55. 共鳴 - 1



気絶したトリッシュを乗せ、ボートは水面を走りだした。
ずぶぬれになったナランチャが湿った前髪から鋭い瞳を覗かせる。いつもなら隣にいるはずのフーゴの姿はそこには無い。

たった今、フーゴを除く全員が、ボスに背いた。
つまりはパッショーネの裏切り者だ。

ボスが自らの手で娘を始末するために自分たちにトリッシュを『護衛』させた事を、ブチャラティは許せなかった。
家族がバラバラになった辛い過去を背負う彼にとって、トリッシュが実の親にみすみす殺される姿を、見て見ぬふりができるはずが無かったのだ。

「ーーだから俺は裏切った」

その言葉は波のようにチーム全員に動揺を伝わせていったが、最終的には彼らはブチャラティについて行くことを選んだ。
1人賢明な判断をしたのはフーゴだけだった。別の道を歩く彼に対し、もう"無関係"となってしまったメンバーは何も口出しをする事は無い。
ナランチャは最後まで迷っていたが、離れたボートを追って泳いでまで着いてくる有志ある姿を見せた。

ジョルノとヴィスカは、当然のようにボートに乗り込んだ。
いずれトップに上り詰める野望があるジョルノにとっては、結果的にその夢にいち早く手が届く事になるからだ。
気の持ちようとしては、ヴィスカも同じだった。ボスの正体を突き止められれば、その分早く、自分たちが向かうべきゴールに辿り着く事が出来る。
なにより、自分の片割れがブチャラティの中にあるのだから、これは当然の成り行きだとも思えた。

ヴィスカは自分の決断を信じて歩き続ける事ができる。
ブチャラティが真っ直ぐに前を向き、その足で地を踏みしめる事ができている間は。



ヴェネツィアについてすぐ一行はリストランテへ向かった。
何しろまる1日以上まともな食事をとっていない。作戦を練るにもまずは腹ごしらえが必要なのは、全員が分かり切っている事だったが。

「ブチャラティ、私、ご飯よりも行きたい所があるんだけど…」
「何だ?ヴィスカ」

ナランチャがいち早くテラス席を見つけて走りだす様子を見て、ヴィスカは慌てて手にしていた銃を見せた。

「これのメンテナンスと、銃弾を買いに行きたいの。海に落ちて、濡れちゃったし」
「ーー駄目だ。まずは皆で飯を食え」
「お腹、空いてなくて。お店に来たら何か食べたくなるかとも思ったんだけど、そうでもないし」
「腹が減ってない?あんなに夜通し起きててか?ヴィスカ、君の顔色はさっきから徐々に悪くなっているようだが?」
「ーー…」
「いいか。もう一度言うぜ。こいつらと一緒に飯を食え」

言って、ブチャラティは席まで歩き、テーブルに置いてあったメニューを手にした。

「君の代わりに俺が頼む」
「ーー…」

明らかに、ブチャラティはこれまで以上に自分に厳しくなった。
それはこんな状況になったせいもあるが、メローネとの闘いの後、自分1人を置き去りにしてしまった負い目を強く感じているようにも見て取れた。
仲間想いのブチャラティにとってあれは、余程の出来事だったに違いない。

もどかしげな視線を送るヴィスカに、メニューを追っていたブチャラティは目線を外して強く睨んだ。

「ボスは間違いなく俺たち裏切り者に対し、追手を出しているだろう。だから個人行動は駄目だ。俺が許さない。行くなら飯の後だ」
「追手を出してるならなおさら早く行った方が良いわ。そうでしょ?私1人が駄目ならーー…ええと」

そこまで言った時、ジョルノと目が合う。
彼が口を開きかけるよりも先に、ミスタが立ち上がる方が早かった。既に席についていたミスタは、2人に歩み寄り、ヴィスカの銃を摘まみ上げた。

「あーあー、中までしっかり濡れちゃってるぜ、これ」
「ーー…ミスタ、最低」
「おいミスタ、今はそういう雰囲気じゃあねーだろ。ふざけるのもいい加減にしろよ」
「はあ!?ちげーって!今のはそういうのじゃねーだろ!!誤解だぜ!!つーかすぐに"そういう"発想をする方が問題あるッ!」

ミスタは2人の訝しがる目つきに大げさにリアクションをしてから、ヴィスカの肩を引き寄せた。

「個人行動が駄目っつーなら、俺がヴィスカについて行く。つーか俺も、ギアッチョとやり合った時、どっぷり海に付けちまったし。弾もそろそろ底をつきそうだしな」

その言葉に、彼女も口を揃えた。

「ーーと言う事でブチャラティ。ミスタがいるなら良いでしょ。私はともかく、ミスタの銃はスタンドの命よ」
「ーー…あぁ、まぁ……ミスタ、お前あんなにヴェネツィアの飯を楽しみにしていたのに、良いのか?これを逃すと食えない可能性もあるんだぜ」
「飯なんていつでも食えるだろ。それに、ヴィスカが銃を使うとなれば、教えなきゃいけねーこともあるし?」
「ちょっとミスタ!頭をグリグリしないで!」

ミスタの腕に触れたヴィスカを見て、ブチャラティは刹那に顔を強張らせる。
しかし瞬きの後には、その表情は元に戻っていた。
そして思い出したようにジョルノのてんとう虫のブローチをヴィスカに託し、最後に念を押す様に言った。

「30分以内には戻れよ。飯が終わってても文句は受け付けない」

「ヨシ、じゃあそういう事で。ヴィスカ、行くぜ」
「ちょ、ちょっと待って!」

30分、という言葉を頭に残し、ヴィスカはミスタの後を慌てて追う。
心配そうに見つめるジョルノの横を通りがてら、彼女は小さく目配せした。

ワタシ・ナラ・ダイジョウブ。
シンパイ・シナイデ。

日本語で囁かれたその言葉が、ジョルノの耳には届いたのかは分からないけれど。


「あーあ、折角だから運河沿いを歩きたかったのになァ」
「あなたの恰好じゃ悪目立ちしすぎるんだし、私たちは"お尋ね者"なんだから」

路地裏にするりと身を入り込ませた2人を、ジョルノの視線は追っている。
対してブチャラティは、彼らの後ろ姿を追うようなことはもう、しなかった。



武器屋には既にボスの手が伸びている心配もあったため、2人はいつもより慎重に行動をした。
観光がてら、ネアポリスとは一味違った風情ある建物や、景色を堪能したい所ではあったけれど、そんな悠長な事も言っていられない。
パッショーネの息がかかっておらず、かつガンスミス(銃工)がいる店を選び出すと、ミスタとヴィスカはそこで銃弾を幾つか購入し各々の銃のメンテナンスを頼んだ。
特急で仕上げてくれと言ってミスタが金をちらつかせると通常の3倍の量をぼったくられたが、20分で仕上げてくれるとのことだった。

メンテナンスが終わるまでの間、目だった行動もはばかられるため、2人は店の裏手にある水路ぞいまで降りて行き手ごろなベンチに腰かけて時を待つ事にする。
適度に見通しも良く、万が一の敵襲にも備えられそうな場所だった。なにより、ひと気が無いのが一番良い。
安心したヴィスカは身体の強張りをほどき重い頭をベンチにもたげる。

「なぁ、気になってたんだけどよォ。ヴィスカ、お前、やたら顔色が悪いぜ」
「え…そう?」
「まさかブチャラティがパッショーネを裏切るなんて、思ってもみなかった事だ。ボートに乗った事、後悔してるのか?」
「後悔なんて、まさか!」

"後悔"の言葉に飛び起きたヴィスカの思い通りの反応に、ミスタはニヤリと笑うものの。

「ねぇ、フーゴの事……」
「ーー…アイツのことはもう口にするな」
「ーー……そうだね」

重い沈黙。2人は再び口を閉ざす。
ミスタの放った一言は彼に関する何もかもを否定するような響きがあった。
そこまで彼を責めなくても、とヴィスカは思う。けれど、これが本来の裏切り者に対する正当な評価なのだ。
遮られた会話は、きっともう仲間内で語られることは無いのだろう。
そのうち、パンナコッタ・フーゴと言う存在そのものが消えて行くのかもしれないと思うと、どうにもやるせない。
ほんのさっきまで一緒にいた仲間なのに。

(‥‥裏切りか)

かつて自分が関わった幾つもの組織や集団にとって自分は"裏切り者"なのだ。そう思えばフーゴの気持ちは痛いほどに分かる。
勝算の有る方について行くのは生きる上で必要だ。フーゴは生きたいのだ。ただ、シンプルな選択をしただけ。
何も死んだわけじゃない。会おうと思えばいつだって会える。自分がそれを望む限り。

水面では、水鳥が列をなして、同じ方向に進んでいる。


「なぁ」
「ーー何?」

水面にできては消える波紋を追って暫くすると、ミスタが言いにくそうにまた口を開いた。
今度はフーゴに関することでは無かった。

「ギアッチョって男、俺が殺しちまって良かったのか」

「……何言ってるの?」
「お前の恋人だったんだろ?」
「だからなんでそうなるのよ。言ってるでしょ、違うって」
「へェ」
「ギアッチョとは、本当に何でもないから。これ以上詮索したらーー…」

言いかけると、ミスタは急に身を屈めた。
覆うようにして抱きかかえて来るのと、目の前で鳥が一斉に羽音を立てて飛び立ったものだから、ヴィスカは追手が来たのかと勘違いしてしまった。
けれど、そういうことじゃあなかった。

「正直に言うぜ。お前がどうとも思っていなくても、俺はスゲー嫌だった」
「ーー‥‥何でも包み隠さずに言える貴方のそういう所、すごく尊敬する」
「そりゃどーも。ーー俺が言いたいのは、なんでもねー野郎とキスができるなら、俺ともできるだろって事」

"ホルマジオとキスできるなら、俺ともできるだろ"

あの時のギアッチョと、まったく同じような事をミスタは言っている。
どうしてこうなるのか、ヴィスカには理解しがたかった。そっとミスタの胸から離れるも、粘るような目つきからは逃れられない。

「そういう理屈になるだろ」
「…‥‥はぁ」
「無理矢理はしねェ。おめ〜が良いって言うまで、このまま待つぜ」

そう言うや否や打って変わってニコニコとし出すミスタを前に、ヴィスカは困り果てた。
もう死んでしまった人間に対して嫉妬をしているので無く、自分にもキスをしてもらって当然と思っているような節がある。
いっそ自分から勢いよく唇を合わせる方が楽なのかもしれないと思い、嬉しそうな男の顔にそっと近づいた。

「ヴィスカ、お前からしてくれんの?」
「ーー…目、を、閉じてくれる?」

ミスタは愛おしそうに笑った後、長い睫毛をそっと伏せる。
たかがキス1つ。されどヴィスカは複雑な気持ちだった。
自分から言った手前、こうなる事は予想していた筈なのに、誰かにとても後ろめたい事をしているような気分だった。
それは先程気持ちを伝えられたギアッチョでもあるしーー、自分をここまで導いてくれたーーブチャラティでもある。

それに、どうしても心に引っかかる事があった。

「ーー‥‥ねぇ、ミスタ」
「……おう?」
「ミスタは何で私の事が好きなの」
「ーーーは?何だよ急に」
「だって私……貴方に好かれた事をした記憶、無いし」
「ーー…」
「"手ごろな女"だからって言う理由なら、私ーー…」

言いかけて、ミスタが目を細めた。そしてそれを遮るようにして口を開いた。

「なァ、覚えてるか。初めてお前を海で助けた日」
「ーーそれは、もちろん」
「あの時俺は、お前が海に落ちる前からずっとお前を見てた」

たぶん、気になってたのはそっからだと思う。
そう答えるミスタは珍しく"らしくなく"、居心地が悪そうに首を手で抑えていた。

「そんな前から?」
「おい。引くなよ。お前が聞いたんだろ。つーか今思えば、一目惚れ?なんじゃねーの」
「一目惚れ?……私に?」
「なんつーか、その…あの時のお前、思い詰めてた中でも、"生きたい"って感じがしたんだよな。儚げだったっつーか。生死の境目にいるって感じで。目が離せなかったっつーか」

儚げとか、生死の境目、とか。
まさかミスタから、そんな単語が出てくるとは思っても無かったヴィスカは、まさに意表を突かれた気分だった。
けれど彼の言わんとしている事は分かる。
むしろ今思えば、自分はまさにそんな心境で海の向こうの何かを見つめていた。
何の意義も無い人生に疲れ切っていて。でも、陽が沈む海を背景にキスをするカップルのように、満ち足りた何かが欲しかった。

生きたい、とはミスタも上手い事を言うな、と思う。

「それによォ、お前…なんつーか、ウジウジしてる割りには前向きだろ。今までに無いタイプというか。目で追ってたら…‥気づいたら好きだったっつーか」

いや、もっと言うべき事は他にあるな、とミスタはもどかしそうに、頭を大げさにかいた。
良く口の回るミスタがこんな風になっているのは珍しく、ヴィスカも釣られるように調子が狂ってしまって。

「少なくとも俺にとって、お前はスゲー特別なんだよ。……上手く言えねーけど。なァもうこれで良い?」
「……う、うん。分かった。もういい」
「あと一応言っとくけど、お前を手ごろだとか思った事は一度もねェから」
「わ、分かったって!」

早急に話を切り上げようとすると、ミスタはまたもや何か思い出したように口を開いた。

「それにおめーよォ」
「…?」
「今の自分の決断を信じてるだろ」
「ーーそれは、もちろん」
「それだよ。お前の一番良い所。自分の運命を、自分で切り開いて行ける」
「ーー…運命…」

「あぁ、そうだ。俺は神も運命も信じてる。ヴィスカ。お前にあの時あの場所で出逢ったのは、運命だと信じてるぜ」


その言葉に、ヴィスカの心は、きゅ、と苦しくなる。

(ーー運命、か)

他にも有り余るほどの人間が、ネアポリスにも、ここヴェネツィアにもいるのに。どうしてこの男は運命だと惜しげもなく言えるのだろう。

ミスタが自分に抱く気持ちは本物だ。こんなに嬉しい事は無い。そのはずなのに、その気持ちが強ければ強い程、言いようもない不安が心に重くのしかかる心地がする。

駄目になったら次。都合が悪くなったら次。
裏切り、裏切られーー、自分が今までそうやって生きてきた分、同じようにして、相手にとって自分が意味を無さなくなる日が来ることを、どこかで恐れているのかもしれない。

ミスタを心の底から信頼しているし、好きだとも思える。もちろんこのチームだって。
ただーー愛に関しては違う。どうしてか臆病になってしまう。分からなくなるのだ。"運命"なんて絶対的な言葉で逃げ道を塞がれようものなら。



「ねぇ。それが"ミスタの運命"であって、"私の運命"じゃなかったらどうするの?」
「はァ?そんなもん決まってるだろ。無理矢理にでも変えてやるぜ」

白い歯を見せて笑うミスタは、まるで太陽のようでもあった。
最後の決断をする時、彼の言う"運命"に手を伸ばす覚悟が、自分には持てるのだろうか。

(ーー…)

ヴィスカは考えを払拭するように目を伏せ、至って簡単なキスを落とした。

「ーー…はい、これでいいでしょ」
「おい、まさかだろ?そんなのキスって言わねーよ」
「ええ……」
「もっとよォ、あの時みたいな…そういう熱いヤツが欲しいんだけどォ〜」
「あの時っていつよ!駄目だってば」

そんな事言わずによォ、と顔を近づけるミスタに対し、ヴィスカは顔を背けようとする。
その時だった。ほんの一瞬、"何か"が頭の中を過る。

(えーー…)

赤い二匹のエビ。皿に乗って、美味しそうに調理されているエビだった。

「エビ……?」

「は?エビ……?」

唐突な言葉に、ミスタは近づけていた顔を離した。

「おいおい、ヴィスカ、この状況でそれはねェだろ〜。何だよ"エビ"って。ロマンチックの欠片もねぇぞ」
「……ご、ごめん……」
「って事でもう一回」
「しないわよ」

キッと睨むのとほぼ同時に、武器屋の勝手口のドアが勢いよく開いた。
店主が顔を覗かせ、きょろきょろと辺りを見回しているのがここからでもよく見える。
手にしているのは自分たちの銃。やけに険しい表情だった。どうやら何か問題でも起きたらしい。

「ちっ…、んだよ、何かトラブったか?」
「なんだか私たちを探してるみたい」
「安物買いの銭失いかよ!ったく、ヴィスカ、お前はここで待ってろ!」

ミスタはしぶしぶ、と言った様子で重い腰を上げ、ヴィスカはそのままそこで、待機する流れになった。
ミスタが離れた事にホッとしてしまって、複雑な気持ちでヴィスカは空を見上げようとしたのだが。
橋の下の影から1つの視線を感じ、彼女はすぐにベンチから離れて身を屈めた。


「……誰?」
「ーーヴィスカ、僕です。すみません、怖がらせて」



溶けるように影と一体化していた正体は、ジョルノだった。







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