ノスタルジア

暗い地下の貯蔵庫に柔らかいランプの光が灯っている。
その下り階段を降りていたスコールは扉から漏れている光に眉を顰めた。
夕餉を終え、就寝につくまでの限られた自由時間にこんなところに用事があるのは、つまみ食いか晩酌の調達目的の者くらいだろう。普段ならそんな行為もそれを行なった者に対しても問題が発生する気配がなければ特に咎めるつもりはないが今回は違う。
どうやら目的の者がいるようだとスコールはほっと息を吐くと、階段を降りて行く。わずかに空いた扉の前に立ち、そっと手を当てて押すとギィィと軋んだ音とともに扉が開いた。
広い貯蔵庫の奥の壁際に目的の、今まで探していた人物であるバッツと目が合いスコールはこっそりと胸を撫で下ろした。

「こんなところにいたのか」
「おお、スコールか?お疲れさん。ここにいるのがよくわかったなぁ」

起こした大樽をテーブルにし、その上に肘をつきながら能天気にワイングラスを傾けるバッツにスコールは安心から一転して不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
顔をほんのりと赤くし、いつも通りにこやかに声をかけてきたことが気に入らない。
樽の上にはワインらしきボトルと手にしているグラスとは別の空のグラスが出ていた。大広間には彼と自分以外の仲間達がそれぞれ思い思いの時間を過ごしていたので、誰かと飲んでいたと言うわけではなさそうである。
こんなところでこっそり一人で飲んでいるとは。誰かに心配されるかもしれないと思わなかったのだろうかとスコールはバッツへ不満を露わにした。
そんなスコールが纏う空気に気がつかないバッツは手に持っているワイングラスを空にし、自分でボトルを傾けて空のグラスを満たす。グラスの中でゆるゆると揺れる液体を楽しむかのように注ぐバッツにスコールはイラついた心情を吐き出すかのように口を開いた。

「あんたがたまに晩酌をしているのは知っていた。だが、他に広間で飲んでいる奴らに混じっていなかったから探しにきたんだ。あんたはただでさえ一人の時に何かに巻き込まれることが多いのだから、拠点の中とはいえ離れるのなら誰かに一言言ってからにしろ」

棘のある言い方をしたが構うものかとスコールはバッツを軽く睨む。
スコールの様子にバッツは一瞬珍しいものを見たかのように目を見開いたが、すぐさまいつもの笑顔に戻り、ワイングラスを樽の上には置いて小さく頭を下げた。


「心配かけちまったみたいだなぁ。ごめんよ。少しくらいなら一人で過ごしてもいいかなって思ってさ」
「少しくらいならいいとか言う問題ではない。仲間が人知れず危険な目に遭うかもしれないと心配する奴は一人や二人ではないのだぞ」

謝りながら笑うバッツに対し、スコールはこっちは真剣に話しているというのに温度差を感じるではないかという思いを込めて盛大にため息を吐いた。
心配して拠点の中を探し回った自身が馬鹿みたいに見えてくる。そんな文句を口に出さなかったのは、そこまで真剣に心配していたのかと悟られたくない気持ちがあったからだ。今更ではあるが。
スコールは普段よりも少し大きめの足音をたててバッツの方へと歩くと、テーブル代わりの大樽の向かい側に肘を置いて体を預けた。
共にここに居座るらしいことを察したバッツは小首を傾げる。

「あれ、戻らないのか?お前飲まないだろ?」
「あんたを探し回ってくたくたになった。だから少し休ませろ。心配かけておいて今更一人でいたいだなんて言わないよな」

そう言い、バッツが用意していたつまみのオリーブを手にとり、口に放り込んだ。
生真面目なスコールらしくない行為にバッツはまた苦笑する。

「うん。それは勿論。けどここにあるのは酒と軽いつまみくらいしかないけどな」

そう言いながらスコールでもこの場を楽しめるものはないかときょときょとと貯蔵庫の中を見渡す。
この貯蔵庫には酒類や保存食など長期の保存がきくものしか置いていないので探したところで見つからないだろう。自分のことは構うなとスコールは片手を振ってバッツを制した。

「別にいい。適当にやる。それよりも一人で飲んでいるのに何故二つのグラスを出している?」

バッツのすぐそばにある二つのグラス。
一つは飲みかけの酒が入っているがもう一つは空であった。誰かと飲むために用意したのだろうか。後から誰かと合流する約束をするにしてはバッツの手元のボトルは残りわずかであるし、他の仲間たちも広間でくつろぎ移動をする気配はなかった。
何のためにこんなことをと眉を顰めるスコールに、バッツは自分のグラスを置き、残りわずかのボトルの口を指先で軽く弾いた。

「空のグラスはな、この酒を以前一緒に飲んだことがあるやつの分だよ」

そう言いながらボトルの口からラベルへと指を滑らせる。
スコールはラベルへと視線を移すとそこにはロゴと、見たこともない文字が、正確には目の前にいる男が時折紙などに書く文字と酷似しているものが書かれている。おそらく自分とは違う世界の、バッツが元いた世界の酒なのだろう。文字の形は見たことはあるがスコールには読むことはできないそれはおそらく酒の銘柄が書かれているのだろう。

「その酒はあんたの世界のものなのか?」
「うん。ルゴルって村の酒。まさかこの世界でも拝めるとは思わなかったなぁ。これ、美味いんだぞ。って言ってもスコールはまだ飲めないんだよなぁ」
「ああ」

少し残念そうに呟くバッツにスコールは頷くと、バッツはボトルをなぞっていた指を空のグラスへと移動させ、今度はガラスの蓋をなぞった。

「何となくだけどこの酒は一人で飲むものじゃなく、かと言って大勢でワイワイ開けるものでもない気がしてさ。だからこのグラスは空なわけ」

くるくるとグラスの縁をなぞって遊ぶバッツは目を細める。
その瞳はグラスに向けられているのに、別の何かを見ているようにスコールには見えた。
少し寂しげにも見えるその瞳は何を見ようとしているのだろうか。少なくとも今いるこの世界ではなく、バッツがやってきた世界の何かを、誰かを見つめようとしているように思えてならなかった。
目の前にいるバッツの瞳の中に自分はいない。そう察するとスコールは空のグラスへと視線を向ける。

「この空のグラスは元いた世界の奴と飲むために用意したのか?」

興味本位で聞いていいものではないと頭では悩んだものの、心では聞かずにいられず、思わず問うてすぐにスコールは少し後悔した。
簡単に踏み込んではいけないことだから、バッツは一人でここに居たのではないか。己の感情だけで人の事情を詮索してはいけないとわかっていた筈であるのに。
ひっそりと後悔するスコールに対し、バッツは少し困ったような笑みを浮かべると、うーんと唸りながらゆっくりと天井を仰いだ

「どうだろうな。こんな一人でこっそり抜け出しておいてなんだけど、気分だよ気分。元の世界の記憶も大部分は思い出せてないしさ。実は一緒に飲んだ奴が誰かも思い出せないんだ。誰かと飲んだと言うことだけしか覚えてないんだよなぁ」

バッツは天井から視線をスコールへ向けると、曖昧な笑みを浮かべて頭を掻いた。
その笑みが何を意味しているのか上手く計れないが、思い出の誰かと酒を2人で飲み交わしたいほど彼は元の世界へ思いを募らせているのだろうか。
普段の彼らしくない雰囲気にスコールは静かに空のグラスに手を伸ばし、それを手にとって自分の顔の位置に掲げた。

「俺は酒は飲めないが、向き合って付き合うくらいならできるからな」

こんなことをしたところで、バッツの思い出の中の人物の代わりにならないのは百も承知であった。だが、このまま何もせずには何故かいられなかった。
この世界に来た仲間達は多かれ少なかれ不安を抱えながら日々を生き抜いている。その中で大人であるバッツは表面上不安を見せることがほとんどなかった。涙や嘆きを一切こぼすこともなかった彼がいま一瞬だけ見せている元の世界と大切にしているであろう人への思いを、ほんのひと時だけ自分が代わりに受け止めてることはできないかと思ったのだ。
掲げていた空のグラスに心の目で酒を注ぐと、スコールはバッツの鼻先へと突き出す。
スコールの突然の行動を目を丸くして見ていたバッツは、それが乾杯の意だと察したらしく、小さく笑みを浮かべながら自分の飲みかけのグラスを手にとった。

「グラスは空なのに付き合ってくれるの?」
「記憶の相手を覚えていないなら俺でも構わないだろう?」
「はは、スコールは優しいよな。けど、何でおれなんかの相手してくれるの?」

ゆらゆらと揺れる酒が入ったグラス越しにバッツはスコールを見つめる。
灰紫がかった瞳は寂しさの色が少し薄れ、好奇心の色で煌めいていた。
その視線が奇妙にくすぐったく感じ、スコールは目をそらしながらバッツのグラスへと自分のグラスを合わせた。

「別に、わけなんかない」

カチン、とガラスとガラスがぶつかる音とともに発せられた言葉。
心配していることを悟られない様にするための照れ隠しであった。
二人だけしかいない静かな空間に響く音と声は間違いなくバッツの耳に届くだろうと分かりながらもそうせずにはいられなかった。
そらしている視線の端にうつるバッツは驚いた目でこちらを見ている。おかしなことでもしただろうかと不安になったが、バッツはしばらくスコールをその目で見つめると、やがて優しく目を細めた。

「わけなんかない、か。おれ、そういうの好きだよ。わけなんてないの」

そう言い、自分のグラスを傾け、中の酒を飲み干すと再びボトルを手にとってグラスを酒で満たす。
どうやら最後の一杯だったらしく、ボトルをほぼ反対に傾けて注ぎ尽くすと、再びグラスを掲げた。

「スコールが酒が飲める歳になったら、一緒に飲みたいなぁ」

部屋を灯す明かりを反射させる様にバッツはグラスの液体をゆらゆらと揺らしながら呟く。
酒が飲める歳なんてしばらくどころか何年も先のことである。それはバッツもわかっているはずで、スコールが酒が飲める歳になる頃には元の世界に帰っているか、もしかしたら戦いで命を落としている確率の方が高そうだとスコールは思う。
しかし、今この場でそんなことを言うものでもなければ、それも確証のない話である。わざわざ否定することもないだろうとスコールは思うと、空のグラスの見えない液体を飲む様にグラスを傾けた。

「その時はこんな風に一人で勝手にいなくならないでくれ。約束するのなら、今度は本物のルゴルの酒をあんたと飲み交わすことを約束する」
「はは、そう言われたのならしないわけにはいかないよな。その時は一本じゃ足りないかな?何にせよスコールと見えない酒じゃなくて本物の酒を飲める日を楽しみにしてるよ」

バッツは笑いながらそう言うと、今度は自らグラスを合わせる。
揺れる液体と中身のないグラスがぶつかり、音が響く。
おそらく叶えるのが難しい二人だけの約束ではあるが、未来の話をすることで寂しさをひとときでいいから拭いされればいい。そうスコールは思った。


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お久しぶりです。
リハビリと85でスコールの誕生月である8月になにかしたかったので更新いたしました。
久しぶりに物を書いたので少々恥ずかしくありますが、楽しんでいただけましたら幸いです。
(今月中にもう一本書きたいです……!)


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