- ナノ -




29 残された烙印


木ノ葉の里の最も奥側に位置する崖には歴代の火影岩が彫られている。
そのすぐ下にある建物こそ、岩の主たちが政務を執り行ってきた火影屋敷だった。

「…ようやく体制が整い始めたところか」

窓から見える眺めに目を細めながら、煙管を吹かせる三代目の顔は厳しい。
以前はあれほど見るに飽きなかった里の一望は、今や見るも無残に破壊し尽くされた瓦礫が連なるばかり。
天災が襲うとはこの事を言うのだろうと思いながら、合間を慌しく動く人々の動きから視線を逸らした。
それは目を背けたかったからではなく、この現状を責として果たさなければならない事が沢山あるからだった。
特にこの場に集まっている者たちとの話は。

己を除いて、この場にいるのは3人。
木ノ葉の里の上層部にして、火影のご意見番である水戸門ホムラとうたたねコハル。
そして暗部の志村ダンゾウだ。

三代目が視線を戻すと同時に、同じく視線を向けていた彼らの目も集中して場を独特の緊張感が覆う。
それは、里の長という上司を前にしてという以外に昔から慣れ切った一種の感覚も含んでいた。
先ほどの発言に対して、答えたのは冷たい表情を変えないダンゾウだった。

「あんなものは整い始めた内に入らん。今回の件で、里は大戦でも経験した事のないほど壊滅的な打撃を受けた。事態はお前が思うより遥かに深刻だ」
「ダンゾウの言う通りだ。早急に復旧にあたらねば、これを機に他里が攻めてきてもおかしくはない…」

続くホムラの厳しい物言いにも、三代目も難しい表情を崩さず反論できない。
直属の暗部による情報操作や里内で緊急的な箝口令を発したりなどしているが、事実が広がる事は止められない。
現に、他里の怪しい動きも幾つか報告されていて心配の種は尽きなかった。
ようやく長い戦争が終わったといっても、人心や世界が簡単に変わるものではない。
今も、この忍の世界は隙あらば簡単に争いの色に染まってしまうものだ。

「四代目ミナトとその妻クシナが被害を最小限に抑えてくれたのが、せめてもの救いか…」

今回失われた沢山の犠牲の中で、三代目にとって一際心を掠めた姿を呟く。
しかし、他の3人からは同意や雰囲気は返されず、ダンゾウに至っては瞳を鋭くするだけだった。
そこには、語られずとも彼らの内心がありありと発されていた。
分かっていながらも、三代目は再び溜息を吐きつつ答えを返す。

「復旧については、早急に具体案を手配しようと思っておる」
「その件について、ワシからも希望がある」
「何じゃ」
「うちは一族の新たな居住区は、里の外縁部に集める形にしてもらいたい」
「!」

聞き返すと躊躇なく言い放たれた案に、眉間に皺を寄せて反応したのは三代目だけ。
明らかに反を示す所作だったが、ダンゾウは相変わらず底の知れない顔を保ったまま。
ホムラとコハルが、両者の空気がぶつかるのを見つめていた。

「それは、どういう意図で…」
「聞かずとも、お前も分かっているだろう。九尾を操る事ができるのは、うちは一族の写輪眼だけだ」
「九尾を呼び寄せたのは、うちはの者だと言いたいのか」

険しい顔つきのままに返しは低さを増す。
だが反して、ダンゾウの声色は単調そのもので淡々としていた。
睨む三代目に、「そうだ」ときっぱりと断言して包帯に隠れていない左目を更に細める。

「うちはフガクを四代目候補から黙殺した件を含めた大戦後の処遇を筆頭に、うちは一族の不満が急激に高まっているのを知らぬとは言わさんぞ」
「…仮にそれが事実だったとしても、うちはの者が今回の犯人ではないかと疑うのは性急過ぎるじゃろう」
「単に里へとの不満だけではない。稀代の天才と言われる兇眼フガクさえも警務部隊隊長止まりにしかなれないという絶望感が、うちはの若い世代を中心に渦巻いてもいる。それはやがて、大きな意思となって木ノ葉を襲うだろう」
「その考えこそ、うちはの不満を煽る一端となっておるのだと言っている!お前の指示で“根”が、うちはの動向を逐一監視しているそうではないか!」
「里の創設を踏まえれば当たり前の事だ。少しでも里への危険因子があるならば万全を期す、それが我らの務めだ」
「だから確証もなしに何でも押し進めて良いと言うものでもない!ダンゾウ…あの子にもそう言ったのか」

呟くようにあの子と加えると、矢継ぎ早だったダンゾウの言葉に余白が生まれる。
その隙を見逃すはずがなく、より厳しい物言いで三代目は、「名前の事だ」と言い切った。

思い返すのは、ダンゾウに連れられて憔悴しきった姿。
心配して伸ばした手から身を引いた名前が口にしたのは、一言だけ。
そして浮かべた笑みのままに三代目の庇護を拒否し、選んだ未来と選択に迷いは見えなかった。

―おじいちゃん、どうかナルトをお願いします

精一杯に向けられた微笑みは、ナルトを抱く三代目に向けられた最後だった。

「父母を失ったばかりの姉弟を引き離す理由になるのか!あの子に闇を歩ませる選択をさせるための言い訳ではないのか…!」
「理由ではない、事実だ。鍵と人柱力を一緒に置いておく危険性の大きさを理解していないのはお前の方だ、ヒルゼン。使いこなせぬのならば尚更だ。それに、“根”を選択したのは、あの娘自身だ…だからこそ、お前はあの娘を止められなかった。そうだろう?全て事実でしかない。お前の言い分こそ、お前の願望と甘さによるものでしかない」
「……」
「鍵は制御と監視のためにもワシの下に置く。代わりに、人柱力の扱いはお前に譲った。里外からの脅威に対抗するためにも、これ以上の上策があると?」

言い合いを聞いていたホムラとコハルも頷いた事で、三代目も反論できなくなる。
ご意見番2人はダンゾウの案を最もだと賛成している中、正論とも聞こえる内容に対して自身の感情だけでは覆せなかった。
他国に対する抑止力である尾獣ひいては人柱力は、常に狙われているものだ。
襲撃の危険性を低くするためにも、鍵と人柱力は分散し、それぞれの管理下に置く。
里を第一に考えるならば、上層部として当然の判断だ。
唸る三代目にダンゾウが一方的に言い切る。

「確証がないからと言って、私情を盾に野放しにして良いというものではないのだ。あの鍵も、うちはの問題も。うちは一族は一か所に集めて里の端に追いやる、復旧作業による区画整理という名目がある今こそが機だ。異論はないな?」

ホムラとコハルからも反論は上がる事はなく、否とは言わせない空気が漂う。
長い沈黙を続けていたが、結局、三代目は静かに頷くしかなかった。



里から離れた火の国の国境近くの森、その合間を駆けるのは名前だ。
背後から迫る複数の影を自覚しながら、切れる息に注意をやってしまったのが悪かった。

「っぅ!!」

捉えたと思った時には全てが遅かった。
凄まじい衝撃が四肢を強打して、反動のままに叩きつけられた先は沼だった。
まともな受け身を取れないままに、泥水の中に沈み込む息苦しさにもがく。
「ごほっごほっ!」と激しく咽て、激痛の止まない身体は全く動かず、辛うじて顔だけを動かせる。
泥まみれのままに見上げた上には、複数の仮面がこちらを見下ろしていた。

「見ろよ、アレ。オレだったらぜってー耐えらねーな。恥さらしだ、恥さらし」
「あんな雑魚を何故、オレたちが」

何人かは隠す気もなく、見下ろしながらあからさまに名前を指差して嘲笑する。
ある者は小馬鹿にし、ある者は侮蔑と憎しみを込めて。
顔は仮面で隠されて全く見えないのに、見上げて瞬く名前には表情まで見えるのではないかと思えた。

(…みんな、暗い、チャクラ、だ…なぁ…)

彼らから発せられる、無機質で重く暗いチャクラに目を細めて瞳を閉じた。
それは別に彼らの嘲笑いや悪口がどうというのではなく、単純にもう動く気力が残っていないから。

咳を発した口から溢れた鉄の味を飲み込んで、瞳を閉じたせいで頭が朦朧とした。
あれから一体どれくらいの日にちが過ぎたのか、そんな事も思い出せなかった。

選択肢など無かった、迷いも無かった。
暗い空間の中で、あの時、全てを支配する者に対して何でもすると約束したから。
怒りと悲しみと色々な感情が混じり合って、それでも変わらない感情だけで見返せたのだ、あの顔を。
仮面を手にして力強く頷いて睨み返した時、返されたのは口端を釣り上げた笑みだった。

―その威勢、嘘にするな

ダンゾウは、あの夜の約束を果たした。
惨劇の夜が明けてすぐ、名前を連れて火影屋敷へと赴き、三代目へナルトを預けたのだ。
ナルトを受け取った時の三代目の驚愕の表情と向けられた問い詰めがあったが、はっきりとは覚えていない。
あの時、ナルトが三代目の手に渡ったのを見届けられたのが全てだった。

(おじいちゃん…心配、してくれてた、っけ…?何て、言ってたかな…)

途切れる意識で身体が倒れたのを誰かが支えたのが最後。
あれから、三代目には会っていない。
それどころか、追悼の儀を境に、木ノ葉の里へと足を踏み入れられなくなった。

意識を取り戻した時に最初に気づいたのは、チャクラが使用できるようになっていた事。
仮面の男によって施された謎の封印式は既に解除されており、自身の腹に何もなくなっているのに驚いた。

そして、代わりに科せられた呪についてもすぐに教えられて理解した。
名前の舌には、機密情報を漏らすのを封じる“舌禍根絶の印”。
四肢の手足首には、特定の範囲外への時空間移動を封じる“自業呪縛の印・極”。
ダンゾウによって刻まれた呪印は、まさに自由を奪う枷だった。

「お前たち、その辺にしろ。オレたちの任を忘れるな」
「忘れてませんよ。でもホラ、コイツこれじゃあもう今日は使い物にならないでしょ?」
「弱ぇ、弱ぇ。何でこんなのがなぁ…全然理解できねぇ」
「……」

未だ上から聞こえる話し声に、名前の意識は完全に途切れていた。
こちらを伺っていた者たちの中で、無言を貫いていた1人が気がついて上から降りる。
沼の水面ギリギリに浮きつつ近寄り、倒れている名前の首を掴み上げて放した。

「気絶してる。今日の任は果たしたわ」
「あっけねぇ」

再び泥水に沈む小さな身体に興味を失った声が任務の完了を宣言する。
すると見下ろしていた気配たちが、一斉に散って消えていった。
残されたのは、水面に立って名前を見下ろす1人と枝の上で足をぶらつかせる1人だった。
名前を見下ろす1人は、仮面で顔を隠されているものの体格から少女だと分かる。

「ちょっとレンゲ、アンタもサボってんじゃないわよ」
「ボクはちゃんとお仕事してるよ?ホラ、だから“ソレ”はちゃんと生きてる」
「ずっと本読んでた癖に」
「ボクの任務は、監視ですから。ソレと、アンタの。ね?ヒノト」
「チッ…」

持っていた本を隠す事もなく、仮面越しにせせら笑うレンゲの態度にイライラが増す。
しかしそれ以上会話をする気もなく、ヒノトと呼ばれた少女は名前の身に手を伸ばした。
触れた手からチャクラの衝撃があって、「!?」と激痛の短い悲鳴と共に名前が目を開く。

「ッ…ごほっごほっ!うぅッつぅッ…!!」
「やっと目覚ましたわね。ホラ、さっさと帰るわよ」
「…ぁ…、ヒノ、トさ…ん?」
「そうよ、寝ぼけてんじゃないわよ」

怒りを隠さないキツイ声を浴びながら、ごめんなさいと口にしようとして音が出なかった。
代わりに口から溢れた血に咽つつも、痺れと痛みで堪らない腕を上げて口元を拭った。
ヨロヨロと動いて身を起こしたが、沼に浸かりきって汚れた服が重い。
それでも、何とか立って動こうとする様を腕組みしているヒノトが鼻で笑った。

「最初よりは大分マシになったわよね」
「最初よりは!」

繰り返して声を立てて笑うのはレンゲだ。
ぼんやりとする意識と視界が徐々にはっきりする中、名前は顔についた泥も拭って返した。

「次は、もっと…長く、立ちますっ」

瞬いてヒノトを見返し、ようやく言葉が形になった事で声が上がる。
意識していたより大きく発してしまって、言った後で喉を襲う痛みに喉元を押さえながら咳き込む。
すると、呆れた雰囲気を放つヒノトが腕組みを解いて再び手を伸ばした。
沼の中に半分沈み込んでいる名前の腕を引っ掴んで乱暴に引き上げた。
目を丸くしている名前と仮面越しのヒノトの瞳が見えた。

「何してんのよ。さっさとしてよね」
「あっ…は、い」

痛む足にチャクラを集中し、水面と接する調整をして態勢を整える。
確認するや否や、すぐに乱暴に手を離したヒノトが沼を蹴って飛び上がった。
取り残された名前は、やはり静かに瞬いて目で姿を追う。
それから、ハッと気がついて大きな声でヒノトを呼んだ。

「何よ」
「あり、がとっござい、ました!」
「!…」

名前の一言に、ほんの僅かに反応したヒノトが止まって横顔だけを向ける。
けれども言葉を返さずに、そのまま先へと飛び去ってしまった。
闇の中に消えた背に対して、名前は泥傷だらけの身を動かす。
それから力を入れて、レンゲのいる枝横へと飛び上がった。

「いっつ…!?」

しかし、上手く着地できずに枝に上でも蹲まって痛みの声を上げてしまう。
それをずっと観察していたレンゲがしたのは、やっぱり笑う事だった。

「君も懲りないよねぇ、そんなんだからヒノトにいつも置いてかれるんだよ」
「そう、かも、です…。でも、良いんです」
「…何が?」

言葉を噛みながらも、瞳に映ったのはレンゲの持つ本だった。
題を読むだけで浮かぶ感情は、今、こんな状態であっても変わらなかった。
名前の表情を見たレンゲが一転して低く聞き返す。

「ちゃんと、お礼っ言えました!」

今日は置いて行かれる前に、ちゃんと。
と、力強く繰り返す様にレンゲは瞳を細めて苦々しい顔をした。
それから、「君、ホント馬鹿だよね」と言い切って返す。
対して、頷く名前の浮かべる雰囲気と笑みは変わらずだった。

「そんな事、ボクらには必要ないよ。この先永遠に」
「何で、ですか?」

レンゲは、己の持っている小説から名前が目を離さないのを感じながら、それを腰元へと仕舞う。
小説のタイトルが見えなくなった事にガッカリを隠さず、素直に口にされた疑問に口端を上げた。

「それはヒノトが教えてくれるよ」
「?」

楽しそうに笑うレンゲの言った意味は、その時の名前では分からなかった。

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