- ナノ -




2 異世界の海賊たち


焼ける、燃える、大好きだった水の広場が。
海を眺められる高台が。暖かかった家が。
殺される、血が飛び散る、大切な人たちの悲痛な叫びが。

化け物を捕らえろ、逆らう者は殺せ。

陸の民の声がする。
その姿、声、動作を見るたびに息が詰まりそうな恐怖に襲われた。
いや、来ないで。いや。

思考を支配する恐怖に、意識は浮上した。



最初に見たのは木の天井だった。
ぼやけていた視界の焦点が合い、痛む体に意識が一気に覚醒して飛び起きた。
そして自分の手に温もりを感じてそちらを見る。そこで既に恐怖は再発していた。
自分の手を掴み、自分が寝かされていたベッドに頭を置く形で寝ている人間。
燃えるような赤いその髪が、自分とは違う民族であることを証明していた。

こいつは、陸の民だ

「っ…いや…」

男から手を離し、恐怖で震えて壁の置くまで逃げる。
そして周囲を見渡すことと揺れる振動にここが船の上だということを理解した。
目に入った扉にこの陸の民が起きる前に逃げなければと体を動かそうとして気がついた。
その手に巻かれている包帯に。

手当てをされていた?自分が?名前は驚きの事実に眠る陸の民へ改めて視線をやる。
寝ている、そのままの体勢で。体勢どんな体勢だった…?自分の手を掴んでくれていた。
寝ている間の暖かな温もりを思い出して逃げようとする体を止めた。
この陸の民が自分を助けてくれて看病してくれていたのだ。信じられないが、包帯と傍の洗面器や布が証だ。
嘘だと思いたかったが事実はすんなりと名前の中に落ち、戸惑いで逃げることが出来なかった。

「うそ…どうして、なんで陸の民なんかが」
「んあ〜…?よく寝…」
「!!」

名前の呟きに起きた男は寝ぼけながら頭をかき、目が合って派手に怯えて後ろへ下がった名前を見た。
そして気がついたのか、と叫んで嬉しそうに手を伸ばしてくる。
それを反射的に名前は跳ね除けた。

「いやあっ!!」
「うぉ!?悪い、そりゃびっくりするよな」
「どうしたんですかいお頭」

声と物音を聞いてもう一人煙草を吹かせた男が入ってくる。黒い髪、名前の怯えに拍車がかかった。
しかしもう一度自分の手に巻かれた包帯を見て思い出し、落ち着きを少しだけ取り戻す。
その様子の変わりように黒髪の男だけが観察するように見ていた。

「お前よくなって良かった、別に何もしねぇから安心しろ、な?」
「……」

名前の警戒は取れない、落ち着いてはいるが射抜く瞳で男を見ていた。
男は肩をすくめて言った。

「俺はシャンクス、この船の船長をやってる。で、こっちがベックマンだ。お前の名前は何ていうんだ?」
「……」

何も答えない、いや口を少し開いたので答えようとする意思はあるのだろう。
しかし酷く躊躇して、迷って視線を探るように左右に揺らせた後、小さく呟いた。

「…名前」
「そうか名前ってのか!」

名前を呼び笑顔を浮かべるシャンクスに名前は顔を伏せた後、再び顔を上げた。
今度はしっかりとシャンクスとベックマンを見ていた。体は相変わらず震えていたが。

「あなたたちが…助けてくれたの」
「ああ、いきなり波の柱の中に現れたもんだからびっくりしたがな、何事もなくて良かったさ」
「…目的はなに…」
「目的?」

その名前の言葉に繭を潜めたのはベックマンだった。
次の瞬間、糸が切れたのかもしれない、その年頃では考えられないほどの怒りと憎悪の瞳で睨みつけてきたのだ。

「陸の民が水の民をたすけるわけない!!」

まるで吐き捨てるように紡がれた陸の民という単語。
シャンクスは何のことだか分からず首を傾げた後、それって俺たちのことかと聞き返す。

「陸にすむニンゲン!!わたしたちをころそうとするっ…」

少女の尋常で無い言葉と気迫に少なからず圧倒される。
しかしハッと気がついたように名前は次に紡ごうとして声を押し殺すように口を噤んだ。
舞い降りる沈黙をシャンクスが破ろうとする前に再び話し出した。

「ごめんなさい…それでもあなたたちはわたしを助けてくれた。ごめんなさい…っ」

必死で吐き出した精一杯の感謝の言葉なのだと苦しそうな言い様に二人は感じ取った。
シャンクスが先に行動し、苦しげに顔を逸らして伏せたその頭をゆっくりと撫でた。
金色の柔らかい髪が心地よいと、不覚にも思ってしまったのは別の話だ。
びくりと、触れた瞬間に名前が体を揺らせた。

「俺たちは事情がさっぱり分からねぇ。嫌なら嫌で何も話さなくていいんだがな。もし良かったら俺たちに何があったか聞かせてくれないか?」

ゆっくりと顔を上げれば、どう対応していいか困ったようなシャンクスの顔。
それでも頭に触れている手は、ずっと痛みで苦しんでいた自分を看病してくれていた手だった。
涙腺が潤みそうに唇を噛み締めて堪える。
この人は…陸の民なのに…大嫌いな人間なのに、どうしてこうも暖かいのだろう。
体の震えがいつの間にか止まっていた。

「わたしは…水の民です…」

ゆっくりと語り出したその内容にシャンクスとベックマンは後に驚愕で目を見開き続けるしかなかった。

海の意思たる滄我の恩恵を受ける水生民族「水の民」と普通の人間である「陸の民」。
陸の民に迫害され捕らえられ殺され続けて、争いを続けてきた長い歴史。
陸の民に怒り荒れる海。燃やされた故郷と殺された仲間たちと両親。
自分が村の外で陸の民の少女を助けてしまったせいであったこと。
海に落ちて死のうと思っていたこと。

言葉を切った名前の水の民の衣装を見てベックマンは初めて気がついた。
その紋様が、海と波を表しているということを。
重い沈黙の中シャンクスが口を開く。

「だからお前は俺たちを怖がっていたのか?」
「わたしは、陸の民はこわい…でもあなたたちは助けてくれた。だからごめんなさい…わたし、どうしたら良いかもうわからない…」

言葉を途切れさせて仕舞いには泣き出してしまった名前をシャンクスはただ撫で続けてやるしかなかった。
先ほどの名前の言葉は信じられないことばかりだ。
世界を分ける二つの水の民と陸の民という区別など聞いたことがない。
ましてや海が意思を持つなど有り得ない、そんな疑問が頭を次々と掠める。

「とにかくもう泣くな、俺たちはお前を怖い目には合わせないし、そんなことはさせねぇ。な?だかな安心しろ。泣くな〜、頼む泣かないでくれ…!あー…っ、こういう場合はどーしたら良いんだよベックマン!!」
「生憎俺も小さい子の泣き止ませ方なんて知らないぜ」
「だぁー…どーすりゃいいんだよ!?」

長く海賊というものをやっているので、小さな女の子の泣き止ませ方など知らない。
大の大人2人で、先ほど聞いた話ですら困惑しているのに、一向に泣き止まない名前に心底途方に暮れていた。
慌ててどうにかしようとひたすら名前に話しかけることに奮闘するシャンクスを見ながらベックマンはそこで気がついた。

(お頭が触っても怖がらなくなってる…加えて、自分からお頭の服を掴むか)

大泣きする名前の手はしっかりとシャンクスの服を握って離さないでいる。
恐らく無意識なのだろう、先ほどはシャンクスが触れようとするだけでもあんなに怯えていたのに。
ひょっとすると、とベックマンは口の端を上げて笑い、じゃあ後は宜しく頼みますぜお頭、と去っていく。

「お、おいベックマン!俺一人にやらせる気かよ!?」
「子供はお頭の得意分野でしょうに、ルフィと同じようにすればいいじゃないですかい」
「ベックマン!!」

後に響くのはベックマンの返事ではなく部屋のドアが閉まる音だけ。
部屋を出たベックマンの耳に最後に届いたのはシャンクスの、「男と女じゃ違うだろーっ!」という叫びだった。



「…あー…、こうなるわけだよな、当然…」

部屋で泣き続けた名前をあやすこと1時間ほど。
シャンクスは今や完全に無防備な状態で自分の膝を枕に体を丸めて寝ている小さな少女を見やる。
この調子なら一日中泣いてしまうかもしれないと危惧していた名前はすっかり泣き疲れて眠ってしまっていた。
しかもばっちり自分を掴んで離さない。

「そんだけ怖い思いしたってことなんだよなぁ…」

綺麗な淡い金髪を撫でれば少しむず痒そうに身じろぎする名前にシャンクスは口元を緩めた。
傍から見れば、眠る少女を撫でてにやける親父である。
しばし無言の後、それに気がついたシャンクスは片手で顔を覆って少し自己嫌悪に陥ったとか何とか。

「あー、何やってんだ俺こんなガキ相手に、落ち着け落ち着くんだ…!!」

だが、眠る名前を見て暖かな気持ちと緩む顔は直らなかった。
はぁと深いため息をついた後、先ほど聞いた名前のとんでもない話を思い出す。

(この様子じゃあ嘘とも思えない…だが、この世界でそんな話聞いたこともないしな…)

海の意思の話はともかく水の民という民族が存在するならば、少なくとも世界政府が動くはずだ。
聞く限りだけでも分かることだが、魚人や人魚よりも遥かに貴重な“存在”として利用価値を見出されるだろう。
それこそ名前の話していた陸の民が水の民を捕らえていたという話のように。
しかしそんな話も噂もはたまた伝承さえ存在しない。

「ん…?この、世界で…?」

“この”世界なら、そんな自分が何気なく発した単語が気にかかり、そして絶句する。
もしかしたら、この少女は。
そんなことは通常有り得るはずがないが、論としては存在するし、まだ解明されていない未知の領域でなら有り得ることもある。
この世界とは別に無数の世界が存在するという、一種の平行世界にも似た話。

異世界。

シャンクスはここまで至った自分のあまりの馬鹿げた発想に失笑した。
自分の膝で眠る名前をそっと撫でてやる。

とにかく今はこの眠る姫様を安心させてやることだ。

先ほど浮かんだ考えがまさかその通りであることなど露知らず、ただ少女を守ってやりたいと思い始めている自分に、まだ気がつかない赤髪の船長だった。

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