- ナノ -




14 君と巡り来るために


慌ただしい足音とガラガラと押されて廊下を流れて行く台が見える。
険しい声で指示を飛ばす医師と血相を変えたまま走り回る看護師。
それでも運び込まれる人の数は止まらず、治療も人手も圧倒的に不足している。
隔離病棟に指定されている一角から見える光景を遠目で視界に入れて瞬いた。
「名前さん」と名を呼ばれて振り返ると目の前にいるのは見知った顔だ。

「結果は聞かせて貰いました、嫌な出来事ほど立て続けに起こるものですねぇ」

パンッと軽い音を立てて手に持っていた診断書を叩いた佐々木の口調は軽く表情も飄々としたままだが。
眉を下げて、「そうですね」と浮かべた名前の苦笑を見た後には重い溜息に変わっていた。

「皮肉なものです。龍であるが故に蝕まれて死にゆく貴女が、死にゆくが故に初めて人になれる」
「報告しますか?どの道、私にはアイツらが望む価値も力ももうありません。そしてこの事態も止められない」

名前が再び顔を向けて、運び込まれる患者でパニック状態に陥っている病棟を見つめる。
同じく顔を向けた佐々木はしばし沈黙したが、次には「いいえ」と短く否定を返す。
まさか否定されると思っていなかった名前が驚いて佐々木を見直す。

「告げる上層部もまともに機能してないんです実は。荷造りで忙しいらしく、仕事は溜まるばかりで私も大変でしてね」
「…佐々木さん…」
「それで、貴女はこれからどうするんです?彼らと一緒に引っ越しの準備でもしますか」
「…ええ、引っ越しじゃないですけど身支度はしようかと思っています」
「それは身辺整理とか言わないで下さいね。いくら私でもメル友の死に水は取りたくありませんから」
「そこまで迷惑は掛けませんって。ちょっと会いたい人に会い行くだけです」

アハハと声を上げて笑う名前に眉を上げて何とも言えない表情で返した佐々木は踵を返した。

「まぁ、人である貴女がどうしようと私には出来る事なんてありませんし。これからは好きにすれば良いのではないですか」
「もう佐々木さんのメールに悩まされなくて済むと思うのはホッとしますけど」
「安心して下さい、メールはきちんとお送りします。今度は私的で」
「えぇぇ!?それってアリですか!?」

顔を蒼くして思いっきり慌てる名前を後ろに振り返らず、扉を開けた佐々木は「アリです」とだけ返して扉を閉めた。
名前の叫びが途切れて聞こえたが気にせずに廊下の壁に背をつけて待機していた信女を見やる。
病院を後にするために歩き出せば、続いた信女が隣に並んだ。

「名前、駄目なの」
「残念ながら。もう彼女には土地を護る力も誰かを救う力も有りませんよ。刃龍は刃を失った、アレは朽ちた錆刀です」
「そんな言い方ない」
「貴女にそんな目で見られるのは心外ですね、事実ですから受け入れなさい。むしろ真実はもっと深刻なんですから」
「!」

手元に持ってきた書類を握りながら歩く様を見て信女の睨みが揺らぐ。
裏口から外へと出れば、人気のない通りに訪れている静けさが不気味さを醸している。

「毒に蝕まれた龍が毒を撒き散らす龍であるなんて、本人が一番認めたくないでしょう」
「ッ…じゃあ、名前が?」
「そうですよ、調査隊の指揮をとった貴女なら分かるでしょう信女さん。これほどまでに爆発的な勢いで白詛が拡大を広げる本当の原因が」

突如、江戸で広がり人々を苦しめている謎の伝染病、白詛。
感染経路も感染要因も一切不明とされているが、世間では空気感染が最も有力して怖れられている。
だから感染者を隔離して接触を避ける処置を取ったりしているが、真実は違う。
信女の脳裏に過るのは先日まで極秘に行っていた見廻組での調査。

「土地が汚染されているから…そもそも止めるなんて出来ない」
「…ご名答。人から人の感染なんて些細な問題でしょう。そもそも毒水を啜って生きている状態に陥っているのですから打つ手など絶望的ですし」
「大元は名前?」
「彼女自身が私たちに教えてくれたんですから、彼女自身が分かり切っている事では?」

その名前も白詛に身体を蝕まれて虫の息だが、としれっと告げて手元の書類を広げた。
名前の検査結果…それは末期を告げるものに他ならない。
他の患者と同じような症状が出ないのは刃龍故だろうと適当に検討をつけて完結する。
こんな状態になってしまっては、些細な疑問は佐々木にはどうでも良かった。

「遅かれ早かれ、土地を巡る気脈が名前さんを通して完全に汚染されれば江戸どころか皆死に絶えます。さて、私もお上に倣って荷造りでもしましょうか」
「そうして異三郎も捨てて行くの?名前も、この星も」
「おや、勘違いしないで下さいね。私はエリートですがどう頑張っても所詮人なのです、人が大きな力に抗えるはずなどありません。せいぜい目を瞑るくらいしかできませんよ」

白々と答えて手元の書類を畳み、懐からライターを取り出して火を灯す。
端から焼けて灰になっていく書類を一緒に眺めながら信女はそれ以上何も言わなかった。



「これは何だ?」
「見ての通り、長期休暇届です。ちょっと遠出する予定になりまして」
「お前…この状況で本気で言ってんのか。…いや、本気か」

人気の少ない屯所内で土方へと届出を渡した名前は変わらない表情で笑い返してきたので。
苦虫を噛み潰した顔で舌打ちした土方は同時に咥えていたタバコも噛み潰してしまった。
使い物にならなくなったために灰皿へと押し付けながら、重い溜息を吐く。
しかし、生憎ここには泣いて縋るだろうゴリラな局長も、親身になってオズオズと止めるだろう地味な監察もいない。
一般隊士の多くが、白詛で大パニックになっている江戸中に派遣されて駆け回っているからだ。

「こんな状況だから、って顔してんな。一応聞くが何故だ?」
「あの人を迎えに行こうと思いまして…恐らく今じゃないと駄目なんです」
「…万事屋の野郎の居場所が分かったのか?」
「いいえ、でも多分会えるかなぁと。ごめんなさい、上手く説明できなくて」
「…ハァ」

新しく火をつけたタバコの煙を吐きつつ、長期届を見下ろした土方は髪を掻いて「総悟は何て?」と続ける。
すると名前は「許可貰っています」と頷いて返した。
そうなれば余計に否定できず、散々迷って結局許可してやる。

「土方さん、あの1つだけ。今まで色々とありがとうございました、本当に」
「あ?何だいきなり、縁起でもない事言ってんじゃねェ。ただでさえ葬式みたいな日が続いてんだ、止めろ」
「しばらくお会いできなくなるので、言いたくなったんです。でも確かに縁起でもないですね」
「それに言わなきゃならねェ事はソレじゃねーだろ」
「…!」

言葉と共に反射的に下げてしまった視界は土方の口元と身体だけを入れていた。
そこへ伸ばされた手がコツリと額を小突いてきた感触に目を丸くして顔を上げる。
映ったのは苦笑を浮かべる優しい笑み。
対して込み上げる気持ちのままに微笑み返して言い直す。

「ちょっと出掛けてきます」
「あァ、行って来い。気ィつけろよ」

土方にとっては何気ない訂正だったのかもしれない。
それでも、再度頭を下げて御礼を言い部屋を後にする名前には心に沁みて仕方なかった。

屯所の廊下を歩いていた足を止めて、縁側に面する広い中庭を見やる。
誰もいないけれど、早朝はいつもあそこで皆で素振りに励んだ記憶が過る。
その向こうでは山崎がミントンをして土方にぶっ飛ばされ沖田が鼻で笑っていた。
その隅で近藤が当たり前のようにフンドシ一丁か全裸で素振りをしていた事も。

(全部、見られなくなっちゃうなぁ)

彼らと一緒にいられなくなる…そんな感覚に浮かんだ笑みはどう見えるのだろうか。
少なくとも自分が消えてなくなる事での怖さや悲しさではない。
むしろ自身を覆うのは綺麗に繕ったまま旅立とうとする醜さへの自嘲だった。

(ただ、寂しい…それだけだ、きっと)

首を横に振って気持ちを逸らし、歩き出そうとして廊下の奥に背を預けて待つ存在に気がつく。
両手をポケットへと突っ込み、同じタイミングで目が合う相棒。
その姿を目に入れるだけで今はどうしょうもなく安心してフワリと笑えた。

「もしかして待っていてくれたの?いつ終わるかも分からなかったのに」
「大した問題じゃねェんで。それよりアンタがいなくなる方がよっぽど堪えらァ」
「う…それ言われちゃうと罪悪感が…」

眉を下げて困った顔をすると、出迎えた沖田がふて腐れたで「でも変わらねェんだろうィ」とねめつける。
頷くしか出来なくて名前は優しい眼差しを変えなかった。
目に入れてしまえば逸らせなくなるのを分かっていたのに、受け入れるしかない名前の答え。
沖田の横顔がいつも共にある1番隊隊長としてのものでなく拗ねた少年のようで。
自身の懐から手帳を取り出して差し出した。

「!、こりゃアンタの手帳だろうィ、何で俺なんかに」
「沖田くんだから預けられるんだよ…ううん、沖田くんだから預かってほしい」
「……」
「そしてまた会った時に返して欲しいな」

遠くない未来にまた会えるから、としっかりと告げれば目を丸くした沖田が受け取る。

「分かりやした、アンタの頼みですからねィ。その代わり、さっさと旦那引っ掴まえて帰って来て下せェ」
「うん、約束」

微笑みと共に紡げば、ようやく顔を向けてくれた沖田が笑んでくれた。



昼間だというのに人の気の少ない大通りを横切って足を向ける先は1つだ。
今や客もほとんど訪れなくなっても変わらず暖簾を下げている『スナックお登勢』を目にして立ち止まった。
本当なら店を訪れて目的の人物に会おうとする所だが、その必要が無くなったためであったから。
箒を片手に店前を掃除していたたまがこちらを見て「名前様、こんにちは」と挨拶してきた。

「こんにちは、たまさん。お店は変わらず営業してるんだね」
「はい、お登勢さんの方針でして。お客様は少なくなりましたが、訪れて下さる方はおりますから」
「そっか、良かった」
「?、名前様…何やら顔色が優れないようですがお加減が悪くていらっしゃるのですか」

スキャンモードに切り替えようとするたまを察して名前は答えず、首を横に振って制す。
ピピと瞳の音を止めたたまが訝しんだ事に、「こないだの話の続きをしたんだけど」と持ちかける。
すると、ピクリと反応したたまが少し考えて受け入れると店内へと消えて行った。
お登勢へと出掛ける事を告げているのだろう、間を開けずに再び出てきたたまに店横を示す。
2人して歩き出しながら通りを進んだ。

「こちらは変わらずです。銀時様の行方の手掛かりは掴めず、源外様の発明も滞ったままです」
「うん…そうかなと思ってた」

木枯らしを吹かせる公園横にあるベンチに腰掛けながら返事をした。
淡々と事実を教えてくれるたまの表情はからくり故に変化に乏しいが、名前には銀時を心配しているのだと分かる。

突然誰にも何も告げずに姿を消してしまった銀時の足跡を辿っていた時。
たまが密かに教えてくれたのだ、銀時が源外の元を訪れていた事を。
そして銀時が源外へと頼んでいった内容を聞いた時。
真選組の捜査として白詛を調べていた情報と自身を蝕む事態が結びついて愕然とした。

「『時間跳躍の原理は理解できるし開発も可能だ。だが肝心のエネルギーが用意できるわけがねェ』と」
「源外さんが?」
「はい。私も調べましたが、一般的に時間…つまり時空を越えるほどのエネルギーは滅多にあるものではないという結果に至ります」
「……」

曇り空を仰ぎながら名前は、空論でしかないタイムマシン開発の可能性に否定をしない。
細めた視界は空を映しておらず、見える光の脈の色が濁っている事に遣る瀬無さを宿していた。

(私が選ぶ道は誰が聞いても間違っていると言うんだろうな…)

このまま放っておけば江戸を張り巡る気脈は白詛の毒素に汚染され続け、やがて世界中へ広がるだろう。
今でこそ流れるままに土地各地に広がるソレは、土壌も水源も汚染していきそこに生きる人々の身体を蝕んでいく。
自然の恩恵を受けて生きている人間は自然なしでは生きられないのだと痛感させられた。
それが汚染源となるならば、止める方法は1つしかないと思い至る最悪の方法。

江戸全体を巡っている大地の本流、気脈の流れを枯らしてしまえばいい。
それは依然、鳳仙が吉原で行っていたような部分的なものでなくもっと根本を絶つ。
源が絶えてしまえば爆発的な進行も抑えられるし、少なくとも未来へは希望を繋げられるのではないか。
いや、それも名前の身勝手な願望だと心中で失笑した。

「たまさん、もし私が可能だと言ったら?」
「?」

振り返ってきたたまに真剣に告げる。
「可能とは」と短く紡がれた問いに覚悟を決めた、もう戻れないと。

「私なら、時空を越えるほどの莫大なエネルギーを用意できると言ったら?って事かな」
「!、名前様…それは一体どういう事でしょうか」

立ち上がって遠くに見える江戸の中心を見据える。
変わらず立ち聳える江戸の象徴ターミナル。
宇宙へ逃げ出す人々で大騒ぎを起こしているあそこが、今や名前が力を使える唯一の場所になった。

「理由は聞かないで欲しい。でもこれだけは約束する、私なら絶対にエネルギーを用意できる。だから、たまさん…私のお願いを聞いて貰えないですか」

からくりであっても、今のたまが息を呑んだように見えて。
嬉しくなりながらも、凛とした微笑みを浮かべてありのままに願った。

紡いだ内容は吹いた木枯らしに消えた。



(今の私にできる事はこれが最期だろうな…憤慨するアイツらが見られないのが唯一の心残りだけど、今の星じゃアイツらの興味も失せているだろうから意味ないか)

霞む視界に意識が途切れ途切れになりながら、手を伸ばした。
目の前に風で揺れる銀髪と雲模様を縁取る白い着流しが舞う。
直近にあるのに…あんなに会いたいと願った顔には名前の知る光がない。
暗い暗い紅が血の色に見えた。

名前は知っていた、名前が白詛の爆発的な汚染を阻止するために動けば必ず辿り着けると。
少なくとも阻止にかかるだろう…魘魅は。
ただ計算外だったのは、まさか殺しにかかってくるとは思っていなかった事だ。
ほとんど力を失った身体で銀時の身体である魘魅に敵う自力は既にない。
最悪な結末になってしまったな、とどこか他人事のように思いながら銀時の意識がない事に感謝した。
少なくとも、自分を手に掛けてしまった『銀時』を悲しませる事がないのは嬉しい。

漏れたのは声でなく血だった。
激痛の正体が胸を貫いている銀時の洞爺湖だと分かっても伸ばす手を下ろさなかった。
両手で頬を包み込んで微笑みかける、首まで浮き上がった梵字が憎かった。
こうして温もりを伸ばしても銀時に決して伝わらないと分かっていても、そうせずにはいられない。

(ごめんなさい…私には選べなかった)

沢山の人々が生きる地よりも、死にゆく星に残された希望という可能性よりも。
それこそ、魘魅に蝕まれる銀時が願った運命の改変さえも。
名前にはどうしたって選べなかった、受け入れられなかった。

撫で触れるこの人を想うだけで、全部背負えてしまうくらい罪深いと思う。

(星の未来よりも、貴方の望みよりも…)

霞んでいく視野と力を失って崩れ落ちる身体なのに、遠くにあったはずの意識は今初めて重なった。
銀時でなくなった銀時が佇んで見下ろしている血だまり。
そこに伏しながら、見返して微笑む感覚と意識がシンクロする。

「銀さん、私には貴方しか選べなかった」

溢れる涙と嗚咽で紡いだ続きは『名前』が紡げなかった続きだ。
全部を思い知らされて、託された気持ちが止まらず感情のままに泣き続ける。
握り締めている蒼い結晶石に込められた想いの意味がようやく理解できた。

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