10. それは秘密の話



「うす」
「えっと……仕事、お疲れ様」
「おう。ここで待ってたのかよ」
「え、だって、中にはお客さんとか…リーダーも…いるし」

誰かと待ち合わせをするのに、こんなに隠れてこそこそしなければいけないものだったっけ、とヴィスカは思った。
「今夜飯でも行こう」なんて急に言われて、「ここで待ってろ」なんて言われたけれど、中にはまだブチャラティやら他の客人やらがいる。
なんとなく気を利かせてリストランテを出た所でミスタを待っていたのだが、今考えれば、目につかないようにしている方が却って怪しかったかもしれない。
2人きりの時に小声で誘われたから、なんとなく。チームのメンバーには秘密なのかと。

…いや、ミスタ相手に、何を考えているんだとヴィスカはため息をついた。
彼は就職祝いで誘ってくれたのだ。それ以外の、何物でもない。

「何ため息ついてんだよ」
「え、いや、ごめん。秘密なのかと思って色々考えちゃった」
「……別に秘密とかじゃあねーけど。まぁいいや。行くぞ」
「う、うん」

夜のネアポリスの街は男女が2人で歩くには少し、ロマンチックが過ぎるのかもしれない。
そんな事を思いながら、ヴィスカはミスタの後に付いていった。


歩いて5分程の近場、ミスタに連れられてやって来たのは、よくあるような、親しみやすいバーレストラン。
木目調でグリーンが多く、黄味の強い電球色のダウンライトが温かみを感じる店内だ。
ここはミスタが好きで、良く通う店らしい。

「ここは料理も美味くて酒も旨いぜ」

彼の言う通り、料理が美味しいのだろう。店内の混み様がそれを表している。
ミスタは適当にカウンター席に座り、その少し高めのスツールにヴィスカも腰かけた。
バーのイス。ぷらぷらと、納まりの悪い脚が宙を浮く。

「お前、酒飲めンの?」
「え…たぶん。強いかは分からないけど」
「じゃあ最初は飲みやすいヤツにしとけ。女に人気なのは…リモンチェッロあたりだな」

レモン風味の、甘くすっきりした飲みやすい酒らしい。
ミスタは自分が飲むワインも合わせて、すらすらとオーダーを済ませる。

「手慣れてるのね。女の子と良く来るの?」
「リモンチェッロが女に人気なのは誰でも知ってるぜ」

ふぅん、とヴィスカは答え、「本日のおすすめ」と書かれたブラックボードを熱心に見るミスタをぼんやりと見つめる。
この男は、よく女の子をここに連れてきて、同じものをオーダーするのだろうか。
隣には私じゃあない、別の誰かが座って、キラキラした瞳でこの男に笑いかけるのだろうか、なんて。

"ねぇミスタ。あなたっていい男なのね"
"へへ、そうだろ?"

…いやいやいや、だから、私は何を考えているのよ。
ヴィスカは自分の頭の中で繰り広げられた想像力の乏しい陳腐なやり取りに対し、1人呆れかえった。

「つーか、お前、酒飲める歳だよな?頼んだ後で後の祭りだけど」
「え?何?」
「歳だよ、と・し」

ヴィスカはミスタの声で弾かれたように我に返る。

自分の歳。酒を飲める歳かという事か。
誰からも今まで聞かれなかったから、ヴィスカは特に気にも止めていなかった。
覚えているのは名前だけ、そう思っていたし、周りからもそう思われていたから。
良く考えれば、こんな状況でよくみんなは色々と調べてくれたものだとも思う。

"10歳。もうすぐ18になるから、8年近く"

でもその時ふいに、頭の中で思い当たるフレーズがぼんやりと出てくる。

(−−…10歳?もうすぐ18…。それは自分の年齢?)

でも不思議とそれは、しっくりくるものがあった。

「たぶん、もうすぐ18歳。もうなっているかもしれないけど」
「…マジかよ」
「え、何、その"マジかよ"って」
「…ブチャラティがお前の事、やけに子供扱いしてると思わねぇ?アイツ絶対、お前の事15やそこらだと思ってるぜ」

ヴィスカはその発言に対し、かなりの衝撃を受ける。自分はもっと年下に見られていたのかと。
まぁでも確かに彼らに比べれば背も断然小さいし、東洋系の血が童顔に見せているかもしれない。
そして思った。
ブチャラティが自分に対して過保護が過ぎるのは、彼が優しいからとかじゃあなく、単に子ども扱いをされていたのでは?と。
そう考えると、なんだかとても複雑だった。

「そういうミスタはいくつなの」
「18ィ」
「ふぅん。ミスタは私の事、いくつだと思ってたの?」
「まぁ俺よりちょっと下かな〜くらい?」

と言いつつ、ミスタはヴィスカの胸元をチラリ。
視線を感じたヴィスカは、すっと自分の胸元をおさえる。

「そ、そういう所で判断しないで」
「大きな判断基準だと思いますケドー!」

まだ酒も入っていないこの状況でこうだ。
この男、酔っ払ったら大変なんじゃあないかと、先が少し思いやられるが。

「そーいや、なんかお前最近オシャレになったよな」

胸元を見るついでなのか、服もまじまじと見られ、ミスタはぼそりとそんな事を言う。
ヴィスカはそれに気を良くし、破顔した。

「ミスタにも分かる?嬉しい。実はこの前、ナランチャと一緒に服を買いに行ったの」
「デートかよ」
「ナランチャはデートだって嬉しがってたね」

ヴィスカはあの時の事を思い出し、クスリと笑った。
ナランチャのような弟がいれば毎日が楽しいだろう。なんて。
しかしそんな考えは、ミスタの言葉で音もなく崩れ去る。

「いや、冗談じゃあなく、あいつは立派にデートと捉えてるぜ。あいつもう17だし」
「え」

ヴィスカは耳を疑った。
ナランチャは中学生くらいだと思っていたのだ。それこそ、15歳くらいだと。
…と言う事は自分と同じくらいの年ではないか。ヴィスカは焦ると同時に、彼を弟扱いしていた事が急に恥ずかしくなる。

「…私、すごく子ども扱いしてた……ナランチャのこと…そっか……」

ブチャラティが自分を子ども扱いをしてくる意味が、今やっと分かった気がする。
それと同時に、彼の笑顔は、自分がナランチャを可愛がるような笑顔と同じなのかもしれないとも思い、こうべを垂れた。

「ちなみにフーゴは16、アバッキオは確か…21だったか?ブチャラティもそれくらいだな」

フーゴが16歳。
2歳も年下の相手に、風が強く吹くある日、彼に対して大人げないことを言ってしまった。
最低なのは自分だ。ヴィスカは一気に落ち込んだ。

「何があったか知らねーけど。酒飲んで忘れろ」
「うん…そうする」

丁度良く目の前に差し出されたリモンチェッロ。
目に鮮やかなレモン色のお酒は、まるで自分を元気づけるためのような飲み物だった。
ヴィスカはそれを、ゴクリと豪快に飲みこんだ。



この店の料理はどれも逸品だった。
朝はいつものリストランテで食べるものの、夜は適当に済ます事が多いヴィスカにとって、こんなに豪華なディナーは久しぶりで。
料理が美味しく食が進むのと、お酒が美味しいのと、ピストルズやミスタとの取り留めのない会話が楽しくて。
ふと、こんなに沢山笑ったのは久しぶりだなとヴィスカは感じていた。

ミスタの口から出るのは、どんな仕事が楽しかったとか、今までどんな危機を潜り抜けてきたか、とか。
あとは隣の部屋の学生のギターが煩い、年下の癖にナランチャが偉そうでムカつくだとか。そんな事だったけど。

この男といると、自然体で笑えるような気がする。
そしてヴィスカは、そんな自分が好きだとも思えた。
ここの所、笑顔よりも暗い顔の方が多くなっていたような気もするから、なおさらに。

「あのさ、ミスタ。」

牛肉がトマトで煮込まれたものを美味しそうに頬張っていたミスタは、声色が少し変わったヴィスカを見て、手が止まる。
カウンターの上では、ピストルズが酔っ払いながらサラミを頬張っている。

「私を助けてくれたこと、本当に感謝してる」

ヴィスカの瞳は熱っぽくなっていて。
アルコールのせいで少し潤んで、水面のように揺らめいていた。

「酔ってるな」

ミスタは自分も相当飲んだことを棚に上げてニヤリと笑う。
彼の頬もまた、うっすら朱に染まっていると言うのに。

「…よ、酔ってない。折角いいこと言ったのに」
「そーだな。わりぃわりぃ」
「ミスタが助けてくれなかったら、今頃死んでたか、街でゴミを漁ってたかもしれない。私が働ける事になったのも、ミスタのおかげかなって」
「いやいや。お前今、客観的に見てギャングに捕まってんのよ。ポジティブすぎねぇ?」
「え、そうかなぁ」
「そーだよ。お前の前向きさには頭が下がるね」
「…ミスタの方が、よっぽど前向きだと思うけど」

そーかなァーと、ミスタは言った後、頭をポリポリと掻いて、ピストルズからワインを取り上げてゴクリと飲んだ。
黄色い小人たちのぎゃいぎゃい文句を言う声が聞こえる。

「まぁでもあの状況なら、誰でも助けるだろ」
「そうかもしれないけど…でも、このチームのみんなも、ギャングっていうより、正義のヒーローって感じよね」
「あんまり幻想を抱くなよ。汚い仕事だぜ」
「私はそうだと思わないな。……特にリーダーは、すごく芯の強い人。綺麗な、正義の心を持ってる」

ヴィスカの声色が変わった。
ブチャラティの話になるとこうだ。少しからかおうかと思いミスタは彼女の方を見る。
しかし、何とも言えない、羨望のような眼差しがそこにはあって。
粗削りの氷が入ったウイスキーのグラスをヴィスカはぼんやりと見つめていた。
ミスタはそんな表情を見せられた手前、からかいの言葉なんか出るはずもなく。
別の男に想いを馳せる女を前にして、彼は何も言えない。

ヴィスカはブチャラティに対して、たまにこんな風になる。
彼女を取り巻く雰囲気がふにゃりと柔らかくなって、ブチャラティの何もかもを受け入れるような、そんな空気に。

一方で自分に対してはガードが高い。
怪しまれ、警戒されている時もあるような気がする。
今はこうして楽しく飲んでいるわけだが、何かにつけてツンケンされることが多いような。
そりゃあ第一印象はサイアクだったかもしれねーがよ、それが原因だったりすんのかな。俺、コイツに何かしたっけか、と。
ミスタはもう一度ワインをあおった。

ピストルズがぎゃあと言う。

「あのさ、不思議だなって思ってたんだけど」
「おー」
「なんであの時、すぐに私を助けに来てくれたの?偶然見かけたって言っても、タイミングがいいなって思って。まさか私を見てたとか?」

頬がすっかりピンク色になったヴィスカが、目を細めて子供っぽくけらけらと笑った。
自分には普段見せないようなふんわりとした柔和な表情はどこか色っぽくもあって。ミスタのグラスを持つ手は一瞬止まる。
そして思った。
今、ヴィスカの目の前にいるのが、ブチャラティではなく俺で良かったなんて。

「あぁ。お前を見てたからだよ」

ヴィスカの瞳に、ミスタの焦がれるような瞳が、くっきりと映った。
ふわふわと宙を漂っていた気分だったヴィスカは、急に何かに引っ張られたかのように、現実にぐい、と引き戻される。

「あー酔ったわァーちょっとトイレ〜〜〜」
「え、ちょっ…」
「あーっと、ピストルズがまだサラミ食ってるから見といて。弾も置いておくから気ィつけろよ」

ヴィスカが何かを言う暇もなく。目の前の男はひょいとスツールから降りると、トイレトイレ、と言ってその場をそそくさと立ち去ってしまった。
急にその場に取り残されたヴィスカは、先程のあの男の態度と言葉を脳内で反芻させてしまう。

お前を見てたからだよ。

突然雰囲気が変わったミスタに、何故、あんなにもドキッとしてしまったのだろう。
もしかしたら自分が考えすぎているだけで、ミスタにとっては別に深い意味は無かったのかもしれない。
でもなんだかあの瞳が…酷く、何かに焦がれているように見えてしまって。
思わず、ヴィスカは片方の手でそっと頬に降れた。

そんな時、目の前で酔っ払いながらサラミを頬張るNo2.がふいに。

「ミスタはヴィスカのコトガ、好キナンダゼ〜〜!」

その発言に、ヴィスカは盛大にむせる。

「オイ、No.2、好キダトハ、言ッテネェダロ〜〜!?可愛クテ、放ッテオケネェッテ、言ッテタンダゼ〜!ヒクッ」
「No.3、ソレハ秘密ッテ言ワレテタジャア、ネ〜カ〜!ヒィィック」
「No.1、チョット、真面目スギルゼオマエ!別二良イダロウガ〜」
「言ッタラ駄目ナ事ヲ、言ウホウガ悪イ〜〜!」

ヴィスカが唖然とする手前、6人の意志を持った小人たちは、自分が一番正しいんだと証明するための喧嘩をし始めてしまった。

「お、落ち着いてピストルズ達。みんなは悪くないよ」

ミスタが戻る前にこの喧嘩を止めないとややこしい事になると思い、ヴィスカは急いで仲裁に入る。
唯一の救いは、この喧嘩が一般の人間に見えない事だ。
しかし彼女が小声で優しく声をかけるも、取っ組み合いが収まる気配はゼロで。
もう一度声をかけるも、隣に座っている人たちと目が合ってしまい、怪訝な顔を向けられてしまって。
ヴィスカは引きつった愛想笑いを返したが、彼らの反応よりもピストルズの喧嘩を止める事の方が大事だと思い、またカウンターの上に向き合う。

どうしたものかと考えていると、一つ良い案が思いついた。
ヴィスカはピストルズに近づき、口を手で隠しながら小さく囁く。

「じゃあ、こうしよ。この会話は、私とピストルズ達の内緒。これだけ守ればいいでしょ。どう?」
「「オォ〜〜」」

混乱していたピストルズは、一つの解決策を与えられたことにより、すっかりおとなしくなった。
意外と単純な子供の様で、ヴィスカは一先ず安心する。

「ほら、みんな、楽しく飲もう」

ヴィスカは自分が飲んでいたウイスキーのロックをピストルズに差し出した。
ぎゃいぎゃいと寄ってたかって、がぶがぶと飲みはじめるピストルズたち。さっきまで言い争っていたのがまるで嘘のようだ。
わーいヴィスカ、ありがとうだぜー!なんて、ミスタの口癖を真似ているのか、可愛らしいお礼も飛んでくる。
しかし。ほっとしたのもつかの間だった。

「お前のウイスキーだろ、それ。いいのか?ピストルズにあげちまって」
「ぎゃ!」

急に背後から声をかけられ、ヴィスカの口からは思わず尻尾を踏まれた猫のような声が出てしまった。
その彼女らしくない声にミスタは目を丸くした後、ケタケタと笑いだす。

「ぎゃって、おめー、スゲェ声」
「……いきなり声かけるからビックリしたの」
「そんなイキナリでもなくね〜」
「か、会話…聞いて、ないよね?」
「はぁ?何の?」

「…じゃあいいです」
「じゃあいいって、なんだよソレ」

良かった。この感じから察するに、ミスタには先ほどの会話は聞かれていない。
ヴィスカは一先ず胸をなでおろした。

しかし酔っ払ってミスタの秘密を言ってしまうくらいのピストルズだ。
自分と今交わした約束も、また酔っ払えば破られてしまうかもしれない。
まぁでもその時はその時だ。そもそも明日になれば、さっきの会話なんて忘れてしまっているかもしれないし。
ヴィスカはあまり、深く考えない事にした。そうしなければ、目の前の男の顔をまともに見られそうになかったから。
自分の顔、赤くないといいけど。ヴィスカはそっと自分の頬に触れ、顔の温度を確かめる。

「そろそろ行きますかァー」
「そ、そうだね」
「ところでお前、今どこに住んでンの?」
「えっと…リーダーの家」

ミスタが口を半開きにしたまま固まったのを見て、ヴィスカは言葉足らずだったのを急いで訂正する。

「も、元、リーダーの家ね。もちろん彼、今は住んでないわ。昔住んでた所を貸してくれるってだけで」
「ヘェ〜〜。あ、そ〜〜。じゃあ何。ブチャラティしかお前の家、知らないって事?」
「うぅん……まぁそういう事なんじゃない?みんなが知らなければ」
「あ、そ〜〜〜。俺もそのリーダーが昔住んでた家とやら、見に行こうかなぁ〜」
「えぇッ」

まともにこの男の顔も見られなかった手前、ヴィスカは怪訝な顔をしてミスタの顔を覗き込む。
そして気づけば、家を見たいという目の前の男の発言の真意を探っている自分がいた。

「おい、睨むなって。…別に変な事はしねーよ。いいだろ?送るついでだ」
「べ、別に、送ってくれなくてもいい。一人で帰れるわ」
「へ〜〜。……あの状況を見ても、ひとりで帰れると言えんの?」

ミスタの顎がさす方を見ると、1人で飲んでいたと思わしき女性が、2人の男に絡まれている。
パチンと盛大に頬を打つ音が2つ聞こえたかと思うと、ぷりぷりと怒って、女性は店を後にした。
彼ら以外にも、通りには酔っ払いの男がふらふらと何人かうろついているのが見える。
ここはミスタの提案に乗るほうが、安全と思えた。

「…じゃあ、送ってもらおうかな」

送ってもらうだけなら大丈夫だろう。
どんな家か一目見れば気が済むのなら。
ありがと、と一言告げると、ミスタは「賢明な判断だぜ」と言ってニヤッと笑った。

「領収書はブチャラティ名義で頼む」

ミスタは会計のためにカメリエーレを捕まえると、さも当たり前のような顔をしてそんなことを言う。
心配そうな瞳を投げかけたヴィスカに対し、「いいんだよ」とミスタは一言。
どさくさにまぎれ、そのうちブチャラティの上着のポケットにでも入れておくとか、なんとか言っていた。

「俺達だけで経費で飲んでたことは秘密だぜ」

やっぱり秘密だったんじゃあないのとヴィスカは胸の内で思う。
後日ブチャラティは自分の身に覚えのない領収書を発見し、小首をかしげる事になるのだろう。
そしてそれを処理するのは自分なのかもしれないと、小さく笑った。


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