少年の爪先立ち

薄暗い店内にカラカラと乾いた鐘の音が響く。
調理場で作業をしていたバッツは手を止めて音の方へと視線を向ける。今日は定休日なので客が来ることはない。ただ、来客の予定があるので鐘の音を鳴らした者は恐らくその客であろう。
バッツは小さく笑みを浮かべ、調理場から玄関が見えるように顔を出すと予想通りの人物が立っていたので明るく出迎えた。

「よぉ、スコール。お疲れさん」

来客は最近ここの常連客となりつつあるスコールであった。
彼はこの近所にあるモデル事務所に所属していることもあり、知り合いとなってから仕事前や終わりに寄り道をしてくれる。珈琲を飲んだり軽食を摂って帰るだけの時もあるが店が暇な時は話し相手になってくれることがあり、彼の来訪はバッツにとって友人の来訪のように思え、嬉しかった。

「客はいないみたいだが来て良かったのか?」

上着を脱ぎながら調理場が見えるカウンター席に着くスコールにバッツは来てくれて嬉しいよと目を細める。

「最近スコールが来てくれても忙しい時が多くてゆっくり話す時間がなかったなぁって思っていたところだからさ。連絡くれてよかったよ。どうせならのんびりしたいだろ?ちょうど定休日がお前の仕事と重なったのもちょうどいいじゃん?」
「ならよかった」

ほっと息を吐くスコールにバッツは笑いかけると「今珈琲出すから待っててくれ」と声をかけ、さっと動き出す。
ほのかに香ばしい香りがする調理場の香りが一層濃くなりスコールは嗅覚を集中させようと目を閉じて息を吸い込んだ。
古い店内は長年客に珈琲を提供しているからかほのかに焙煎された豆の香ばしい香りがただよっている。腰を落ち着け、その香りを味わうと心が落ち着くような気がするのでこの店を気に入っている理由の一つであった。

「お、お疲れか?」
「いや、違う」

瞳を閉じているスコールを疲れからの居眠りだと勘違いしたらしい。珈琲を淹れる手を止めずに声をかけてきたバッツにスコールは首を振った。

「珈琲の香りを嗅いでいただけだ。疲れてはいない。……あんたの方は大丈夫なのか?」
「へ?何でだよ?」
「調理台が普段と変わらず物で溢れているから……俺が来るまで仕事をしていたんじゃないのか?」

ぱちぱちと目を瞬かせるバッツにスコールはカウンター越しに調理場を目で指す。席に着くまで気がつかなかったが調理場が平日と変わらず使われた痕跡がある。スコールは何に使うかよくわからない器具と、果物やリキュール類と思われるボトルが数種類台の上に置かれていた。

「お前、よく見てるなぁ」
「カウンター席を利用することが多いからな」

顔見知り故に気がつかないうちに色々見てしまっていたのだろうとしれっと答えるスコールにバッツは苦笑すると調理台の上に置いていたボトルの一つを掴み、スコールによく見えるように掲げた。

「夜用の新メニューをちょっと試してたんだよ。最近は甘めのカクテルを頼むお客さんが増えてきたからさ、夜用新メニュー開発ってやつだ。けど気楽にしていたから全然だよ」
「なるほど」

だからリキュールボトルや果物が並んでいたのかと納得する。調理器具はカクテルを作るためのもので未成年で酒を飲んだことがないので知らなかった。

「よくはわからないが……色、綺麗だな」
「だよな?見た目華やかだとそれはそれで気分あがるしな。色々試してある程度作る種類を絞れたら知り合いや常連に頼んで評価してもらう予定だよ。それはさておき、珈琲入れたからさ、まずはこれ飲んであったまりな」

ソーサーの上に小さなクッキーを乗せた珈琲が出されるとスコールは礼を言って受け取る。淹れたての珈琲を火傷しないようにそっと口に含んで飲み込むと冷えた体の中にぽっと火が灯ったように身体があたたかくなった。

「美味い」
「はは。いつも嬉しい感想ありがとな」
「……話が戻るがメニューの試作途中だったんだろ?ゆっくりしているから続けるなら構わない」

終わっていたら片付けていたはず。少なくとも器具類を調理台に置いたままにしていないだろう。定休日で客がいないからこそできる仕事があるのは飲食業をしたことはなくともわかる。加えて連絡をよこしたのはスコールの方で、自分のことでバッツはそうは思わないかもしれないが邪魔をするようなことはしたくなかった。

「気にしなくていいんだぞ?別の機会にすればいいことだしこっちはほぼ思いつきだからさ」
「別にそういうのではないさ。見るのも面白そうだからな」
「そっか。じゃあそうさせてもらおうかな?そんなにかからないからちょっと時間くれな」
「ああ」

カップを傾け、クッキーを齧るスコールにバッツはありがとうと微笑むと再びカクテルの試作に取り掛かった。未成年のスコールからしたら何をしているのかも、手にしている器具やリキュールボトルの銘柄もわからないことだらけなのでせめて邪魔にならないよう黙って見守ることにした。バッツは手早くスプーンのようなものでリキュールをグラスに注ぎ三色のカクテルを試作するとグラスを手に持って見やる。どうやら出来具合を確認しているらしくグラスに照明を反射させ、様々な角度からじっくり見た目を確認し、それが終わると口元にグラスを当て、傾けた。今度は味を見ているようであった。

「ん〜美味い。見た目も味も女性客向けだからグラスの種類変えてカットフルーツを添えた方が良さそうだなぁ」

改良の余地ありとバッツは呟くと手元のノートに記録していく。細かい字であった。

「大変そうだな」

普段何気無く頼んでいるメニューがこのように時間も手間も掛けられ開発提供されていると知り、ぼそりと感想を漏らすとそれに気付いたバッツは苦笑を浮かべる。

「そうかな?おれにとっちゃこれが普通なんだけどな。まぁ大変さもそれを感じるのも立場によって違うんだろうな。おれにとってはお前のモデル業の方が大変そうに思えるよ」

バッツは言いつつ出会った時にファンと思しき女性達に追われていたスコールのことを思い出し、それを話題にして笑うとスコールから渋い表情を返される。どうやら話題にされたくないようだとバッツはまた笑うと話題をそらすようにカクテル作りを再開した。

「もうあとちょっとだけ待っててくれよ。終わったら何かつまめるもん出すからさ」
「わかった。けど急がなくていいから」
「へへ。ありがとうな」

バッツは礼をいうと作ったカクテルを試作しながら開いていたノートにペンを走らせる。細かい字で書かれているためスコールにはよく読めなかったがどうやらレシピと味の感想を簡単なイラスト付きで記録しているらしいことはわかった。

(料理や飲み物からわかってはいたが丁寧だな)

仕事としているのでそうであるのは当然なのだろうがバッツの見た目元気が良さそうな青年であるため知ってはいても意外な一面に感じてならない。作ったカクテルを飲み比べながらノートに記録していくバッツを眺めながら出された珈琲をのんびりと傾ける。話しかけたら応えてくれるだろうが集中しているようなので邪魔になってはいけないと思ったからだ。それに加えて普段の明るい様子とは違う静かで、真剣な表情を浮かべている姿を盗み見るのも悪くはなかった。
サラサラとペンが走る音だけが響き、ゆったりと時間が流れる。仕事や学業など普段の慌ただしさからかけ離れた雰囲気の心地よさにスコールは目を閉じる。
心も体も休まる空間を自室以外なかった。それに加えて休み中にも仕事があるにも関わらず自分を招き入れてくれたバッツに心の中で感謝するとバッツの作業が終わるのを待った。



何度かカクテルを試作した後、バッツはノートにまとめると満足げに息を吐き、お待たせとスコールに声を掛けた。呼びかけられたスコールは瞳を開く。

「もういいのか?」
「ああ。というか結構待たせちまっていたと思うけど」

バッツにそう言われ、スコールは店内に掛けられている時計に目をやると思っていたよりも時間が経過していることに気付く。どうやらいつの間にかうたた寝していたらしい。

「……少し眠ってしまっていたようだ。悪かった」
「はは。静かだったし目を閉じていたからそうかなって思っていたよ。仕事終わりで疲れてたんだろ」

気にすんなと笑いながら後片付けをするバッツだったが自分から来ておいて居眠りをするとはとスコールはバツが悪いような気持ちになる。
目をそらし、眉根を寄らせるスコールに何を思っているのかを察したバッツは笑った。

「お前、そこまで気にしなくてもいいんだぞ?それだけうちの店の居心地がよかったってことだろ?」
「押しかけてきたのは俺だ」
「そんな言うなよ。さっきも言ったけど来てくれておれは嬉しいよ」
「そうか……」

慰められいるようで情けないような気もするがバッツが気にしていないと言うのならまぁよかったと気を持ち直す。
こんな風に他者への気遣いを何気もなくできてしまう彼は客商売をしている故か、それとも自分よりも年長者だからか。何にせよ敵わない部分の一つだと感じる。

(まぁそうでなければ若いうちに一人で店を切り盛りなんて難しそうだ)

冷めかけた残りの珈琲を飲みながら洗い物を片付けるバッツの様子を見る。シンクの中から水切りだなへ置かれていく調理機器やグラス類の多いこと。居眠りしている間にも色々試作していたらしいことが見て取れる。

「随分試行を重ねたんだな」

片付けられていく洗い物に視線をそそぐスコールにバッツはまぁなと事も無げに返す。

「最近は写真を撮ったりするお客さんもいるから味も見ためも華やかなものって色々考えちまったよ。写真映えとかそのあたりはスコールのが得意そうだな……」

あくまでイメージではあるが人に魅せる仕事の一つであるモデル業をしているのなら流行や人が何に関心を持つのか敏感そうである。
ただ、スコールの場合未成年であるため頼ることはできないが。

「試してもらうのはスコールが成人してからだなぁ。見た目はバリバリ飲めそうに見えるけど」
「……見た目だけで悪かったな」

バッツの一言にスコールは眉間にシワを寄せると目をそらした。どうやら気にしているところだったらしい。
大人っぽく見えることはバッツからすれば悪いことではないと思うが、どうやらスコールは”年齢不相応”、”老けている”と捉えているのだろう。多感な年頃で繊細な方であるスコールの地雷を踏んだらしい。明らかに不機嫌そうなオーラを放つスコールにバッツは苦笑するとどうやって機嫌を直してもらおうかと思案し、一計が浮かんだのでスコールに呼びかけた。

「なぁ、折角だから飲んでみるか?カクテル」
「え?」

思いもよらない誘いにスコールは唖然とした表情を浮かべる。先ほどの一言の不機嫌から切り替わったらしいスコールにバッツはしめたと内心笑う。

「まぁ一般的に未成年は酒を飲んじゃいけないけどさ、ほらお菓子とか正月のお屠蘇とか、酔わない程度のちびーっと舐めるくらいならいいんじゃないかな?」
「しかし……いいのか」
「まぁおれに任せておけよ。せっかくだしさ」

躊躇しつつも嫌がっていない様子からある程度の興味はあることをバッツは察する。大人になるまでの人は大人がすることに多かれ少なかれ興味をもつ。スコールも例外ではないのだろう。
少し困惑したような表情のスコールにバッツはにっと歯を見せて笑うとキッチンで何やら作り始めた。
冗談ではなさそうなバッツにスコールは止める機会を失い、取り敢えず落ち着こうと椅子を座り直す。

(あの笑みは気になるが無茶なものは多分出さないだろ)

酒と言われるとすぐに思いつくのはビールやワイン類ではあるが先ほどのバッツの言葉から酒そのものをそのまま出すとは思えない。度数が低い、飲みやすいカクテルだろうか?未成年の飲酒の取り締まりは警察の裁量によるところもあり、取り締まりにも限界がある。隠れて飲んでいる者も大勢いるとは思うがあと数年で解禁されるのならわざわざ今飲まなくてもスコールは考えていた。

(人がいないとはいえ出してもいいのだろうか?……けど)

自分の為に調理に立っているバッツに途中で断るのも何だか申し訳ないような気もする。加えてわざわざ今飲まなくてもと思いつつも未成年の自分が大人の特権に触れてみたいという小さな好奇心が少し芽生えていた。バッツと話をしている時、彼が自分よりも年上で大人であると感じさせられることがちょくちょくあり、中々埋められることのない差をもどかしく感じる時がある。飲酒することでその差がなくなることはないが自分が知らなくてバッツが知っている世界を覗くことができることが魅力あることに思えたのだ。

(こう思っている時点で俺は子供だな)

彼への小さな劣等感にこっそりため息を吐くと調理場の彼をカウンター越しに盗み見る。鼻歌交じりで何やら調理にしているバッツはスコールが見たこともない酒のボトルらしき物を棚に戻していた。あれを使って何かを作っていたのだろう。ここからではよく見えないので鼻をひくつかせて何を作っていたのか探ってみようとしたが香るのは香ばしい珈琲の香りだけであった。

(香りだけだと細かくはわからないか)

正体を探るのを早々と諦め頬杖をついて見守っているとどうやら完成したらしい飲み物を持ってバッツは振り返った。

「ほい、お待たせ」

笑顔と共に差し出されたのは先ほどの出してもらった珈琲と変わらない大きさの透明なグラスカップ。熱い珈琲の上にたっぷりのゆるく泡立てられた生クリームが乗っていた。

「これはなんだ?」
「へへーアイリッシュコーヒーってウイスキーが入った甘い珈琲だよ。まぁおやつ感覚で飲めるしお前、珈琲好きだろ」

バッツの言う通り見た目は甘そうな、コーヒーチェーン店で見かけるデザートやスイーツのように飲まれるものと似ている。酒と言われなければわからない。本当に飲んでも大丈夫なのかと聞くとバッツは平気平気と笑った。

「酔いつぶれることなんてまずないからさ。駄目なようならおれが飲むから」
「……そこまで言うのなら」

試しに一口と口をつけると甘い生クリーム、続いて熱い珈琲が流れ込んでくる。珈琲の苦味とクリームと砂糖の甘みと珈琲とは明らかに違う芳醇な香りが口内に広がる。バッツが言っていたウイスキーの香りなのだろう。口当たりがよく、苦味と甘さのバランスが絶妙であった。

「甘い。けど美味いな」
「だろ?寒い夜にはもってこいでさ。一杯の満足感が半端ないと思うんだ」
「……そうだな」

飲みなれたもので作られているのもあって飲みやすい。こくこくと喉をならし、ゆっくり飲むと体がぽかぽかとあたたかくなる。珈琲の香りに混ざる芳醇な香りもどこか心が落ち着く。

(最初はもっと飲みづらく感じるかと思っていたがそうではなかったな。飲んだことがない人間でも飲みやすいようにと作ったバッツのおかげもあるのが)

カクテルの作り方といい自分の知らない世界を見せてくれるバッツ。彼と出会ってから自分の世界が広がるような感覚になるのは手を引くように彼の世界へと誘ってくれるからだ。

(たとえそれがほんの一部だとして新しいものを、知らなかったことを見せてくれるのがバッツで……よかった)

自分の分のアイリッシュコーヒーを美味そうに飲むバッツを盗み見みながらスコールは口元をわずかに緩めた。


時間をかけてカクテルを飲み切るとスコールは空のカップをカウンターの向こうのバッツに礼とともに返却した。

「美味かった。また機会があったら、成人したら作って欲しい」

軽いものと言っていたが飲酒であることに変わりはない。そう思い控えめに次を頼む。しかし

「気に入ってもらえたのならよかったよ。まぁ実を言うとそれ、アルコール入ってないけどな」
「っ、そうなのか!?」

真面目に返した言葉をぶっ壊すかのような事実を述べるバッツにスコールは思わず椅子から立ち、身を乗り出してバッツに返す。その様子を見たバッツはしてやったりの笑みを浮かべた。

「おいおい一応ここは飲食店だぜ?休みとはいえ店の中で未成年にカクテルを出すわけないだろ?それ用だけどノンアルコールのシロップを使ったんだよ」

酔いつぶれることなんてまずないと言っていたのはこれだったのか。迷っていた自分が馬鹿みたいに見えるとスコールは大きくため息を吐き、椅子に座り込む。
初めての酒を知ることに加えて生真面目なスコールがルールを破るようなことはかなりの大冒険だったのだろう。騙されたことに項垂れる姿にバッツの中で罪悪感がわずかに芽生えたがそれ以上に雑誌で見かけるような澄ました表情よりも年相応の反応を見せる方がやはり好きだと改めて思った。

「まぁ騙しちまったのは悪かった。お前が成人したら存分に振舞ってやるからさ。それまではこれでってことで。うちはノンアルコール飲料も取り揃えておりますので」

笑顔とともに今後ともご贔屓にと言うと恨めしげな視線を向けて来られる。また新しい表情を見ることができて嬉しくあるがそれを言ったら余計に機嫌をそこなうだろう。

(さて、もっと見てみたいけど悪くしちまったのならもどさなきゃな〜)

笑い声がこぼれないように肩を震わせて耐えながらお詫びに彼の好物であり初めて振舞ったトーストサンドイッチでも作るかとバッツは腰を上げたのだった。


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(なんてことない日常の一幕をこちらの設定で書きたかったのです。たまに少し意地悪なバッツさんもいいと思うのですがいかがでしょうか?)


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