35 献花に結ぶ印
ヒノト、と新しい名を与えられた少女は幼かった。
幼い、若すぎると言われた自分よりも更に。
それだけでも目に止まるのは十分だが、声を掛けられなかった理由は別にある。
打ちのめされたのだと思った。
泣きも怒りもしない静かさが語ったもの。
そういった感情を通り越して、失った、欠落したと伝える無感情。
させられた行為を考えれば自然な反応だと感じられたが、何分、ヒノトを見ていると何も紡げなかった。
(確かにツチノエさんが言った通りになったと思ったけど…)
“根”の育成の中に組み込まれている、感情を殺すための訓練があるという。
己は受けたことがなかったが、一部の子供たちは一組となって生活して苦楽を共にする。
絆が深まったと判断される頃合いで、互いに戦わせて殺し合わせるらしい。
その苦痛に耐え抜く精神を持ち合わせられて初めて、忍として認められるのだと。
ヒノトが体験した事は細かい違いはあれど、ほとんど同じ事だと思われた。
もっとも、『ヒノト』は初めから死を逃れられない身であったから、粛清を兼ねた仲間殺しといった所だろう。
考えるだけでも普通の精神なら正気ではいられないはずだ。
ヒノトの身の上を知らないが、少なくとも年相応で闇の似合わない子だと感じられたからこそ余計に。
けれども、これはどうしてだろう?と見下ろして困惑していた。
長い事、上の空だったと思えば、唐突に以前の調子を取り戻して行動する。
目を覚ましたかのような表情と、話していた少年に対して手を振る姿は以前よりも調子が確かになっているようにさえ見えた。
駆け出した後ろを追跡して辿り着いた場所は、何度見渡して変わらなかった。
「…花畑?」
思わず口にしてしまった戸惑いの呟き。
面越しに見下ろす近くから先まで広がっている開けた場所の一角に群生する野花。
人の手の加えられていないため、花と言っても華やかさはない。
目立たない自然さがある花を一輪一輪選んで丁寧に摘み取る姿がある。
ヒノトだと困惑が訝しみになって疑問符が溢れた。
(一体何のつもりだ?何がしたいんだ?)
近くにこんな場があったとは知らなかった。
それは自分だけではなく、他の“根”たちも同じだろう。
彼らの全ては任務であり、ダンゾウだけだ。
なのにこの少女は…と考えて、同時に、ずっと目が離せないでいるのも自覚した。
花を選んで向けられる瞳と横顔が真剣であったから。
そこに久しく見ない何かがある気がした。
(そうか…アレは、意思だ)
面で隠された瞳から見えるのは淀んだ無。
自分が暗部名を与えられた時も目にするには闇で当たり前なのだと感じていた。
だが、あのヒノトは違うと瞬いて呟く。
すると急に立ち上がったヒノトが手を止めて身を翻した。
「!」
「見てるなら一緒に摘みませんか!」
ごく自然に彷徨ったと思った視線は真っ直ぐこちらに止まる。
反応して汗を伝う間もなく、こちらを差し出すように手を伸ばして響く声。
しばらく黙していたままでいたが、パチクリと瞬いて向けられる視線は一向に外れない。
気づかれていた焦りが勝っていたが、迷った挙句に選択した行動は降り立つ事だった。
姿を現したのに対して、驚きはなく、むしろ嬉しそうに「やっぱり!」と反応される。
対して、冷静さを保ちつつ口を開いた。
「どうして分かったんですか」
「だって知ってるチャクラだったから、すぐ分かったよ。お兄さん、あの時、レンゲさんたちと一緒にいたでしょ?」
「…ボクを覚えていたんですか」
「ん!」
面で呆けた表情は隠されてるいるはずだが、伝わっているように明るい笑みと頷きが返される。
同じく頷きで肯定して、少し沈黙した後、その手元を見た。
「何故、花を摘んでいるんですか?そんな任務は受けていないでしょう」
「任務じゃないよ、私がしたくてしてるの。ダメ?」
「別に駄目では…」
「じゃあ一緒に摘んで!」
「えっ、ちょっと…」
そんな行為は“根”らしくないし、何よりダンゾウの怒りを受けるだろう。
と、思ったが口にできなかった言葉は言い淀みに終わって。
代わりに勝手に結論されて、胸元に摘まれた花を押し付けられて受け取ってしまう。
「待っ!」と言いかけたが、目の前には既に姿がなかった。
「!?、って早っ…あんな所に…待って下さい!」
動揺していた隙もあったが、動きが予想以上に素早くて反応できなかった。
声を上げて追いつつも、手元は捨てきれない花が納まったまま。
木々を飛び移って危うい位置にまで咲いている花を回収した身が反転して宙を移動する。
崖と幹から枝を滑るように移動する様から、チャクラの精密なコントロールが伝わった。
感知と精密な技術が優れていると分析しながら、あっという間に自身の手元にも集め終えてしまう。
ちょうど止まった横に降り立てば、やはり普通に振り返って首を傾げてきた。
「そういえば、お兄さんの名前は?」
「(分かってなかったのか…)ボクはキノエです。ダンゾウ様から命を受けたので、これから君はボクと行動する事になるんです。だからあんまり変な問題は起こさないで欲しいんですけど」
「?、ちゃんと訓練はしてるよ」
「いや、この行動です。花摘む必要なんてないでしょう。さっきから思ったけど本当に何を考えて…!?」
「必要ありますって!このためです」
「っな!?」
キノエの答えを聞いて、「よろしく!」と挨拶してくる奔放さ。
どこまでもペースを崩さない目の前の少女が自分より大分幼いと分かっていても、さすがに我慢がしきれず口調が強くなる。
しかし、こちらを見る様子は変わらずに、これまた唐突に手が伸ばされた。
そして花束を抱える片手で組まれる印に開きかけた口は閉じる羽目になる。
触れた手。流れるチャクラ。
刹那の身が浮く感覚と変わった周囲の環境。
「ココはッ…!?移動した!?」
「ん、だって飛雷神だから」
「飛雷神!?瞬身の術じゃないのか…!?」
「時空間忍術って、お父さんが言ってた」
「時空間って事は移動してきたって…ヒノト?どこへ行くんですか!」
反射的に全身で警戒して周囲を見渡してしまったが、術を発動した当人は思いつく単語で説明して終わり。
いきなりの術とその凄さを呑み込み切れないであるキノエを置いて、屈んでクナイを確認すると歩き出してしまった。
呼び止めるが、「こっち」と合図するだけで止まる雰囲気はない。
あっけらかんとした様子に、色々噴き出ていた疑問を一気に崩されたようで閉口のまま下を見た。
(術式が書かれたクナイ…コレが基点なのか)
独特の形をしているのは特注だろうかと推測できるクナイに刻まれている術式。
解読できなかったが、ソレが発動の元になっているのまでは分かった。
同じように触れつつも手を離して、歩いて行ってしまった背を追う。
開けた視界から見下ろせる場所に辿り着いて、ようやくそこがどこだか理解できた。
「……ココに繋がっていたのか」
切り立った高い崖下から少し離れた位置には、無数に盛り上がっている荒土が見える。
掘り起こし、そして埋めたのだと物語る土が無数に並んでいる場所。
周囲は奥深い森に囲まれて動物の気配さえ見えなかった。
呟いたキノエの隣で無言のまま見下ろしているヒノト…いや、名前は紡ぐ。
「用済みになったら、ほとんどはココに埋められるって聞いたから」
(用済み…)
更に崖ギリギリまで歩いて行って、落ちそうなくらいになる位置。
名前の言葉が、ココがどんな場所なのかも知っているのだと告げていた。
キノエ自身も知っている。過去、ココに何度か埋めに来た事さえあった。
何がとは言うまでもない、かつて仲間だったモノを。
モノと称するのは、その多くが亡骸や死体と綺麗な言い方ができないからだ。
人と分かる痕跡を辿れないように処理されたり、実験体に使われた成れの果てであったりする。
「“根”に名前は無い、感情は無い、過去は無い、未来は無い、有るには任務」
「…そうです」
たとえ死んだとしても、特異な力や痕跡を残すのを許されないのが忍の常だが。
“根”は更に歪で冷酷だ。
名前の語る内容は、疑問すら持たない当然の教え。
“根”が“根”である根幹。
肯定したキノエに、名前は初めて真剣な表情と口調で「でも」と続けた。
「私たちは生きてるんだ、私たちとして」
「!」
音を立てて手元から淡い色合いが浮く。
吹き抜ける下風に合わせたタイミングで、放された野花が風にのった。
花びらを散らせて吹き抜ける風が荒土へ向かっていく。
その意味と必要があるといった意図に目を見開いた。
開いた口からは咄嗟に言葉は出て来ない。
振り返らない名前の横顔は見たことがないものだ。
「…『ヒノト』に、謝るつもりで?」
「謝る?ですか?どうして?」
「え…そのつもりだったんじゃ」
「謝る必要ないと思うんです。私、後悔してないから」
「!」
「それに、そんな事ヒノトさんは望んでないと思うし、やっちゃいけない事だと思う」
「君は…」
空いた片手を戻して、もう片手は上げて目の前で形を作る。
握った拳から2本の指だけをピンと立てて己の前に示す。
それが印の片割れだと分かってキノエが眉を上げた時、次には下ろされて指が握り合うように曲げられた。
全ては名前が独自で行っている動作だったが、下ろした先は崖の向こうに見える荒土で。
閉じられた目と訪れる静寂が何を捧げているのか伝わった。
(『対立の印』と『和解の印』…返す相手は誰もいない…コレが言っていたケジメか)
向けた相手は誰と口にするまでもなく、そして、その相手は永遠に応える事はない。
ゆっくりと開かれた瞳にあるのは、上の空でも無でもない、強い意思。
和解の印を解いて、「キノエさん!」と振り返った表情には笑顔があった。
「一緒にありがとうございました!改めて、これからよろしくお願いしますっ」
「…まったく、とんだ相手の任だよ…」
「?」
小さく紡いだ本音は、聞こえないフリにされたのか本当に聞こえなかったのか。
首を傾げて不思議がる名前に、色々な力を持っていかれたようで肩を落として動いた。
ちょうど感じた同じ下風へと持っていた花を放す。
舞い散る花を見下ろすままに、己の手を面へと持って行って外した。
頭横へと移動させれば、初めて素面で対面する事に名前の驚く顔が飛び込む。
こういう事には驚くのかと更に肩を落としつつ、浮かべたのは自然の表情だった。
「こちらこそよろしくお願いします、ヒノト」
キノエと向き合って名前は大きく頷いた。
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