境界と接触

大急ぎで自宅に戻ったバッツは玄関の前で立ち止まり、隣のスコールの自室へと目を向けた。
夜なのでカーテンは閉められているものの、薄っすらと部屋の明かりが漏れており、在宅しているのだとすぐにわかった。
すぐさま鍵を取り出し、玄関のドアを乱暴に開いて自宅へと入ると靴を脱ぎ捨ててスコールの部屋と隣り合わせの自室へと向かう。
部屋に入り、窓へ激突しそうな勢いで近寄ると閉じていたカーテンと窓を開く。これでスコールと自分を隔てているのはガラス窓一枚になった。窓の向こう側にはスコールがいる。湧き上がった緊張を落ち着けるために軽く深呼吸をし、ごくりと唾を飲み込むとバッツは窓のへりに片足を乗せ、窓枠をしっかりと掴むと身を乗り出し、空いていたもう片方の手を伸ばしてスコールの部屋の窓を軽く叩いた。待つこと数秒。人の動く気配がし、閉じられていたスコールの部屋のカーテンが一気に開かれるとそこには昼間の制服姿のままスコールが立っていた。ただ、昼間とは違い、ネクタイを緩め、シャツの首元のボタンをくつろげている。髪も普段はきっちり寝癖を直しているのに今はパサパサと乱れており、目も半眼であった。おそらく仮眠でもしていたのだろう。身だしなみに気をつけているスコールらしからぬ姿ではあったがそれでも十数日ぶりに目と目が合ったことに体が強張った。

「な、バッツ?」

一方バッツの突然の来訪に驚いたらしいスコールは重そうだった瞼が一気に開き、目を丸くして一歩後ずさりをした。久々の顔合わせにこわばりを隠しきれていない様子ではあったものの、このままの訳にもいかないのでバッツは近所迷惑にならない程度の声でスコールに部屋の窓を開けてくれるよう頼むと、一瞬躊躇いを見せられたがすぐに解錠し、窓を開いてくれた。開かれた窓から冷房の冷たい空気が肌を撫でてくれて、走った後の汗だくで熱い身体には心地が良かった。

「夜分に悪い!その、今からそっち行ってもいいか?」

スコールの返答がまだであるのに、窓枠を掴んでいた手にグッと力を込めいつでも向こう側へ行ける体制をとる。しかし、スコールはじっとバッツの姿を見ると、すっと視線を逸らし、ぼそぼそと話しかけてきた。

「……何の、用で?」

逸らした瞳は伏し目がちで声は蝉の声や空調の風でかき消されそうなほど小さかった。
まるで怒られるのを怖がる小さな子供のように見えるスコールの姿にバッツはずきりと心が痛むのを感じた。
スコールにそう言わせてしまったのは自分のはっきりしない態度のせいだ。いきなりやってきたその勢いに押されて窓を開けてくれただけで本当は顔も合わせたくなかったのかもしれない。けれどここでスコールを諦めたら、大袈裟かもしれないが一生彼と話すことができない気がした。
幼馴染という関係の居心地の良さに無意識のうちに胡座をかいていて、関係への変化を感じ取ると気持ちがわからないと言ってはぐらかすようなことをしてしまい、その気はなかったとはいえ結果的には不誠実な態度をとってしまった。
遅すぎるかもしれない。一生関係がこじれたままかもしれない。これが最後になるかもしれないけれどせめてまっすぐな態度を示してくれたスコールの前では最後は誠実で、正直にありたいと思った。

「おれ、ちゃんと考えたから!スコールとのこと!その答えを言いたいんだ!おれがバカなせいでスコールを傷つけちまったことも謝りたい!だから、スコールのそばに行きたい!」

言葉をぶつけるかのように強い声でそう言うと、逸らされていたスコールの瞳がすっとバッツの方へと向けられる。怯えたような瞳はそのままではあるが目を合わせようとしてくれている。
大丈夫かもしれない。そう思いバッツはぐっと身を乗り出そうとしたら、自身の意思を無視してくらりと身体が前へと崩れた。

「うぁっ!」
「っつ!バッツ!」

走った後の疲労感と水分不足からか、それとも酒を飲んだ後だからかふらりと身体の力が抜けていく。いくらスコールの部屋と自身の距離が数十センチとは言え、人一人分の隙間はあり、その上引っかかる場所もないのでこのまま重力に逆らわなければ落ちてしまう。まずい。よくて怪我下手すれば死ぬ。そうバッツが思った瞬間、スコールが咄嗟に腕を伸ばして力一杯バッツを押し、部屋の中へと押し戻した。前へとふらついた身体は後方へと倒れ、バッツは部屋の中に倒れこむ。そのすぐ後、スコールが窓からバッツの部屋へと入ってくると、倒れたバッツのもとへと慌てて駆け寄ってきた。

「すまない!外に落ちるよりはと思ったんだ!大丈夫か!」

傍に膝をつき、顔を覗き込んできたスコールにバッツは不謹慎ではあるが自ら近寄ってきてくれたことを少し嬉しく思った。ただ自分の不注意で危険な目にあった後でそんなことは言えるわけもない。それに、今はスコールの心配を取り除く方が先だとバッツは仰向けに倒れた身体を起こそうと腕と腹筋に力を込めた。しかし

「おお、おお……平気。頭は打ってないからだい、じょ?」

先程まで立っていた筈であるのに体にうまく力が入らない。その上頭のクラクラがまだ残っており、若干気持ちも悪い。起こそうとしていた体は起き上がる寸前でフラフラと揺れると、また床へと引き戻されてしまった。
バッツの頼りなげな様に心配そうであったスコールの表情が訝しげなものへと変わる。

「何故そんなにフラフラしている?」

眉を寄せ、半眼で問うスコールはバッツが転んだからその様な状態になったのではないと察したらしい。
神経質で心配性なスコールに事情を話したら間違いなく雷が落ちてくるのは明白であったが表情と状況から誤魔化す訳にはいかず、バッツは視線を泳がせなから正直に白状した。

「その、酒飲んで飯食った後に走ったからかな?今になってちょっとふらついちまった」
「馬鹿かあんたは!」

案の定落ちてきた特大の雷にバッツは反射的にきつく目を閉じ、肩を窄めた。
ぎこちなかった空気がスコールの怒りにより一変してしまい、バッツはスコールに話を、スコールはバッツから話を聞くタイミングを完全に見失ってしまった。
固まるバッツにスコールは盛大にため息を吐き、バッツをかき抱いて寝台へと運ぶと寝かせてやった。

「少し休んでろ。あと台所をかりるぞ」

そう言うとスコールはご丁寧に開いていた窓を閉め、冷房のスイッチを入れてからバッツの部屋を出て行ってしまった。幼馴染ゆえに勝手知ったる他人の家であるので程なくしてスポーツドリンクのペットボトルとコップを持って戻ってきた。
空のコップに半分ほど飲み物を注ぎ入れ、バッツの口元へと当ててくる。飲めということなのだろうと察し、それに甘えて飲むとバッツ自身が思っていた以上に身体は水分を欲していたらしく一気に飲み干してしまった。それを見たスコールはもう一度コップに飲み物を注ぎ、再度口元に当ててバッツが落ち着くまで飲ませてくれた。
水分補給をして人心地がつくとバッツはもういいと制し、スコールは残ったコップとペットボトルをすぐそばのテーブルに置くと寝ているバッツのそばにどっかと座る。座った時に勢いをつけたのはわざとだろう。苛立たせてしまったのは十分にわかっていた。

「話を聞く前に介抱することになるとは思わなかったぞ……」
「ご、ゴメンナサイ……」

低い声を出して呟くスコールに申し訳なさで縮こまったバッツはぎこちない謝罪をする。
大事な話があったはずなのに何故こんなことになったのだろうか。元を辿れば自分が悪いということだらけで撃沈しそうになった。
ただ、おかしな状況が重なった為スコールと以前と同じように話ができるようになったのは不幸中の幸いではあるが。
大人しく横になっているバッツにスコールは小さく息を吐くと背筋を伸ばした。

「横になったままでいい。それで話したいことは?話せないなら一度帰るが……」
「う、うん。それは大丈夫」

出鼻を挫かれたとはいえ話さなければいけないという決意は変わらないし、背中を押してくれた友人達のこともある。そして、これ以上スコールとのことをうやむやにしたくなかった。
こうしてすぐそばにいて話すことの心地よさを久方ぶりに感じたことも大きい。怒らせたり呆れさせたりしてしまったが。ともあれ会話をすることへのハードルが下がったので数分前に感じていた緊張は多少は和らいでいる。落ち着いて話せるだろうとバッツは一度息を吸って吐くと自分の思いを打ち明けた。

「昼間」
「ああ」
「スコールの友達の女の子がスコールに抱きついて、ワイワイしていたのを見てモヤモヤした」
「……そうか」

どうやら思い当たったのだろう。しかしそこで弁明したりしてこないのはバッツが話終わるまで聞き役に徹しようとしているのだと感じた。
バッツ自身もスコールが友人達のじゃれあいの中にいるのだと理解はしている。感じ取ったモヤモヤはスコールと触れ合えることへの羨ましく思う気持ちや嫉妬のようなものだと、そこから触れられない寂しさが募ったのだとスコールへの気持ちを自覚した今なら簡単に理解できる。
自分のことなのに今更わかるとは鈍感にもほどがあるが。

「それで、一人で悩んでいた時もそうだったけど、それ見た瞬間さみしいって気持ちが余計に募って友達に相談したんだ。そしたら、押し倒されてキスされそうになって」
「まて、今聞き捨て……いや、続けてくれ」

キスの一言にスコールの眉がピクリと跳ね上がったが一瞬迷いを見せた後に話の続きを促してきた。好意を抱いている相手が自分以外の誰かに深く接触されそうになったのが面白くないのだろう。スコールがセルフィに抱きつかれているところを見ていなければバッツもその気持ちを抱くことに気がつかなかったかもしれないが。

「あ、土壇場で突き飛ばしたから。キスはしていないからな」
「そ、そうか」

誤解されないように何もなかったことをスコールに伝えるとあからさまにホッと息を吐いたので間違いなかったようだ。
ただスコールも合意がない口づけをしてきただろうという突っ込みはこの際黙っておくが。
本当に伝えたいことはここからだとバッツは胸に拳を当て、グッと心臓に押し付けて心を落ち着かせると、今度こそすれ違わないようにと慎重に言葉を選びながら話しはじめた。

「おれ、スコールとのキスは受け止めたのに、そいつとはできなかった。状況は似ていたのに。それが答えなんだって言われて、自分でもそう思ったんだ。触れ合うのはスコールとじゃなきゃ駄目なんだって。抱きしめあうのも、キスをするのも。スコールのことをずっと大事で好きだとは思っていたけど、その好きが今何なのかようやくわかったんだ」

小さい頃から今まで大切な存在で好きであることに変わりはない。けれどその好きがどんなものか考えたことがなかった。好きという括りの中にスコールがいて、その中には家族や友人がいて、度合いは多少違うがみんな同じ「好き」だと思っていた。けれど、その好きの中にもそれぞれ違いがあることにようやく気付いた。

「スコール、おれもお前と同じ気持ちだ」

そういった瞬間、横たわっていたバッツへとスコールの手が伸び、抱きつかれる。
やはりセシルの時とは違い抵抗する気持ちは湧き上がらない。
スコールの腕の強さ
ほのかに香るスコールの匂い
頬を撫でるスコールの髪
スコールを感じると胸が甘く疼き、とくとくと心音が高鳴っていく。愛おしいと思う気持ちで心臓が爆発しそうだが離れたくない。触れ合っていたい。そう思う気持ちはスコールだからこそなのだと実感した。

「バッツ……好きだ」

耳元で低く呟かれ、バッツはそっとスコールの背に手を回すとスコールが首元から離れ、バッツを見つめてきた。
鼻と鼻が触れ合い、目と目が合う。熱い眼差しにスコールが何を望んでいるのか今のバッツには手に取るようにわかった。

「おれも、好きだよ。スコール」

気持ちを伝えるとこつんとスコールがバッツの額に自分の額を合わせてくる。
顔と顔が、唇と唇が触れ合うか触れ合わないかの絶妙な距離。そっとスコールに頬を撫でられ、顎へと指が滑ると軽く添えられた。

「いいか?」

何を聞いているのかすぐにわかった。
最初のものとは違いバッツの、思いを確認する問いかけは互いの想いを繋げ合う儀式のように思えた。

「……ああ」

小さく頷き、瞳を閉じると唇に柔らかな感触をすぐに感じる。スコールの唇がバッツ自身のそれと重なったのだ。ほんの少しかさついているそれは時折熱い吐息を漏らし、バッツの唇を軽く挟むように食む。濡れた感触は多分舌先だろう。
今スコールと繋がっているのだと思うと熱いものが込み上げてくる。
おずおずとバッツが軽く口を開き、スコールの唇を挟むとお返しとばかりに角度を変えて唇を食まれる。
もっと、もっとと重ね合ったが互いにぎこちない息継ぎをしながらであったので酸欠になりそうだ。

「ん……っ」

バッツが苦しそうな声を漏らすとそれに気づいたスコールがようやく解放し、互いに少し荒い呼吸をして息を整える。
その様が何だかおかしく、いつのまにかお互い笑みをこぼしあっていた。

「キス、気持ちいいけどなれてないからかちょっと苦しいなぁ」
「ああ……それに加えてあんた、少し酒くさい」
「はは。ごめんな」

初めてではないとはいえ、思いが通じあってから初の口づけに酒臭いはなかったかとバッツはごめんとばかりに片目を閉じ、ペロリと舌を出す。
するとその舌先にスコールが食らいつき、互いの舌と舌が絡まりあった。

「んんっ」

先程とは違う深い口づけ。熱い吐息が互いの口内に籠り、息がまだ完全に整っていなかったので苦しい。しかしそれ以上に相手を愛おしいと思う気持ちと触れ合うことへの気持ちの良さが募り、お互いに相手の身体に回した腕の力を強め、密着を強める。
唇が腫れ、酸欠になりそうだと思いながらも止めない。止めたくはない。
もう決して離れまいと何度も繰り返した。


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ようやく互いに手を取り合いました。
次でラストです。


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