リフレイン

パタパタと忙しなく動く軽い足音が聞こえてくる。
眠りと覚醒の狭間を漂う意識を掬い上げるかのような物音にバッツは自分の瞼を震えさせ、そっと開く。
寝起きの頭故か視覚情報を認識するのに時間が掛かってしまうようだ。のそりと身体を起こし、物音の方へと視線を移すと、ふわりといい香りが鼻腔をくすぐる。焼きたてのパンとベーコンかソーセージを焼く匂いだ。その香りを認識すると突然腹が空腹を訴えてきゅるりと情けない音を鳴らす。バッツは腹をさすり、寝台から足を下ろして香りの方へ、キッチンへと視線を向ける。鍋やフライパンから立つ煙や湯気が揺らぎ、キッチンに立つ人影がバッツの方へと視線を向け、微笑んだ。

「おはようバッツ。早いのね?」

優しげな声色でバッツの名を呼んだその人物は、懐かしい母であった。


開いていたはずの瞳が再び開かれたような感覚にバッツは体をびくりと震わせた。
起きていたはずの身体からはシーツの感触がする。
開いている瞳は母ではなく、見慣れた天井を捉えていた。バッツはすぐに今まで見ていた光景は夢で、今見ているものが現実であることを悟ると、のそりと身体を起こした。

「……夢か」

呟いた一言が胃の腑に重く落ちる。久方ぶりに見た母の夢は随分と懐かしい光景であった。幼い頃はそれが当たり前だったはずの朝のやりとり。あの頃は母の朝を告げる声に飛び起き、寝間着のまま台所へ一直線。食卓を準備する母の腰に抱きつき、腹が空っぽだと朝食を強請ると柔らかく笑いかけてくれた。
幼い頃は日常の一部だと思っていたものは、今思うとなんて幸せな光景だったのだろうか。

(夢と現実……いや、過去と今を比べたいとかそういうわけではないけどさ……)

思いを通じ合った相手と共にこの村で暮らしている今も十分幸福なことであると思っている。ただ、ほんの少しだけ、帰ってこない、もう見ないであろう光景に寂しさを感じているだけだ。

バッツは感傷的になってしまった自身に小さく笑うと寝台から起き上がった。
隣のスコールの寝台に視線を移すと、既にはもぬけの殻であった。ベッドのシーツ類がシワなくのばされているところが彼らしい。もうスコールが起きているのならばすぐに朝食の準備に取り掛かった方がいいだろうとバッツは普段に比べて少し早く手を動かして身支度を整えた。髪を手櫛で整えながらダイニングへと向かうとふわりと微かに甘い香りと、それに混じって焼いた肉の香りが漂ってきた。
どうやら朝食はスコールが用意し始めているらしいとバッツは察する。最近は調理の手伝いだけではなく、簡単な調理はスコールに任せることが増えてきたが、それでも料理に関してはバッツが中心で行っている。スコールが一人で調理をすることは極めて稀である。ましてや朝に弱い彼が一人で朝食を作ったことは今までなかった。一体何を作っているのだろうと興味で心を膨らませながらバッツがキッチンを覗き込むと広い背中が目に入る。調理台と向かい合っている様子からまだ朝食の準備中のようであった。

「おはよう。スコール」

バッツが声をかけるとほんの一瞬スコールの体がぴくりと揺れ、振り向く。驚かせてしまったのだろうか。余程集中して調理していたらしいとバッツは小さく笑った。

「ごめん。驚かせちまったか?」

そう聞くとほんの少しの間の後に「いいや」と首を振られる。彼に背後には焼きたてのパンとスープが入っているのであろう鍋にベーコンと卵が焼かれて載せられた皿が並べられていた。

「今日はスコールが朝飯を作ってくれたんだな。いい匂いだなぁ」

バッツは目元を緩めながらそういうと、スコールは少し照れ臭そうに斜めの方向へと目を逸らした。

「シンプルなメニューだがな。あと盛り付けで終わる」

スコールの背後に並べられた食事は確かにシンプルなメニューではあるが目覚めたばかりの体には良い品ばかりで美味そうであった。
混じり合ったスープと焼いたベーコン、卵の香りをすっと鼻で吸い込むと香りがそのまま空腹の胃袋まで到達したかのような感覚になり、胃袋が「早く何かを入れろ」と催促するかのように鳴った。

「ありがとう。美味そうだから早速食べてもいいかな?おれ、腹ペコだ」

バッツが鳴り続けている腹をさすりながら頼むとスコールは小さく頷き、食卓へ座るようバッツを促した。もうほとんど朝食は出来かけているが、座る前に何か手伝うことはないかとバッツは問うたが「別にいいから座っていろ」とやんわりと断られた。どうやらセッティングもしてくれるらしい。強引にすることでもないのでバッツは「そっか」とあっさりと了承すると大人しく席に着く。
二人分のランチョンマットが向かい合うように並べられ、その上にはカップにナイフ、フォークが乗っている。そこにスコールが次々と食事を運んでくると食卓が一気に華やいだ。
皿の上には先ほど見えていた焼いた厚切りのベーコンとスクランブルエッグに加えて茹でたジャガイモとチーズが乗っている。コーヒとは別のマグカップにはきのこがたっぷり入った熱々のスープが波々と注がれていた。そしてテーブルの真ん中には黒い、大きな丸パンの塊が何枚か切り分けられており、その横には開けられていない蜂蜜とジャムの2種類の瓶が置かれている。シンプルとは言っていたがよく見れば品数が多く、見ているだけで心が豊かになる食卓であった。

「すごいなぁ。結構豪勢じゃないか?」

まじまじと食卓を見つめるバッツにスコールはコーヒーの入ったポットを持ってくると自分も席についた。

「パンとベーコン、ジャムと蜂蜜は村の人達から貰った。同じ人から同時にもらった訳ではないが……昨日屋根の雪下ろしと大工仕事を手伝ったら礼にパンとベーコンを貰った。だから、早速準備して出そうと思ったんだ」

つまり今朝の朝食は偶々スコールが早起きして作ったという訳ではなく、元から作ろうと思って早起きしたということだとバッツは悟った。自分を思って普段より早く起きて準備をしてくれたその気づかいをバッツは嬉しく思う。

「そっか。じゃあおれのために早起きしてくれたわけか」
「そういうことだ」

目的を達成することができたためか満足げに頷くスコールにバッツは目を細める。大人であるはずなのに、計画していたことを成功したと言わんばかりの表情は子供のように無邪気で、可愛らしかった。その表情が微笑ましい。
わざわざ早起きして作ってくれたのであれば有り難く、そして早速いただくのが礼儀だろうとバッツは手を合わせる。

「じゃあスコールと食材をくれた人達に感謝しつつ……いただきます!」
「どうぞ。こっちもいただく」

二人揃って手を合わせるとバッツは早速、寝起きの体を温めようとスープのカップに手を伸ばした。陶器から手へと伝わる熱の具合から中のスープはかなり熱いだろう。ふぅふぅと息を吹きかけて冷ましてから一口すする。スープの出汁は具になっているキノコ以外にも刻んだ玉ねぎとソーセージの切れっぱしのようだ。玉ねぎの甘みと肉の旨味がキノコのそれと混じって美味い。薄味ではあるが朝の目覚めにはこれくらいが丁度いいだろう。
スープを飲み、次は何に手を伸ばそうかと品を眺めながらバッツが手に取ったのはパンだ。切り分けられたパンにジャムの瓶からジャムをひと匙すくい取り、パンの上に乗せるとそのまま一気にかぶりつく。舌がしょっぱくなっていたところに甘酸っぱいベリー系のジャムが乗ったパンは良いアクセントになる。お次は贅沢に蜂蜜をたっぷりとかけて同じ甘いでも違いを楽しむ。

「美味いなぁ」
「そうか。それなら良かった。食材をくれた人達とこの土地に感謝だな。どれも家で育てたものや森で生っていたものから作ったものだと言っていた」
「そうだろうなぁ……リックスは孤立した地形の村だから定期的に来る行商人からの買い物以外は村の中で事足りるようにしているはずだよ。他の村や街まで買い物となるとちょっとした旅になるくらいだしさ」
「なるほど」
「今年は長く滞在しているから忘れちまっていたけどこの食卓に乗っているものの大部分はここで育てたり狩りとったりしているものなんだよなぁ。旅をしていた頃は村のものは寧ろ久しぶりだとか懐かしいものだと思っていたのに今では子供の頃の当たり前とほとんど同じ感覚に……」

バッツはそう言いかけて今朝の夢を思い出した。
あの懐かしい夢は、幼い頃ここで暮らしていた時は当たり前の光景であった。
あの頃は、穏やかで幸せな朝がやって来ることへの幸せがずっと続くものだと思っていた。
けれど、母が病に倒れ、父と旅に出るようになってからはこの村での暮らしが、母との朝の光景がいつの間にか自分の中では思い出の中のものとなってしまっていた。
この村で迎える穏やかな朝を意識したのはいつぶりだろうか。

眠っている自分を目覚めさせる朝食の香りと食器や調理器具を動かす音。
台所に立つ人影。
長く使い込まれたテーブルの上に並ぶこの村の恵の品々。

違うようで似ている。
子供の頃の自分を包み込んでくれた母親と今の自分を包み込んでくれる存在。

「っつ」

重なった昔と今の光景にバッツは思わず泣きそうになってしまったがそれは寂しさからではない。
またこの場所で穏やかで優しいひとときを過ごしているからだ。
過ぎ去った日々はもう戻ってはこないけれど今この新しい瞬間を愛おしく思えるのはその過去があるからだ。

懐かしい夢は重なりを感じたからなのだろうか?
母親が呼び覚ましてくれたのだろうか?
それとも目の前の青年が?

目元に浮かびそうになっていた涙を髪を払うふりをして拭うとバッツはスコールに向き直った。

「ここにお前と帰ってこれて良かった」

自然と出た言葉に、自分は生まれ育ったこの場所で暮らしている幸福は変わらないのだと悟る。
その形は同じではないが、胸の中に生まれる穏やかで暖かな気持ちは愛おしく、大切な存在が傍にいてくれるからこそ得られるものだと思う。
柔らかく微笑むバッツにスコールは首を傾げて見つめている。無理もない。突然黙り込んだと思ったら「良かった」と一方的に話されたのだから。

「どうしたんだ?いきなり」

そう問うてくるスコールにバッツは何でもないと軽く首を横に振った。

「単なる独り言だよ。気にすんな。そうだ!このジャムさ、肉団子と食べても美味いんだぜ?晩飯はおれが用意するから楽しみにしていてくれよ」

にっと歯を見せて笑うバッツにスコールは何か言いかけたが、数秒黙った後に肩を竦めた。
バッツが何を思って自分といて良かったと言ったのか気にはなっているようではあるが、無理に聞くことでもないと思ったのだろう。バッツからすっとジャムの瓶に視線を移し、苦笑を浮かべながら話題に乗っかる。

「……ジャムを肉料理と食べるのは初めてだな。けど、この村出身のあんたが言うのだから間違いないのだろうな」
「ああ勿論。期待していてくれよ」

バッツのはぐらかしに付き合うことにしたらしいスコールにバッツは笑いながら話を続ける。
過去は優しく、まだほんの少しだけ苦い。けれどその優しさも苦さも今までの自分を構築してきたものだ。そして、これからは目の前にいる青年と共に新たに積み重ねていくだろう。

(今度スコールにも話そう。この村で育った時のことを。母さんと親父との思い出を)

これから共に歩んでいくのだから。
今この瞬間でさえも宝物となるのだと幸福感に満たされながらバッツは料理に手を伸ばした。




***
バッツの日と85の日用に書こうと思っていたお話でした。
この設定の二人にはのんびり穏やかな時間を過ごしそうだなぁと思っております。
遅くなってしまいましたが、おめでとう!


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