3 絡み取る手
「なあ、お前の言う通り、世界に生きる人は愚かで浅ましいのじゃな」
―どうした、吾子よ
「醜く忌まわしい人間というもの、それでも、我は人間が好きだよ」
―吾子は人が好きか
「愚かで聡明、醜く美しい、儚く強い。そんな人間が、我は好きだ」
―我は吾子だけ居れば良い
フフフと笑い声を漏らした存在は、龍に吾子と呼ばれた幼子ではない。
既に数年が経過し、久々に京の地に足を踏み出した姿は既に人としては成長している。
幼子から少女へ、龍を連れ立った少女は小さく笑った。
簡素な青い着物が、少女が歩く度に羽衣と共に風に靡いて神秘的な雰囲気を作り出す。
やがて、少女は笑うのを止めて橋の前で立ち尽くした。
「我は異端だ。けれども、我は人であり、故に、人が好きなのだ」
少女の声に龍は答えなかった。この少女は異端という龍を持ちながらも、この世界で人で有りたいのだ。
それでも、世界は龍を宿す故に少女を拒絶し、人はそれを化け物や鬼と恐れ、迫害し、やがて命をも奪う。
少女は育っていく中で、そんな命の奪い合いも、逆に命の助け合いも痛いほど見てきた。
だから、少女は人が好きだと言う。龍が世界と人を嫌っていても。
「!・・、おや、噂をすれば人じゃ」
―吾子よ、もう行こう。この地は強き力を持つ人間も多い
龍の声と共に少女は纏っていた羽衣を小さく靡かせる。すると、橋の下を流れていた川の水が僅かに舞い上がる。
数滴の雫が少女を覆い包み、水の幕が出来上がって少女を隠した。
クスクスと笑う少女は、橋を通ろうとするものが牛車であることを知っていた。
年頃になり、言葉も知識も拙さを無くした少女の好奇心だけは変わらない。
例え、人や鬼が自分を受け入れてくれなくても、少女は二つの世界を見るのが好きだ。
少女の中で、龍が唸り声を上げる。不快なのか、いや、これは心配からだ。
龍は悪戯盛りの少女が心配でならない。龍という巨大な神の力を憑けたこの子は恐れを知らない。
人が与える痛みや苦しさは知っても自分たちより強い力を持つ人に出会ったことが無い。
自分を害する存在がいるという危機感の無さを、龍は常々案じていた。
今日も今日とて、橋を通り過ぎようとする牛車の中からは非常に強い霊力を感じる。
「あれには、どんな人間が乗っているのかな?我やお前よりも強い?」
―・・・・
「どうした、お前?」
―吾子よ、もう良いだろう。去ろう
少女は、いつもよりも緊張した面持ちの声の龍に首を傾げた。
こんな龍の気配は初めてだ、そんなに強い力を持つ人間があの牛車の乗っているのか。
もう少しだけ見てみたい、好奇心に負けた少女が無意識に足を踏み出してしまったのが悪かった。
「縛!」
「!?」
―吾子!!
理解した瞬間には、既に牛車から飛び出した鬼の形をした数珠に取り押さえられていた。
痛む体を必死で動かして逃げようとするが、数珠の力が緩むことは無く、少女を地に押さえつける。
少女は初めて怖いという感情でいっぱいになり、混乱して悲鳴を上げた。
―吾子!吾子!
「い、いやだ!離せ!!」
「法師様!いかが致しました!」
「こ、こやつは、かつて噂になった!」
牛車を引いていた供の者たちの駆けて来る声がする。二人のお供が少女を覗き込む。
今までこんなに間近で人間に接したことが無い少女は更に怯えて抵抗した。
それを、最初お供たちは驚いて見ていたが、少女が逃げられないと知ると髪を乱暴に掴み上げる。
寄せられた下種な笑いに、少女の中で龍が咆哮を上げた。
「ひぃ!!ば、化け物じゃ!」
「りゅ、龍が!!」
「やめよ、お前たち。・・・ほう?この童女か、以前騒がれておった龍の童女とは」
近寄ってきた存在に、少女は震えて顔を上げれば、やはり乱暴に髪を掴み上げられた。
痛みと恐怖で流れ出た涙の瞳に、自分の顔を上げた法師の男が映る。
交差する瞳と、少女の瞳の色を通して猛る龍が映っているはずなのに、男は動じない。
それ所か、狡猾な笑みを浮かべて心底嬉しそうに笑った。
「これは良い荒神だ。こんな童女に憑けておくには勿体無い程な」
「法師様!危のう御座います!」
「平気だ、数珠を通して童女の力を封じている。いくら強い神と言えど、依り代が封じられれば動けぬ」
やはり、神霊を操る力や術に長けている強い力を持つ陰陽師だ、と龍は歯軋りした。
龍は少女の魂に憑き、少女とある意味で一体の存在。現世で力を発揮する媒体である少女を封じられれば、力は出ない。
泣き叫ぶ少女を何かの札と紐で縛り上げて、抱え上げた男は笑った。
「今日は愉快だな。これであの憎き陰陽師にも負けることは無い」
「陰陽師、ですかな?何を仰ります!法師様のお力は今や京随一と評判ですぞ!」
「何じゃ、お主ら知らんのか。陰陽師共が迎え入れたという鬼童子を」
鬼童子、という単語にお供たちは息を飲んで身を強張らせた。
鬼の童子と称された子供が数年前、京を跋扈していたという噂を耳にしたことがある。
京で、龍の童女の噂が流れる前のことだ。鬼の化身とされて恐れられた童子がいると。
今よりも、もっと鬼が跋扈して力を持っていた時期だ。
何でも、狐憑きの女を祓った有名な法師までも鬼に食い殺されたという話も広がって恐怖を広めた。
「あの頃は、鬼の力が最も恐れられておったからな。強い力を持った童子が鬼の化身と噂をされたのよ。それも所詮は、霊力を持った童が孤児として彷徨っていただけの話だった。陰陽師共が引き取った童が、それよ」
「何と!鬼の童子は、ただの霊力を持った童であったと?」
「そうじゃ、だが、この童女は違う」
ニヤリと笑った法師は気絶してしまった少女を見た。
この少女自体に霊力は無い、この少女はただの子だ。だが、少女の魂が違う。
少女の魂に龍が憑いている、それもかなりの強い力を持った神と恐れられるほどの龍が。
龍が少女の魂に憑き、少女と同化することで少女は霊力を使えるのだ。
「この童女には、正真正銘の荒ぶる龍の神が憑いておる。人が宿す霊力などとは比べ物にならん程巨大な力が、な。故に、この童女は使えるのだ」
「法師様・・何を?」
「この童女から龍を引き剥がし、我が僕とすれば陰陽師など目ではないということだ」
法師の高笑いが響き、法師は牛車の中へと少女を放り込んだ。
意識の無い少女に抗う術は無い。息を飲んだお供たちが再び牛車を引き始める。
揺れる音と振動を感じながら、少女の中で怒り猛る龍の咆哮だけが少女の中で響いた。
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