Blaue Rosen -14-

目を覚ますと静かな朝だった。
小さな村の穏やかでささやかな朝は生まれてから何度迎えただろう。

けれどいつもの朝ではない。

全身に倦怠感を感じたが、何とか起きあがり周囲を窺うと自分たちを襲った者の姿はなく、少し離れた所に横たわった姉の姿が目に入った。

白い肌が朝日にさらされ、陶磁器のような艶を放っていたが、生気が全く感じられない。
重い体を動かして姉の傍に屈みこむと、そっと頬に触れた。

とても冷たかった。

無言のまま物言わぬ姉を掻き抱き、答えることはないとわかっていたが声をかけた。


-- 帰ろう・・・。


静かになった村には生存者の気配はなかった。
通りに横たわった人たちは既に息がないのは明らかで酷いものは原型を留めていないものもあった。
小さな村なので全員が顔見知りだった。

昨晩両親と別れた場所まで歩いていくと見慣れた服を着た男女の死体が目に入った。

父親と母親だった。

抱いていた姉を横たえると寄り添うように倒れていた二人の傍に膝をつく。
ふたりとも血と泥にまみれていたがまるで眠っているかのような顔だった。

僅かな可能性に縋るように息がないかを確認したがもう二人はここにはいないのだという事実を思い知らされただけだった。

ふと、父の懐が歪に膨らんでいることに気が付いた。

探ると出てきたのは先日撮った家族写真だった。
これだけは失くすまいと持ち出したのだろう。

写真の中に写っている家族はもうここにはいない。
自分を残して遠くにいってしまった。

もうみんなで思い出に浸ることもない。
いつかの日の話をすることもない。
もうだれもいない。

当たり前で幸せだった日々はもう帰ってこない。

残酷な現実に瞳の奥が熱くなり、頬に涙が伝う。
こぼれた涙が写真に一粒、また一粒と落ちた。

涙と声が枯れるまで、ただ、ただ、泣いた。






青い薔薇が咲き乱れる花壇でスコールは鋏で花を切った。
足元のバケツには大量の青い薔薇の花束が生けられている。一束は写真の傍に飾るように、もう一束は未だに目を覚まさない青年のために切ったものだ。

あの夜大量にバッツの血を啜った後、スコールが我に返ると押し倒していた青年は青ざめた顔でぐったりとしていた。
最後の最後までスコールの背に手を回し、わずかに微笑みさえ浮かべていた彼を見た時に、自分はとんでもないことをしてしまったと動揺した。

血への渇望を抑えきれなかった。
自分を包み込んでようとした人に対して我を失い、欲が満たされるまで喰らいついてしまった。

なんとかこの青年の命を繋ぎ留めなければと思ったがどうすればいいかわからず一人取り乱しそうになったところで慌てた様子のジタンが転がり込んできた。
後に聞いたのだが、部屋に帰ってきた時にバッツがおらず、探しに来てたまたま自分たちを見つけたところだったらしい。
ジタンはスコールとバッツ、2人の姿を見てすぐに状況を察し、バッツを部屋に運ぶように大声で促した。
意識のないバッツを部屋に運んだ後、処置のほとんどはジタンが行った。
自分はと言えば彼の指示に従い、後はひたすら彼が目覚めるのを待つくらいしかできなかった。

彼に救われた自分は何もできなかった。

自分だけが生き、自分を助けようとしたバッツは生死の境をさまよっている。
せめて自分にできることは青い薔薇の花を彼のすぐそばに活けてやることだった。
彼が綺麗だと言ってくれた青い薔薇。気に入ってくれていた花を傍らに置くことで、彼をここに繋ぎ留めてくれるようにと願いを込めた。

けれど彼は・・・まだ目覚めていない。

今日で十日目。もしこのまま彼が、バッツが目覚めなかったら。自分に触れてくれたぬくもりを自分の手で壊してしまったかもしれないと罪悪感で心が痛んだ。

--生きてほしい。

彼からの言葉をそのまま彼に望んでいた自分がいた。
最初はただの興味本位と責任で連れてきた青年を・・・。

失って、失いかけて気付き、二度と味わいたくもないあの日の出来事を自分で繰り返してしまうとは自分はなんて愚かなのだろうか。
自己嫌悪に陥り、苦いものが胸に広がる。紛らわせるかのように薔薇の花を切ろうとした手を止め、気を鎮めようと掌で胸を押さえて俯いた。


ふと足音が一つ聞こえてきた。
何度も聞いたそれはスコールには誰の足音かわかっていた。ジタンだ。
そろそろ交代の時間ではあるが、今までずっと自分が代わるまで青年の傍から離れず看病をしていたはずなのに、何故此処に来ているのだろうか。

「・・・なにかあったのか、ジタ・・・」

俯けていた顔を上げ、彼の姿をみて訳を聞こうとしたところで 瞠目した。

ジタンの背には自分が傍から離れるまで眠ったままだった青年が起きてこちらを見ていたからだ。
起きる気配がなかった彼が真っ直ぐと自分の方を見ている。
閉じられたままだった瞳を開き、自分を映しだしてくれている。

生きて、目覚めてくれた。

スコールは思わず彼の名前を呼び、傍に駆け寄ろうと一歩踏み出したところで留まった。
元はと言えば自分が彼の命の灯を消えるか消えないかまで追い込んでしまったことに原因があるのだ。彼の名を気安く呼べるわけがない。

スコールが押し黙ると、ジタンはふっと困ったような表情で息を吐き、バッツを背負い直してスコールに近づいてきた。

「よぉ。」

バッツを背負ったまま、ジタンがいつものように挨拶をしてきた。
少し気が抜けたような、砕けた挨拶は自分を安心させようとしているのだと感じる。
長年共にいたためか、自分の感情を読み、そして気遣ってくれているようだった。

「バッツがお前に会いたいって言ったから連れてきた。ここじゃなんだからさ、庭の東屋の方へ移動しようぜ。」

それだけ言うとジタンは背を向けてすたすたと歩き出したのでスコールはやや遅れて二人について歩き出した。
少し距離を置いて歩いているためか、ジタンにおぶさられているバッツが何度もこちらを振り向きながらスコールがついてきているかどうかを確かめている。
顔色はお世辞にもよくはなかったが意識がはっきりしているようで安堵したものの、彼をここまで衰弱させてしまった原因は自分であるので顔を合わせるのは気まずく、内心複雑だった。


庭園内の東屋に着くと、ジタンはバッツを席に座らせ、巻いていた毛布をひざ掛け代わりに掛けてやった。

「寒くないか?」
「平気だよ。これで十分。」
「起きたばっかなんだから無理はするなよ。ったく。男をおんぶするのはもう勘弁だ。重いし柔らかくないしいい匂いもしない・・・。」

ぶつぶつと文句を言いながらも、自分の世話を焼いてくれたジタンにバッツは礼を言うとジタンは尻尾を一度揺らして背を向けて歩きだした。

「オレは薬と飯の準備をしてくる。バッツも目覚めたばかりで腹がからっぽだろうから重湯でも準備するよ。オレはもうおんぶは嫌だから、スコール、後は頼んだぜ。」

スコールとすれ違う時にそう言うとジタンはひらひらと手を振って行ってしまった。
どうやら気を遣って二人だけにしてくれたのだろう。ただ、ジタンがいなくなったとたん二人の間に流れる空気が何とも重苦しい物になってしまった。

スコールもイスに腰を落ち着けてきたが、距離を置いて座っている。
バッツはバッツでスコールの家族写真の一件について何の謝罪していない上にスコールが黙ったまま顔を俯けて座っているので話しかけづらい。
まるでお互い距離を置いていた、出会った頃のようだと思いながらバッツは視線を彷徨わせ、どうしたものかと考えあぐねる。

「(・・・会いたいから無理やり連れてきてもらったけど、気まずいなぁ・・・。)」

スコールに拒絶された時のことを思い出すと話しかけるのが非常に躊躇われる。スコールが瀕死状態の時は彼を助けたいがために勝手に口と体が動いたのだが・・・あの時の自分の勢いが戻ってきて欲しい。
数分も経っていないが、数十分、数時間も感じられる沈黙に、いつまでもこうして黙り込んでいるわけにはいかないだろうと、バッツは意を決して、スコールの方を向いて話しかけた。

「スコール・・・あの・・・。」
「すまない。」

自分が謝ろうとする前に逆にスコールから謝られてしまった。突然の謝罪に謝るのは自分の方だと思っていたバッツが当惑するとスコールは顔を伏せたまま掠れた声で話を続けた。

「俺は、あと少しであんたに取り返しのつかないことをしてしまうところだった。・・・血への欲望を抑えることができなかった。」

あの晩、スコールは極度の飢餓状態に陥っていた。
確かに自分はスコールに大量の血を吸われたために今まで眠っていた。
しかし、今のように苦しい思いをして欲しいわけではなく、ただ生きていて欲しかったから自分は彼に身を差し出した。そのことについては後悔はしていない。むしろこうしてスコールが生きていてくれていることに安堵している。

バッツは重い体を何とか動かし、離れて座っていたスコールの方へと寄った。
肩が触れるか触れないかまでのところまで寄ると、スコールの身体が一瞬びくりと動いたが、気にせずに腰を落ち着けた。

「スコール、そんなこと、言わなくていい。」

顔を俯けているスコールの顔をのぞき込むようにして言うと、彼ははじかれたように顔を上げ自分の方に顔を向けた。

久しぶりにスコールと正面から目が合ったような気がした。
綺麗な、青い双瞳が自分に向けられてる。彼が育てている青い薔薇を思わせるような綺麗で深い瞳だった。
バッツはスコールを真っ直ぐと見つめると、やがて一度小さく首を振った。スコールに、このような謝罪をして欲しくなかった。

「お前は、悪くない。謝る必要なんかない。」
「しかし俺は・・・。」
「お前は生きようとした。ただ、それだけだ。」
「俺はあんたの命を奪うところだった。」

血の気を失い、白い顔をしてたバッツ。
大切な人達を失ったあの日と重なった。

自分は、あの時の魔物達と同じことをしてしまったのだ。
生きるために人の血を吸ったことは何度もあるが、自分が人として在るために命を奪ったことは一度もなかった。
それなのに何の躊躇いも、見返りもなく身を差し出した青年の命を自分は奪うところだった。

自分の中の魔物に自分は負けてしまった。

痛みに耐えるかのように顔を歪ませ、胸に手を当てるスコールにバッツはもう一度小さく首を振ると諭すかのような穏やかな声で話しかけた。

「おれは今生きている。それにおれ自身はそのことについてお前を責めるつもりはない。責めているのはお前だけだ。」

バッツはスコールの肩に触れると空を仰いだ。

空に舞っていた鳥が羽を休めるためか、それとも実を啄むためか、木に留まった。
鳥が留まったことで、木々が揺れ、数枚の葉がひらひらと地に落ちる。
葉が落ちた先の地には沢山の花が咲き乱れていた。

沢山の生命がここに溢れている。命と命が触れ合っている。

バッツはその光景に目を細めると、スコールの肩に手を置きながら話を続けた。

「スコール、命は他の命と触れ合うことで成り立つ。互いに助け合い、慈しみあって生きるのはとてもいいことだと思うよ。けどさ、生きるために、自分や大切なものを守るために何かを傷つけて時には犠牲にすることは誰にでもあるさ。」

自分がここにきたのは、村人が自分や大切な人や物を守るために自分をスコールへの生贄の身代りにしたことがきっかけだった。
生きるために何かを犠牲にすることは沢山ある。

「お前は生きようとした。死にたいと言っていたけどお前は生きることを選んだんだ。だからここにいる。そして、おれはお前に生きてもらいたかったから、これでよかったと思っている。」

木に留まっていた鳥が空へと飛び立つ。
その勢いでまた枝が揺れ、葉と、啄んだ木の実が地に落ちた。

「もし、ただ血への欲望だけに駆られていたとしたら・・・おれはここにはいなかったと思うよ。お前はちゃんとお前を持っていたからこそおれをここに繋ぎとめてくれたんだ。生きることを選んだのなら・・・精一杯生きろ。」
「俺は、生きていても・・・。」

何かを言いかけて口ごもるスコールにバッツは肩においていた手で小さな子供を慰めるかのような優しい手つきで背を擦った。

遠い昔に負った、深い傷は簡単に癒えるものではない。深ければ深いほど、傷が癒えるのに時間がかかり、そして完全に癒えることは不可能に近いだろう。
けれど、彼が負った傷がほんの少しでも軽くなり、幸せだった日々のことを思い出すことが苦痛にならないようになってもらいたい。
一人孤独に震えたままではなく、ぬくもりに触れ、寄り添うことができるように・・・心の底からそう思いながら言葉を紡いだ。

「・・・これから先も今みたいに迷い、苦悩することがあるかもしれない。けど、おれたちは同じ時代を生きているもの同士なんだからさ、ちょっとは頼ってくれよ。お前一人だけじゃないんだから。」

バッツの言葉を聞き、スコールは俯いた。
表情は見えないため何を考えているのかは読みとれなかったが、彼が纏う雰囲気がいつもの、距離を置き、どこか壁を作っているようなものではなかった。
ほんの少し、彼の中に隠れていた本来の彼に出会えたような気がした。
冷たくて、そっけない印象を与える彼とは違う。写真に写っていた柔らかな雰囲気の青年からはまだ遠いけれど、少しだけ近付けたようなそんな気がした。

「・・・おれ、お前のことを少しはわかって、近付けたと思っていたけど、全然だったな・・・ごめんな。」

謝罪するバッツにスコールの髪がわずかに揺れた。首を振ったのだろう。
バッツはスコールの背から手を離し、重い体を起こして座りなおした。

気がつけば、心地よい風が吹き、自分たちを見えない波で包んでいる。

「風が気持ちいいな。」

羽ばたいた小鳥の行方を目で追い、草木の揺れる音を聞き、咲き乱れる花の香りを楽しみ、頬をなでる風を感じる。

「今、この場所でおれはお前と同じ時を過ごせて嬉しいよ。」

花が咲き乱れる庭園で穏やかな時間と傍にいる青年の存在を感じながらバッツは瞳を閉じたのだった。


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