08. 優秀なお手伝い



ヴィスカはブチャラティに促されるまま、リストランテのさらに奥まった部屋に案内される。
応接室のような空間には、立派な書庫と、テーブルにソファ。
奥には小さい金庫も見える。
壁には知らない人物の肖像画。この部屋はもしかしたら、元々はここの支配人の部屋なのかもしれない。
このリストランテの食事の質を表すかのように、どれもこれも、趣味の良いものばかりだ。

「ヴィスカ。君には早速なんだが…この書類を整理してもらおうかと思っている。できるか?」

ブチャラティが金庫の中を空けると、そこには山積みになった書類やら請求書やら小切手の数々が。

「君にやってもらうのはここからこの書類だ」

彼はその中から3分の1程を取り分けると、テーブルの上にバサッと並べる。
他の3分の2は、自分が見てはいけない情報なのだろう。半分以上取り除かれたとはいえ、残る3分の1も相当な数だ。

「分かりやすいように、日付順で並べ替えてくれると助かる」
「分かりました」

ヴィスカが適当に書類を取ってみると、それは一般人からの依頼や手紙、この辺りのシマの証明書絡みの書類やら見積やら。さらに、公共料金の請求書まで。
何かは分からないが、日付が半年前のものもある。

「…溜め込んでたんですね」
「やる時間が無かった…。今度まとまった時間を作ろうと思っていたんだが、重要度が低いと、どうしても後回しになる……」

なんでもきっちりしていそうなブチャラティの意外な一面を見たようだった。
バツが悪い表情を見せるのも珍しく、そんな彼の表情にヴィスカは少しだけドキリとする。
しかし、そんな表情をするくらいだ。裏を返せばずっと忙しかったという事。

「正直言って、今の状況で君の申し出はありがたかった。ここの所、色々とバタついていてな。
君の事を調べるにも、時間がかかりすぎてしまった。時が経てば向こうから解決策がやってくると過信していた自分が情けない」
「私も……誰かが私の事を探し出してくれるのかな、なんて呑気な事を思っていたから、リーダーやみんなの事をとやかく言う権利は無いの」

時が経てば解決策がひょんなところから現れる。
自分だけでなく、おそらく誰もがそう期待していたのだろう。
残念ながらそうには至らなかったが。

「実はこのヤマがひと段落したら、『情報管理チーム』に君の素性を調べてもらう手配をしようと思っているんだ。それまでは、少し辛抱してくれないか」
「情報管理……」

パッショーネは組織立ったギャングで、それぞれ役目が細分化されているとミスタからは聞いていた。だから、情報収集やら分析やらを専門とするチームがある事も、想像に容易い。
それならば、最初からそこに任せれば早かったのでは?と一瞬脳裏を過ってしまったのだが、ブチャラティの事だ。何か理由があるのだろうと考え直す。
自分ひとりのために大ごとにするような事をしたくなかったのかもしれないし、何かルールのようなものがあるのかもしれない。
チームのメンツの問題なのか、ブチャラティ自身の問題なのか、分からないが。

「情報に関しては彼らはプロだ。抱えている情報量も俺たちの比ではない。君が何処の誰かなんて事は、調べればすぐに分かるだろう」

(私が、何処から来て、どんな人間なのか)

暗闇を抜けた先には、輝かしい光や、美しい景色があるものだ。
でも、それは約束されたことでは無いと、彼女は知っている。その先に続くのは、さらに深い闇かもしれないとも。

自分はもしかしたら、"誰でもない存在"なのかもしれないと、ヴィスカはここ数日で思う事が多々あった。
路地裏で見かける麻薬に溺れた目。物乞いのギョロリとした眼光。精気の失った孤児の表情。
彼らを目にする度、胸の内から込み上げるザワザワとした予感。
あの名も無き者たちに、もしかしたら毎日、一歩ずつ近づいているのではないだろうか。そんな事すらも思った。

(…自分が想像し得ないだけで、もっと酷い結末がそこにあったら?)

いづれ明らかになる「答え」に、自分は向き合えるのだろうか。

「…ヴィスカ?おい、大丈夫か」

ブチャラティが自分を呼ぶ声でヴィスカは我に返る。
見ると、彼の心配そうな表情と目が合った。

「……リーダー、ありがとう」

分からない事への恐怖は拭えない。でも、確かに言えるのは、目の前にいるブチャラティという男の優しさが、想いが、尊ぶべきものだという事。
その優しさが答えを導き出すのなら、その結果がどんなものであれ、受け入れられるような気さえした。だからヴィスカは、彼に感謝の笑顔を向けられる。
自分の心からの、感謝と笑顔を。


「あぁ。礼には及ばんさ……」

ブチャラティにとっては、ヴィスカが慕うような笑顔を自分に向ける事が少し辛い。
目に見える訳では無いが、日に日に彼女の元気が無くなっている事も、歯痒いとさえ思う。
こちら側の都合で色々と巻き込ませているに過ぎないのに、彼女は不平を言う訳でもなく、泣き言を言う訳でもなく、状況を受け入れてどうにかしようと前を向き続けている。

そして彼女はいつも冷静だ。取り乱す事無く、周りへの配慮や感謝の気持ちを抱いている。
それに対してブチャラティは感心さえもしていた。本来なら、知らない場所でたった一人。身に覚えのない能力を持ち、周りはギャングというこの状況。
自分が誰かも分からず、情報も一切なく、不安で押しつぶされてもおかしくは無いのに。
一体何が、彼女の精神力をここまで強くさせたのだろうか?

「ヴィスカ。君は……偉いな」

ブチャラティは無意識に、目の前に静かに佇むヴィスカの頭に手を置いていた。
本当に無意識に。

「えっと…、リーダー、あの…」

恥ずかしいような、戸惑ったようなヴィスカの声が聞こえ、ブチャラティは我に返り、慌てて手を引き戻す。

「……あー、いかんな。俺はどうやら君を子ども扱いしてしまう。すまない。女性に対して失礼だった」

その言葉に、ヴィスカはくすりと笑った。

「…リーダーがやりたいなら、もっとやっても構わないけど。……むしろ嬉しい」
「おい。からかうなよ」
「リーダー、疲れてるね」
「そんなことないさ」
「普段ならこんな事しないし。こんなに動揺しない」
「…君は俺を良く見ているんだな」
「……そうかな」
「そうさ」
「うぅん」

「……」
「…」


「……ブチャラティ様にお電話ですけどォ〜〜〜」

心地よい沈黙が落ちた部屋に、突如大きな声が。
ヴィスカもブチャラティも、突然のことに肩がビクッと震える。
何事かと思い見渡せば、部屋の入口からチラリと見えるのはミスタだ。

「ノックしたんですけど、聞こえなかったんすか」
「あぁ、ミスタか……。すまないな。今行く」

小さく息を付き、足早に部屋から出るブチャラティ。
彼の後姿を見送ると、残ったのは、ミスタのあのジトっとした視線だけ。
不満気な、何か言いたげな時、この男はよくこんな目をして自分を見る。
なんだか責められているような…そんな気分にさえ、なる。

「な、なに」

何、と聞いた所で、「別にィ」なんて返って来るのが関の山だ。
しかし、暫く見つめられた後、ミスタがボソリと言ったのは意外なセリフだった。

「今日の夜、メシでも行かね?」
「……え」

考えもしなかった事を唐突に言われ、ヴィスカは少し間の抜けた返事をしてしまった。
そんな不思議そうに目を瞬かせる彼女が、ミスタには少し面白くなさそうでもある。

「なに変な顔してんだよ。別に予定なんてねーだろ」
「うっ、失礼ね。まあでも…言う通り予定なんて無いけど、なんでまた」
「飯行くのに理由がいんのかよ。メンドクセ〜〜ヤツ〜〜」
「ま、まぁ確かにそうだけど」
「じゃあ、アレだ。就職祝いってことで。ピストルズもお前と話したがってるし」
「就職…祝い…」
「仕事終わったらここで待っとけよ」
「…えっ…う、うん……でも私お金が…」
「経費で落とす」

「えぇ…」
「おめーは心配すんなよ。じゃ、そゆことで」
「あ、ちょっと」

ヴィスカの言いかけた言葉に聞く耳なんて持たず、ミスタは言いたい事だけを言って戻って行ってしまった。

(いきなり来るから何かと思えば……)

なんでこの男はいつも、こう自分の心を嵐のようにかき混ぜていくのだろう。
でも、なんだかブチャラティとこそばゆい雰囲気になっていたから、ミスタが声をかけてくれて良かったのかもしれない。
いや、良かったのか?うん。良かったことにしておこう。ヴィスカは自分にそう言い聞かせる。

(就職祝いね…、)

ミスタの口から出た「就職祝い」と言う言葉に、ヴィスカは少し笑った。これは就職なのだろうか。
自分がチームで手伝う事に対して、彼は一番無関心そうだったけれど。
でも心なしか、さっきのミスタはどこか楽しそうだったように思え、ヴィスカは自分の心がふわっと軽くなるのを感じた。
ブチャラティに感じる暖かさとはまた違う、じんわりとした心地。

(……)
(いや、どうしてリーダーを引き合いに出してるんだろう、私)

ミスタの事を考えるとブチャラティの顔がなんとなしに浮かぶ。
そしてさっき、頭を撫でられた事を思い出してしまった。

(‥‥…)

いや、やめよう。今はこんなことを考えている場合じゃあない。
立派な仕事をブチャラティから任されたのだ。せめてこのチームの足手まといにならないよう尽くす事が今自分がやるべきことではないのか。
ヴィスカは目の前にある山積みになった書類に向き合った。

「…よし、仕事しよう」

この仕事が、自分の今日の食べるものになる。
この紙1枚1枚が。チームの。リーダーの助けになる。

見えない明日を憂うより、今ここで求められている事に、全力で向き合うのみだ。



(ヴィスカにあんなに仕事を任せて大丈夫だっただろうか…)
(最初からあの量は可哀そうだったか…)
(酷な事をしたかもしれん…)

夕刻。
仕事を早めに切り上げ、ブチャラティはリストランテへ向かう。
仕事と称して雑務をヴィスカに任せたは良いものの、却って心配のタネを増やしてしまう結果になっていた事に今更になって気づく。
気になる事があると、仕事も身に入らないものだなと。

「ヴィスカーーっ、遅くなってすまな‥‥い」

しかし、ブチャラティの心配は杞憂に終わる。
朝、デスクの上に山積みだった書類の山は見当たらない。
その代わりにあるのは、数種類の分厚いファイル。
まるでソファの上に散らかる洋服の如くあった書類たちは、見事に種類別、日付順、案件別に分かれており、それぞれにファイリングされていて。
月ごとに見出しが付けられており、何がどこにあるのか一目瞭然になっていた。
さらには、傍らに、ブチャラティ、フーゴ、アバッキオ、ナランチャ、ミスタと、ネーム入りのファイルも。

ブチャラティの視線を感じ取ったのか、ヴィスカが控え目に口を開いた。

「どうせなら、みんなの個別のファイルもあったほうが良いかなと思って作ったんだけど…余計だったかな」
「いや…いい。ヴィスカ、君ってやつは……」

ブチャラティは、ふぅとため息をついた後、感心したように言った。

「とんでもなく優秀じゃあないか」

目の前で自分の言葉に顔を綻ばせる彼女の事を少し見くびっていたのかもしれない。
ヴィスカは、ブチャラティが想像した以上に仕事が良くできたのだ。


08. 優秀なお手伝い end
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