- ナノ -




5 幻影の破片


(昨日は酷い目にあったよな〜…)

眠たそうにあくびをして、窓から見える校庭を見つめる。
18年で生涯を終えるところだった。
というか人形に絞殺されるところだった。
そんなワケで結局徹ゲーしていたせいもあり、ばっちり寝不足だ。

「…蒼、どうしてるかな」

家で、一人で留守番をしている蒼星石を自然と考える。
またあの鏡から昨日の水銀燈とかいう人形に襲われていないか心配だった。
そう言えば、あの時無我夢中で契約をしてしまった。
今も指にしっかりとはまっている薔薇の指輪を見つめる。
その時、名前の視界に黒い影がよぎった。

「…?…!?ぐほっっ!?」

バコッと鈍い音が鳴って、授業中のクラスメイトの視線が一斉に集中する。
その先には、顔に分厚い辞典をめり込ませた名前。
教室に静かな静寂が訪れた。

「授業中にうわの空&あくびとは良い度胸だなぁ?苗字」
「…テヘッ?」

死ね。という言葉にならなかった言葉を言った先生の額に青筋が浮かんだ。
苗字名前。昨日に続いて連続で生死の境をさまようこと決定。
そうしていつもの学校生活が過ぎていった。

「桜田!」
「は…はい…?」

授業が終了した放課後、部活へ向かおうとしていた桜田のりは呼ばれて振り返った。
そこには一枚のプリントを持った担任の姿。

「悪いな。お前に渡すはずだった委員会のプリントを間違えて3年の苗字に渡してしまったんだ…」
「えぇ!?」
「俺が代えに行きたい所なんだが、どうしても外せない用事があってな。苗字にお前の家に行くように電話で伝えたよ。だからこれ、苗字のプリントだ。ヨロシクな」
「ええぇ!??」

じゃあな。頼んだぞ!
爽やか笑顔で、呆然としているのりにプリントを渡して去っていく担任。
のりの返答も聞かず去っていく担任。
のりは、ただプリントを持って「えええーー!?」というしかないのだった。


「苗字くん、最近は随分調子が良いみたいだね」
「ええ、薬を飲む回数も減ってきました」
「それは良かった。この分ならもうすぐ記憶も戻るかもしれないね」
「はい」

病院の一室。名前は主治医と向き合って話をしていた。
主治医の笑顔とは異なり、名前はただ笑みを浮かべるだけ。
病院。最も苦手で最も嫌いな場所。

「失礼しました」

主治医に一言言って、診察室を出る。
途中ですれ違う看護士の視線を感じながら廊下を出た。外の空気が、周りを包む。

「…はあ…緊張した。やっぱ病院は苦手だ」

苦笑いしながら、病院を見上げる。
その時、ちょうど上の窓からこちらを見ていたらしい少女と目が合った。
少女の姿を認識する間もなく、少女は顔を引っ込めてしまった。

「?」

首をかしげて、そのまま帰路につく。
今は病院のことなど忘れてしまおう。
問題なんて考えなくていい。
家には蒼星石が待っている。
その方がよっぽど大事で、大切なことだ。

今は。



「ねえ…見た?水銀燈」
「………ええ」

病院の下。歩き去っていく名前の後ろ姿を見つめて柿崎めぐは嬉しそうに笑った。
そんなめぐとは逆に、少し離れた場所で不機嫌そうに答える水銀燈。
めぐは未だ見える名前を見つめていた。

「……あのニンゲン?」
「そう!王子様」

水銀燈はまた顔をしかめた。

「あ、今何言ってんの?とか思ったでしょ。ホントなんだから。でも、私にとっては、だけどね」
「……」

めぐは既に誰もいなくなった病院の門を切なそうに見ていた。
水銀燈はそっぽを向いてめぐを見ない。
しかし耳はしっかり傾けられていた。

「あの人…名前知らないの。だから、王子様!って呼んでるの。ただ一度だけ同じ病室になったことあるのよ…?すごい大ケガして運ばれてきたの。その時のこと今でも思い出す…」

めぐの髪が風で流れる。

「誰も彼に近づけなかったの。彼が近づけさせなかったっていうのが正しいんだけど。すごかったよ…怖かった。何度も先生たちが鎮静剤打ちにきてた…。でも」
「…でも?」

区切っためぐに水銀燈は不審そうに目を向けた。言葉とは対照的に少し微笑むめぐ。

「…私、あの人に会えてからちょっとだけ生きるのが楽しくなったの!ただ、それだけ。今は、こうやってあの人の姿を見るのが楽しみなの」

ほんの間。めぐが何か“あったコト”を濁したのが分かった。恐らくあのニンゲンと何かあったのだろう。語りたいと思わないくらい、大切な思い出が。

「同じ病室にいたのもほんの数日間だけ。すぐに他の病室に移っちゃった。彼、すごかったから…。あれからずっと心配してたけど、元気になったみたいで嬉しい」

そうして語るのを止めて、笑うめぐから視線を外した。頭に過ぎる、あのニンゲン。
知っている。
つい昨日、殺そうとしたのだから。

(あのニンゲン…何かあるの?)

まさかめぐが知っているとは驚いたが。
それ以上にめぐが語る不可思議なあのニンゲンの過去。そして今でも思い出すあの時の目。恐怖を覚えるほどの目。

(蒼星石のマスター)

「…ふふっ」
「?どうしたの?水銀燈」

少し楽しくなってきた。
翼を揺らせて、水銀燈は静かな狂気の笑みをつくった。

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