泡沫の結晶 -2-

名前しか憶えていない青年を連れての旅は予想をしていたよりも困難ではなかった。
その理由は敵襲が少なかったこと、<バッツ>自身は頼りなげではあるが自分に合わせて旅に同行できるくらいの体力をきちんと持ち合わせていたからだ。
ただ、何もかも順調であったわけではない。<バッツ>が名前以外の記憶がほとんどないためか、危険を察知し、対処する能力に若干欠けがちであり、初めて野宿をした時、食事や暖をとるために準備したたき火を平気で触ろうとしたり、目を離すと崖のすぐ傍に立っていたり、轟々と水が流れる川を平気で渡ろうとしたこともありそのたびにバッツは慌てて彼を止めるといった場面が数回あった。
それでも注意をきちんとすれば聞き入れてはくれるのでいずれはそう言った行動はしなくなると思われるのでこちらはバッツ自身が目を離さなければ問題はなさそうである。
そうなると今後の問題は敵襲である。<バッツ>は体力こそはあれど戦う術を持ち合わせていないようであった。イミテーションとの戦いに巻き込まれないように敵の気配を察すると<バッツ>には安全な場所に隠れてもらい、自分が戦うようにしているのだが<バッツ>にその火の粉が降りかからないように戦うのは自分一人だけの戦闘よりも苦労をした。イミテーションが<バッツ>を攻撃することは今までなかったのは幸いではあるがこれからの旅もそう上手くいくとは限らない。

「(今までがラッキーなだけだったのかもしれないよなぁ…手は掛かるけど大きなトラブルはなかったし…)」

自分の少し後ろを大人しくついて歩く<バッツ>をちらりと盗み見しながらバッツは心の中で呟いた。
数日の間で<バッツ>はバッツから離れてはいけないことをきちんと学んだらしく、最初の頃のように何か興味惹かれるものがあってもバッツに聞く前に触ったり近づいたりはしなくなってはきている。ただ、表情の乏しさは相変わらずで何を考えているのはか未だによくわからない。
表情をほとんど変えず、片言でしか話さない。しかもその話も自分から振ってくることはほとんど無く、バッツからの質問に簡単に答えることが大半であった。悪さをする様子は見られないのでカオス軍の仲間ではないとは思うが自分に瓜二つのこの青年が何故自分の目の前に現れたのかはずっと気になっていた。

「(こいつの出現はやっぱりカオス軍に関係しているのかな?…無表情っぷりはイミテーションにちょっとだけ似てるけどやつらと違って闘争心だけで動かされているって感じはしないんだよなぁ。聞けば何かしら答えてくれるし危害を加えられたこともない…似てるようで違うんだよなぁ…)」

イミテーションは目の前の敵、コスモスの仲間達をただ倒すために動いているかのようだった。<バッツ>がカオスの駒であるイミテーションなら自分を倒そうとするだろうがそのような素振りは一切ない。そうなるとイミテーションではないことになるが…仲間達の姿を模したイミテーションと彼はどこか似通っている。ただの杞憂で済めばいいのだがとバッツがあれこれ考えていると視線を感じたのでそちらに目を向けると<バッツ>がじっと顔を見つめていた。

「ばっつ?」

小首を傾げて名前を呼ぶ<バッツ>はやはり表情から感情は読めなかったもののなんとなくではあるが、自分を心配しているように思えた。黙りこくって考え事をしていた姿が見慣れないものだったので気になったのだろう。イミテーションならこんな心配しないよなぁとバッツは自身の心配を振り払うかのように頭を振り、見つめてくる<バッツ>の頭を撫でてやった。

「悪い悪い。ちょっと考え事していた。そうだ、そろそろ腹減ったよな?歩き疲れたし、今日はここいらで休むとしようか?」

バッツがそう提案すると<バッツ>は小さく頷いてきたのでバッツは笑みを浮かべてよし、と頷いたのだった。
野営の準備がしやすい適当な場所を見つけると、二人はさっさと準備を始めた。複雑な作業を苦手としている<バッツ>に暖房兼調理用の火に使用する薪を集めてもらい、その間にバッツは手早くテントを組み立てた。寝る場所の準備を整えると今度は夕餉に必要な食材を準備をする。道中収穫した木の実と偶々見つけた無人の民家の台所と食材を拝借して作っておいたクッキー、あとは山菜を使った温かいスープでも用意できたらとバッツが考えているとすぐ近くの草むらが僅かに音を立てて揺れた。そちらの方へバッツは目線だけ動かし確認すると一匹の野兎が草を食んでいた。

「(…よし)」

動きを最小限にし、目標物を確認する。兎は狙われていることに気付いていない。荷物袋の中にあるナイフに手を伸ばし、鞘を抜くと素早く体を捻り、ナイフを投げた。バッツの動作に兎はようやく自分のすぐ傍に何者かがいる気配を感じたが遅かった。兎に向かって一直線に飛んだナイフは一寸も狂うことなく目標を捕え、突き刺さった。

「晩飯確保っと…」

バッツは草の上の倒れた兎を確認すると息を吐きながら立ち上がり兎の方へと向かった。兎は即死ではなかったが数回ピクピクと身を震えさせるとやがて動かなくなってしまった。自分が生きる為とはいえ、この瞬間は嫌なものだと思いながらバッツは跪くとナイフを丁寧に抜いてやり、胸に軽く手を合わせて弔う。そして事切れた兎を手に取ろうとしたところで背後に気配を感じた。振り返ると<バッツ>が立っていた。

「お、おかえり。ご苦労さん」

薪を集め終わったらしく、両手に薪を抱えた<バッツ>に労いの言葉を掛けてやったが<バッツ>は何も答えず、地に伏せた兎を凝視していた。

「…うご、かない?」

小首を傾げて問うてきた彼は表情は普段とほとんど変わっていないものの瞳が揺らいでおり少し動揺しているようだった。
生き物の死に直面した記憶すらないのか、それとも初めてなのか。そのどちらかはわからないが死に対して何か恐怖や不安のようなものを感じているのだろうとなんとなく察しがついた。
これから旅する中で自分達が生きるためには生を奪う場面にいずれは直面する。ここは変に誤魔化したりはしない方がいい。バッツはそう思った。

「…ああ、死んだんだ」

動かない兎を<バッツ>に向かって差し出すと彼はそろそろとバッツのすぐ傍に近寄るとそっと手を伸ばして触れた。つい先ほどまで生きていた兎は温かかったが開かれた瞳は濁った色をしており体はぴくりとも動かない。
<バッツ>は傷口にもふれ、指先を血で赤く濡らすとその赤をじっと見つめ「し…」と呟いた。彼なりに死について飲み込もうとしているかのようだった。

「…わかるか?」

バッツが聞くと<バッツ>は数回兎を撫でたり、触れたりを繰り返しながらようやく「…うん」と頷いた。

「こいつの命は散ってしまったけど、おれたちがその命を頂いて、生きるんだ」

そう言うとバッツは<バッツ>の頭を撫でてやった。
バッツの言葉に<バッツ>は兎から手を離すと一度小さく頷き返した。どうやら彼の中で整理がついたらしい。子供のように見える彼にどう伝えようか少々困ったが、バッツが思っているよりも彼は聡いようだ。自分に似た姿をした青年に対してこう思うのもどこかおかしいが。

「よし。じゃあこの野兎は今日の晩飯のスープに入れるな?折角お前が沢山薪を集めてくれたから腕によりをかけるよ」

そう言うと<バッツ>は「うん」とまた頷いた。
普段通りの彼の返答にほんの少しだけバッツは安堵した。



夕食は屠った野兎を使ったスープと木の実、クッキーをあぶって温めたものを用意した。甘酸っぱい木の実と素朴な味がするクッキーも美味かったが新鮮な肉と山菜の旨味がたっぷり引き出されたスープは特に美味くバッツは舌鼓を打ちながら、黙々と食べている<バッツ>に感想を聞くと彼は二、三度瞬きをして考えた後に「おいしい」と返してきた。
返答は相変わらず遅い上に表情はあまり変わらないものの、嘘やお世辞を言うタイプではないと思っているのでバッツは「そっか」と笑顔を見せるとその後はあまりしゃべらず食べることに集中した。否、集中しているように見せていた。
野兎の一件は<バッツ>にそれほど暗い影を落としていないように見える。
言動で判断していたつもりはなかったのだが、成人した身体の割に幼子のような言動であったため生命の死と連鎖に恐怖を抱かないか心配していたのだが、思っていたよりも彼は自分の目で見た物、感じた物を理解し、受け入れているようだった。
生きていくためには時として命を奪い、奪われることがあることをこれから感じていく機会が増えてくる。
今回のようなことだけでなく、自分達も奪う側から奪われる側に回ることも、その逆も…それを少しずつ、ゆっくりとこれから理解していかないといけない。口に含んで飲み込んだスープが胃にほんの少し重く感じたのだった。



夕食を終え、片づけを済ませると毛布を防寒着代わりにして焚火を間に向い合せになって座り、眠るまでの間の休憩をとる。
バッツは武器の手入れをしながら旅暮らしで得た知恵を<バッツ>に話して聞かせると、ところどころでわからないところがあったのか、<バッツ>はそのたびにバッツに質問をした。
ナイフとダガーの違い、星座の見方、目的地への方角を確認するために東西南北を見ることなどまるで子供と会話をしているようだとバッツは感じながらも出された質問には丁寧に答えた。
体が大きくはあるが<バッツ>が簡単な受け答えしかできないのは記憶喪失以外にも年齢分の経験や知識を得る機会がなかったのかもしれない。その訳は少々気にはなったが素直に話を聞いている姿を見ているとどうでもよくなってきた。
バッツは大人しく話を聞いていた<バッツ>に「わからないことがあったらこれからは何でも聞けよ」と頭を撫でてやると<バッツ>は小さく頷き返した。その姿にバッツは笑みをこぼす。

「目的地である秩序の聖域についたらコスモスや他の仲間達にお前を紹介しなきゃな」
「なかま…?」

なんとなくバッツが呟いた言葉に<バッツ>は再び小首を傾げた。先程「何でも聞け」と言ったが早速かとバッツは目を細める。

「おれと同じようにある物…クリスタルを探している奴らだよ」
「なかま…くりすたる…」
「わかるか?」

顔を覗き込みながら聞き返すと、<バッツ>は"クリスタル"と"仲間"二つの単語を繰り返し呟いていた。単語を繰り返している<バッツ>は解らないわけではなく、どこか確認をしているかのように見えたので彼の返答をのんびり待つと、やがて自分の中で納得したのか<バッツ>はバッツに目を合わせて小さく頷いてきた。

「なかま…ばっつのなかま…くりすたる、さがす」

たどたどしくはあったが<バッツ>はバッツの話を理解したようだ。
クリスタルを探し、この戦いを終わらせ、世界を救う。コスモスとその仲間達の共通の目的である。
本当はコスモスに<バッツ>が何者であるのかを教えてもらおうと思っていたが今となってはどうでもいい。たとえ他の仲間達が彼を不審に思ったとしても、たとえ数日間とはいえ彼と共に過ごしてきた自分が大丈夫だと思うのだ。守ってやれば何とかなるだろう。
<バッツ>はもう仲間だ。
自分がそう思っているのだから何も問題はない。バッツはそう改めると何度も「仲間」、「クリスタル」と繰り返し呟いている<バッツ>の頭を撫でてやった。

「ああ、そうだよ。お前が仲間になったらみんなと一緒に探すんだ…っとおれにとってはお前はもう仲間だ。だからお前もみんなと同じ仲間だよ」

一緒に進もう。その意味を込めて何度も頭を撫でる。

「うん」

小さな声ではあったがはっきりと答えた<バッツ>にバッツは柔らかな笑みを浮かべるとそろそろ休もうと<バッツ>に休息を促した。
彼と共に秩序の聖域に向かう。この目的は変わったものの必ず二人で到達しよう。そう決意を新たにした。


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