彼女は加害者だ。けれど本人は決して悪気はない。無自覚だった。それなら尚更、質が悪い。俺と彼女は所謂主従関係で結ばれていた。パートナーと主人。そんな関係だとしても、そこらのトレーナー達よりはずっと絆は深かった。
彼女は俺に絶大な信頼を寄せていて、俺も彼女を何よりも信頼していた。だから俺はこの関係がすごく誇らしかった。そう、俺が彼女に恋心を抱く前は。その想いにうっすらと気がつき始めたとき、もはや何よりも深い信頼関係では満足することができなくなった。
絶大な信頼ではない、もっと深くて燃え滾るような想いが欲しい。そんな思いが胸に渦巻いて間もない頃、彼女に恋人ができた。勿論、彼女は至極嬉しそうだった。長年一緒にいた俺が初めて見た女の顔。
その姿に俺の想いが強くなるのはそう難しいことではなかった。愛しいという想いが煌めくのと同時に、彼女の恋人である男への激しい憎悪に火がついた。男が視界に入るたびに歯ぎしりがした。
 何度夢の中であの男の息の根を止めただろうか。俺にとって、あの男を殺すのは赤子を泣かせるよりも簡単だ。バトルで培ってきた己の牙で男の喉を引き裂いてやればいいのだから。
けれど例え夢の中で何度男を殺したとしても、現実ではのうのうと彼女の隣で愛を囁いているのだ。以前は彼女の隣に俺がいて、彼女の優しさを俺が一心に受けていたのに。

 そして今日、彼女と男の結婚式。夫婦の契りを交わした日。忌々しくて、虚しくて、普段では視界に入れると心が和らぐ彼女の姿も、今は目を背けたかった。彼女が幸せになる為に、本当の自分を俺は何度殺しただろうか。
自分の欲を満たそうとする俺を殺したのは、彼女の優しさと俺の純粋な彼女への愛だった。ひたすら心の奥底で彼女を愛でる想いが懸命に本当の俺を消していた。本当は滅茶苦茶にしてやりたかった。本当は主従関係だって壊してやりたかった。
彼女と男の仲をズタズタに引き裂いてやりたかった。そう、本当の俺は飼いならされた獣なんかじゃない。本来、自分の欲望に素直で本能に従う獣だ。

『ヘルガー、おいで』

 ふわりと耳に残る優しくて寂しい声。彼女は以前とは変わらない笑みを浮かべて俺のそばに寄り添った。真っ白なドレスは彼女の今の心境を具現化したようにも感じた。

 彼女は加害者だ。けれどその凶器はあまりにも儚くて鋭い優しさだった。彼女は今日も俺に凶器を向ける。

『今まで、私を支えてくれてありがとう。今、すごく…すごく幸せだよ。これからも私のそばにずっといてね……ヘルガー大好きだよ』

優しくて残酷で、嬉しくて悲しくて、幸せで不幸せで、彼女を殺すことは俺には無理でも彼女はいとも簡単に俺を殺してしまう。彼女の抱擁は優しさゆえに辛かった。以前は至福に感じた彼女の優しさは、今では俺への凶器となっていた。

 夢の中で何度男を殺しても、現実では生きている。それと同じように俺も何度殺されて死んでも、また明日には優しくて残酷な日々が訪れるのだ。




(20110819)
素晴らしい企画サイト「そろり」様に提出させていただきました。
魅力的なお題を書かせていただいて本当に幸せです。
ありがとうございました!
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