いなく生きてはいるさ。ただ、今の蓬莱じゃ見つけるのは難しい…あそこはまた争いが激しくなってるから」
ここ200年くらいは江戸幕府とやらが長い統治を行っていて平和だったが、その平和も急激に崩れ再び動乱の時代となっている。
延麒も詳しい事情は分からない、度々あちらへ渡る度、民の間で囁かれる話を耳に入れるくらいが精一杯だ。
以前の平和な時代ならばともかく、血なまぐさい騒動が各地で起こる蓬莱で、清浄な麒麟の気だけを探すことなど不可能に近い。
俯いてしまった禎衛に、頬をかきながらも「また探しに行くからよ」と声をかける。
しばしば居た堪れない空気が漂うも、やがて顔を上げた禎衛が話題を変えるように話し出した。
「探すと言えば、もう1人おりました…延麒は劉麒にお会いしましたか」
「劉麒?あ、あ〜…いや、ここ最近は全く」
徇麟の心配とは打って変わって、今度は冷や汗で頬をかく延麒に禎衛が深々と溜息をついた。
「まったくあの麒麟は…いきなり蓬山を飛び出したと思いましたら、下界で民と混じって暮らしだすなんて前代未聞です」
「ん〜だよなぁ〜…俺も変わってるって言われるけど」
「延麒以上です!」
怒りの声を上げる禎衛に否定もできない延麒は乾いた笑いを漏らすしかない。
思えば初めて出会ったのはちょうど3年前だ…雁国内で麒麟の気配がする、それも首都で民に混じっているのだから驚愕したものだ。
気配を辿ってたどり着いた先が、まさかの妓楼にある賭博処。
「アレは驚いたわ…尚隆と肩組んで高笑いしてんだもんな…おれ、思わず二度見しちまった」
「劉麒っっ…!!!」
どこの国に他国の妓楼、しかも賭博で他王と遊びに興じる他国の麒麟がいると思うだろうか。
遠い目で頬杖しながらハハと苦笑をもらす延麒の横で禎衛が憤慨していた。
ちょうど3年前、蓬山を訪れた際にその話をしたら女仙たちが激昂して蓬蘆宮中に怒りの声が響き渡ったのを今も覚えている。
渦中の柳の麒麟だが、今では十二国のどこを探しても姿をぱったり見聞きしなくなった。
「多分、あいつ蓬莱か崑崙に行ってんじゃねェかな…尚隆が胎果だって話したら途端に各国放浪すんの見なくなったし」
「はぁ…よもや劉麒まで異界へ…玄君は天の御心のままにとお笑いになられるだけで」
「え、天のお墨付きなの?あいつの放浪癖」
えーと間延びした声で驚く延麒だが、おかげで納得してしまった。
蓬山が躍起になって劉麒の行方を追わない理由、女仙たちが劉麒を心配しない様子…実は自然に任せているらしい。
「ともかく、おれは雁に戻るや。そろそろ王宮に戻んねーと官がうるさいから」
「普通は王宮にいるものですっ!」
咎める声も何のその、聞き流しながら立ち上がり、海桐宮から見える見晴の良い眺めの先を見た。
切り立った岩山に囲まれた先、遠目だが1本の木とその幹に顔を寄せて座り込んでいる姿を見つけた。
この蓬山で蓬蘆宮の中央に位置する重要な木は1つしかない―麒麟の実る捨身木だ。
「あれって」
「ええ、華鏡…徇麟の女怪です。黄海を放浪して疲れてはああやって捨身木に身を寄せています」
「そっか…」
痛ましい、と呟く禎衛に延麒も頷き返すだけだった。
―わしらでこの国を変えるぜよ!世界にも負けない強い国に生まれ変わらせるんじゃ!
―薩長同盟?
―大政奉還がっ幕府がお上に政権を返上された!!王政復古だ!
―会津藩と真選組が攘夷志士と激突したとな
時は目まぐるしく流れていく…国情も諸外国に囲まれて激変していった。
最初は幕府に投獄された師を取り戻すため…己の立場を捨てて攘夷志士として戦に身を投じた。
渦中の最中にいれば、救い出す機会も幕府の動向も直に仕入れることができるから。
村塾で培った知識と養われた姿勢で、志士を募り人脈を広げ様々な組織と接触した。
―鬼兵隊!俺に続けェェ!!他軍に遅れをとるんじゃねェ!
―米国、英国、清国…どこでも構わぬ。兵法は学び、策は張るものだぞ?
―今は戦ばっかじゃが、わしは世界をまたにかけてデッカイ商売をするのが夢なんじゃ!
―論本、教本、語学本…何でも持ってこい。全部読み込む、活かせるものは習ってなんぼだろ?
才の高杉、策の桂、商の坂本、識の名前―4人併せると武の攘夷志士。
いつの間にか過激な尊王攘夷思想すら取り込んで、諸外国の外務官すら唸らせる「時の人」となっていた。
一時でも外国へ足を運び、先進の技術と思想を知った。
諸藩と交渉し、志士をまとめ上げ、民に触れ回ることで各地の暮らしを感じた。
気がつく頃には、この国の未来を担う期待と命運を感じ入る程に時代の流れに飲まれていたのだ。
ついに夢の薩長同盟すら実現させ、大政奉還を行わせ、幕府を追い詰める。
―おのれっ!吉田 松陽の弟子どもめ!!忌々しい!!!
徳川の分家や親幕派が激昂するのも無理は無い。
安政の大獄で捕えらがらも、命を奪うことを躊躇させる程に松陽の評判は高く。
長年の投獄で保留されていた身に、皮肉にも怒りの矛先が向けられた。
―坂本が…近江屋で…!…見廻組がっっ!!
―吉田 松陽の斬首が決まったらしいぞ
小さな綻びに、大きな亀裂が入ったように。
今や芯を作った者たちがおらずとも、後の新政権派と呼ばれる流れは止まらない。
きっかけは坂本の暗殺事件…師の斬首の報を受けて、3人は再び全てに背を向けて走った。
―3人共、随分と久しぶりです…すっかり大きくなりましたね
―せんせっ…先生!早く逃げないと!!
―名前!ここは俺とヅラで食い止めるっ!てめェは先生を守れ!!
―行くのだ!幕軍が、もう時間が
護送されていた隙をついて混戦に持ち込み、縛られていた松陽と再会した。
罠だった、全てはおびき寄せるための餌。餌ごと獲物をいぶり殺すための。
圧倒的な幕軍の手勢にたちまち捕えられ、地に抑えつられる中で松陽は悲しそうに微笑んだ。
―私の事をどうこうしようと構いません。私が目障りなら何でも受け入れましょう。ですが…剣を私の教え子達に向けるのならば、私は本当に国家くらい転覆してみせますよ
―!!!
―さあ、彼らに志を教えたのは元々私です。全ての始まりはココというわけだ。討幕の元凶…吉田 松陽が首、取る覚悟も無いか?
―せん、せい…
いきり立つ多勢が一斉に刀を振り上げて駆けていく中で、縛りを解かれていた松陽が静かに抜刀する。
闇の中、地に縛りつけられ成すすべも無くなっていた3人に横顔だけ振り返る。
フワリと優しく笑う顔は、3人が幼い頃から知るものであった。
刀が振り上げられ、闇夜の激戦の中、走り出した松陽は背に幕軍を伴って闇へ消えた。
「「松陽先生ェェェ!!!」」
名前と高杉の悲鳴にも似た叫びが木霊し、桂が残りの幕軍を蹴散らして2人を助け出した。
翌日、1人の罪人の首が晒された。
人里離れた山中で雪が積もり始めている。
山の麓にかろうじて存在する道が1つ―それも久しく人が通っていないために獣道と化している―。
荒れた道を取り囲むように木々が鬱蒼と生い茂り、チラチラと降り始める初雪の色に染まっていく。
ふぅと苦しげに吐き出された白い息は寒さからではないと、名前は思った。
何を考えて、見て、歩いてきたか覚えていない。ここがどこかも興味はない。
全てがもはやどうでも良かった…何も考えたくないと再び瞳を閉じた。
(どうせ全て失ったのだ、私にできる事など何も無かった)
ボロボロになった戦装束にこびりついて血は、途中で渡った川で不完全に洗い流されていた。
寒いと頭では感じないのに、身体がガタガタと震え出して感覚を訴える、
閉じた瞳を開けようとは思わなかった、体力が限界である以前に気力が限界を迎えている。
「…どうして、私は生き、て、いるん、だろ…」
もう、誰も必要としないのに。
飲み込むように呟かれた言葉と同時に、サラリと髪に触れた暖かな感触があった。
「必要だぜ」
低く紡がれた声は、自棄に対して切ないような皮肉な笑いを含んでいて。
一瞬、聞こえた声が夢かと思うも、頭にゆっくりと触れるのが無骨な手だと分かる。
ゆっくりと目を開ければ、口端を上げて笑んでいる男がいた。
曇天の空から降り注ぐ粉雪を反射させて煌めく白銀の髪に目がいき、思わず口にした。
「綺麗…」
喉を慣らせた男が、細い瞳を僅かに大きくさせて驚きを告げる。
すぐにやる気のない目に戻ると、再び皮肉笑いを浮かべて名前の身体を抱え上げた。
「やっと見つけたんだ、絶対くたばんじゃねーぞ」
「見つ、ける?…人違い、だろ…。もう、私は…何、も」
男が立ち上がる、腕の中で名前は呻くように嘆くのを叱咤するように叫んだ。
「お前だ!お前以外いねェ!いねェんだよコノヤロー」
「ッ!!」
「俺ァお前を必要としてんだ、ずっと前からな」
歩き出した男の目に初めて視線を向けた、どこまでも優しい嬉しそうな色を宿した紅色。
かつて向けてもらった師の微笑みと仲間たちの笑い声を思い出して、涙が伝った。
鋭い何かが融解していくように、静寂な面持ちで意識を飛ばした名前を男は見下ろす。
あちこち擦り切れてボロボロな戦装束、かすかだが血の匂いも混じっている。
―劉麒
己の影から聞こえた呼び声に劉麒は抱く力を強めた。
「んだよ、取り込み中だって見て分かんねーのかっ空気読め空気っ!」
―麒麟の気配が
「え」
燈豊の声が有無を言わさず発せられ、間抜けな返事を出してしまった。
促されるままに遁甲する使令たちが騒ぐ後ろへと振り向けば、幹の後ろで光が揺らめく。
すっかり意中の人物を見つけた喜びで周囲への警戒を忘れていて気がつけなかった。
あの淡い暖かな光の気配は―同類だけ持つソレだと知っている。
もう1度、「え〜…」と声を漏らすと、視線が集中した事に分かったらしい気配が派手にびくつく。
恐る恐る木の後ろから顔だけを覗かせた目と合った。
―あれは、舜の
爺湖の目にはその光の気配が、かつて枝から切り離された小さな金色の果実にも見えた。
怯えた表情でこちらを伺う小さな影に、引きつり笑いをしつつ劉麒は片手で手を振った。
「よぉ〜…初めましての前にとりあえず、助けてくんね?」
「ッ…白もじゃがしゃべっ…!!」
―白もじゃ
ククッと燈豊が喉を慣らせて笑う気配に青筋を立てながらも、劉麒は極力人好きする笑みを浮かべる。
「俺はともかく、こいつを助けてェんだ。頼むぜ、お嬢ちゃん」
「…!」
戸惑うように片手を口元にあてていた少女は、劉麒の腕の中にいる名前を見て目を見開いた。
先ほどとは打って変わって、気の後ろから恐る恐るも急いで傍へ寄ってくる。
その頬へ手をあてて、「大変っ」と小さく叫んで立ち上がった。
「本寺へっ…案、内します!」
精一杯発せられた言葉に歩みを速めた。
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[mokuji]
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