- ナノ -




4 蒼の契約


「…蒼?」

何もない奇妙な空間で名前は冷や汗ダラダラだった。
覚えているのは鏡に吸い込まれたということだけ。
気がつけば、何もない世界に立っていた。

「一体何なんだよー!?ここはどこ!?私は誰っ!?…って定番過ぎる!!」

あーーー!と叫んで頭をかく。
本当に何がなんだが分からない。
混乱で思考がショートしそうな中、もう一度蒼星石を呼ぶ。

「蒼―!いないのかー!?」

(やっぱあの時引きずりこまれたのはオレだけだよな…?)

そう考えて安堵する。そんな自分に少し笑ってしまった。
まだ出会って1日しか経っていないのに、こんなにも存在が大きくなっている。
何故だか分からないがそれも悪くない。

すると、急に視界に何か見えた。

「…蝶?」
「おや?こんな所にまた迷子ですか?」
「!??」

急に聞こえた声にびっくりして後ろを見れば、そこにはウサギがいた。
しかしそれはただのウサギではなく、黒いタキシードを着た二本足で立つウサギ。
しばしば沈黙した。

「あー……つっこまないぞ。オレはもうつっこまない!」

動く人形がいて、鏡に吸い込まれるなんて貴重な体験して、この上変な空間にいるのだからもう何も驚かない。
それでも、やはり顔が引きつるのであった。
そんな様子にもお構いなしに、ウサギは横を飛んでいた蝶をその手にとまらせていた。
普通に名前を見つめて愉快そうにしゃべる。

「nのフィールドへようこそ、ドールマスター」
「!?ここってnのフィールドっていうのか?」

その言葉を聞いて鏡に吸い込まれる直前、蒼星石が同じことを言っていたのを思い出す。

「そう、ここは「待った!!」

話をしだそうとするウサギを制して、あー…と気まずそうにする。

「オレさ、難しいことダメなんだよ。その様子からしてこの世界って相当複雑そうだから。説明いらねー。不思議世界ってことで片付ける!」

ビシッと指を突きつけてウサギに言えばウサギはしばらく無言で、いきなり笑い出した。
蝶がその周りを飛ぶ。

「面白い…実に面白い。久々にトリビァルとは言えないですね」
「トリビア?よく分からねーんだけど、元の場所に帰る方法知らないか?」

そう聞けばウサギは笑うのをやめて、蝶をまた手へと導き、反対の手で空間を触った。
その触った場所が裂けて、光が見えた。

「ここから行けば近道ですよ、ドールマスター。ただ忘れ物をしたままでは帰れません」
「忘れ物?」

ウサギにお礼を言って、裂け目へと手をかけた瞬間、ウサギへと問い返す。
ウサギは忘れ物、ともう一度繰り返して見つめてきた。
その瞬間強い力で引っ張られ、裂け目へと引きずられる。

「貴方の、大切なドールをね」

(…!?…蒼…!?)

そこで一度視界は消えた。



「レンピカ。ここにもいない?」

nのフィールドのとある空間。狭間の域で、蒼星石はレンピカと共にいた。
レンピカに先ほどから名前を探させているのだが、見つからない。
鏡からnのフィールドへ引きずり込まれる時、見失ってしまった。

「…マスター」

何故然nのフィールドへの扉が開いたのか。
名前を探しながら考えていた。
しかし、その疑問も目の前に舞った一枚の羽によって解決した。

「…君か」
「ふふふ…お久しぶり、蒼星石」

水銀燈。
漆黒の羽を羽ばたかせ、薔薇乙女第1ドールはそこにいた。

「マスターをどこへやった」
「あら、怒ったのぉ?あんなニンゲン知らないわねぇ」

睨む蒼星石とは対称的に余裕そうに笑う水銀燈は傍にあった家に軽く腰掛けた。
今いる場所には、おもちゃの家が無造作に立っている。

「もう一度聞く。マスターをどこへやった」

持っていた庭師の鋏を水銀燈へと向ける。
その様子に水銀燈はまた高らかと笑った。

「随分と余裕がないのね。そんなにあのニンゲンが好きぃ?」
「君には関係ない」

抑揚のない声で答えても、水銀燈は蒼星石が十分堪えていることを知っていた。
このドールは本当にニンゲン好きだ。笑いが止まらない。

「そうね、私の願い聞いてくれたら教えてあげてもいいわ」
「……」

「貴女のローザミスティカ、ちょうだぁい!!」
「…!レンピカ!」

笑い、黒い羽が飛んでくる。蒼星石はレンピカを呼び、軽く跳躍した。
その隙を突いて、水銀燈が目の前に現れた。
一瞬、怯み、終わったと思ったその時、辺りを光が包んだ。

「「!?」」
「蒼―!」

光の裂け目から出てきたのは、見慣れた姿。
名前は目を見開いてこちらを見る二体のドールの一体に目を向けて叫ぶ。

「何故…!あの場所から!!」

蒼星石から離れて距離をとり、声を上げる水銀燈に、名前は睨みを利かせた。

「ウサギが道を教えてくれてな。それよりお前!お前だな!?オレを鏡に引き込んだのは!」

水銀燈の姿。鏡に引き込まれるとき、光の中で見た笑い顔と声を忘れない。

「マスター!」
「蒼!大丈夫か!?あいつに酷いことされなかったか!?…って何てもん持ってんだよ!?」

自分の元へやって来て心配そうに見つめてくる蒼星石の大きな鋏に思わずつっこんでしまう。
そんな雰囲気を他所に、水銀燈は忌々しそうにこちらを睨んでいた。

「ラプラスの魔…あいつがそんなことをするなんて」
「?あいつラプラスの魔っていうのか?」
「それよりマスター!逃げないと、レンピカ!」

名前の手を取り、蒼星石はレンピカに扉を開けるよう命令する。
しかし、それにいち早く気づいた水銀燈の方が早かった。
黒い羽を矢のように飛ばして、強い突風を起こす。
急で受身を取れなかった二人は、正反対の方へ飛ばされた。

「ニンゲン!お前から殺してやる!!」
「げっ!」

羽が一斉にこちらへ向かって飛んでくる。
それを後ろへ飛んで避けた。

「マスター!」
「蒼!!」

蒼星石の声に振り向けば、蒼星石の手から投げられた、光る小さな物。
反射的にそれをキャッチしてみれば、それは小さな薔薇の指輪だった。

「それをはめて口づけて!」

手の中で光る指輪を見つめて少し呆然としていれば、水銀燈が叫ぶ。

「契約はさせないわよぉ!」

契約?
名前の頭を鋭く過ぎったその言葉。
指輪を握り締めて、叫んだ。

「できない!オレは!!」
「死ね!!」

ためらったその時に水銀燈は突進してきて、名前の首を絞め、壁にたたきつけた。
首を絞められたまま呻く。

「マスター!!」

蒼星石の悲鳴にも似た声が聞こえた。

「バカなニンゲン。このまま絞め殺してやるわぁ?」
「っ…」

必死でこちらへ向かってこようとする蒼星石は、黒い羽の群れに邪魔されてやって来られない。
必死で叫ぶ蒼星石の姿が、霞んで見えた。

「マスター!指輪を!契約を!」
「…でき…な…オレは…お前を…」

お前に、とって、重要なコトを。
それを、壊したくない。
失いたくない。

(なにを?)

頭を過ぎる、誰かの笑み。顔が見えない、誰かの。
霞む目の前は水銀燈の狂喜の笑みだけなはずなのに。

「…ヒ…カリ…?」
「?」

小さく紡がれた言葉に、水銀燈は一瞬だけ怯む。
目の前の、あまりにも自分を見つめる、その瞳の怖さに。

「僕は…!マスターを守りたい!!」

蒼星石の叫び。それを合図に名前の何かがはじけた。
水銀燈を突き飛ばし、指輪をはめて、そこへキスを落とす。

視界が、蒼で染まった。

「水銀燈ぉお!」
「なっ…しまった…!」

じゃきんと。何かが切られる音を頼りに、目だけを向ければ、
蒼く輝く鋏で水銀燈の服を刻み付けた蒼星石の姿が見えた。

(…蒼……)

「…今日のところは引き上げてあげるわ」
「逃がすと思うのか」

鋏を構えて、威嚇すれば、水銀燈は笑って言った。

「貴女の大好きなマスターが限界ではなくて?」
「…!…マスター!」
「じぁあね、また遊びましょぉ?」

残ったのは、水銀燈の笑いと疲れきって倒れている名前。
名前に飛び寄る蒼星石。

「勝った…の…か?」
「そうだよ、マスター…ありがとう」

そうかと言って、疲れ笑いをする名前の指の薔薇が蒼く輝いた。

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