10

「この道…さっき通ったよな…?」
「ああ、あの絵画見た気が見た気がするぞ。なぁ冴木」
「気のせいじゃなくて確かに見たわ、ちなみにこの道通るの四回目よ」

かれこれ三十分は歩き続けている冴木と二人の鬼滅隊隊士…。

「本当に鬼が居るのか?」
「鎹鴉はそう言ってたわ、あの子達が間違う訳ないじゃない」
「確かにそうだが…」
「それに鬼が出ると確かだから水柱の冨岡様も来てくれると聞かされたじゃないか」
「あぁそうだったな。水柱様が来るまで死なないように気をつけよう」
「縁起でも無い事言うなよ」

冴木らはとある町の外れの小高い丘に立つ洋館に出る鬼を退治せよと鎹鴉から伝令を受けてここまでやって来た。そこは外から見ると鬼が巣食っているようには見えない綺麗な洋館で中もそれは立派なものだった。まるで政府の役人でも住んでいるかのような内装だし飾ってある絵画や置かれている家具はどれも高価そうなものばかり。冴木らは警戒しながら屋敷の奥へと進んで行くが、はじめはなんて広い屋敷なんだろ思っていたがどうもそうではない…確かに外から見ると大きな洋館だったがだからといってこんなに長い真っ直ぐな廊下がある訳がない。可笑しいと思い右に伸びる廊下に進むとそれからは迷宮のように複雑に道が交差し結局冴木達は迷ってしまった。

「…くそ、これは血鬼術か」
「あぁ、姿が見えないから油断していたな」

先程から異様な空気が漂っていたのは事実だが歩けど歩けど鬼が出てくる気配がない…だから油断をしていたが既に三人は鬼の血鬼術に掛かってしまっていたようだ、この迷宮のような屋敷の内部は鬼の術により変化したものなのだろう。鬼は三人を迷わせて一生この洋館から出さないつもりなのだろうか、ならば早く鬼に遭遇しそれの頚を斬ってしまうに限る。

「見て、血が」
「鬼が食った人のものだな」
「ならば鬼にも近くなったはずだ」

更に休まずに進んでいると廊下の壁には飛び散った血しぶきが残っていた。間違いなく鬼は近くに居る。三人は一際意識を集中させて道を進んで行くと。

「キャアアアアアアアア」

突如女の叫び声がした。

「女の悲鳴?!」
「生きた人間の声だ!!」
「急ごう!!」

迷い込んでしまった人の声だろうか、はたまた屋敷の人間の声だろうか、分からないが生きた人間の声である事は間違いないと隊士の一人は気付いた。彼は冴木と仲の良い後輩善逸のように聴力に長けているからそれが鬼のものなのか人のものなのか姿を見ていなくても声色で判断ができる。生きた人間ならば急いで向えば助ける事が出来るかもしれない、三人は声が聞こえた方向へと走り出す。だが。

「どうした冴木!何故立ち止まる?!」
「二人とも気をつけて!」

フと自分達以外の気配を感じた冴木が立ち止まり二人も慌てて振り返る。だが冴木が刀を手にし構えた途端。

「貴様らァァァ!!!」

ビリビリと空気が変わった。一匹の鬼が突然現れ先頭に立っていた隊士に爪を立てたのだ。

「鳥の呼吸壱ノ型、波山ノ羽音」

しかしそれと同時に冴木が技を出した為隊士は頬を一筋斬られただけで済んだ。三人とも体勢を整える為に鬼から離れ其々の呼吸を出す構えをする。

「炎の呼吸弐ノ型、昇り炎天」

隊士の一人が向ってきた鬼の腕を切り落とし鬼は悲鳴を上げたがそれはすぐに復活し、ギロリと恐ろしい表情で三人を睨みつけながらギリギリと歯を食いしばった。

「…貴様らも、俺から全て奪うつもりか、金も、家も、土地も、なにもかも、」
「俺達はお前から何も盗るつもりはない!ただお前を討ちに来たんだ!」
「そうか…ならば一人残らず喰ってやるわ鬼狩り共がァァァ!!」

鬼はビリビリと鼓膜が痛くなるような大声を上げて冴木ら三人に飛び掛る。

「風の呼吸壱ノ型、鹿旋・削ぎ!!!」

隊士が攻撃を出し小さな竜巻のような風を巻き起こしながら鬼に向うが鬼は高く飛び上がり天井から釣り下がっていたシャンデリアに乗った。

「はははははは!!!鬼狩りにはやられぬぞ馬鹿めが!!!」

冴木はキッと睨みつけながら鬼を見上げた。鬼は三人を見下ろしながら高らかに笑っている。早く悲鳴を上げた女性の下に行かねばならないのに…だがその時、冴木はハッとする。その鬼は子供の頃に見た本に載っていた…そう、確か狼男と言ったか、半狼半人の西洋の怪物のような出で立ちだった。だがその顔に見覚えがある。声もどこかで聞いた事がある。鬼に知り合いなんて居ない、なのにこの鬼には以前会った事がある気がする。どこでだろか…そう思っているうちに冴木は思い出したのか心臓が止まりそうなくらいドキリとした。何故なら。

「真之介さん…?」

それは、冴木の元許婚だったからだ。
何故真之介さんが、そう言おうとしたところで「やめて、お願い助けて」と叫び女の声が響いた。どうやらこの鬼の他にもまだ鬼がいるらしい、急いで助けに向わねば…だが目の前にいる鬼は中々手ごわくすんなりと頚を斬らせてきれそうにはない。鬼が飛び降りてきたと同時に冴木はタンと高く飛びスゥと息を整える。

「鳥の呼吸弐ノ型、姑獲鳥夜行」
「グワァァア!」

冴木の日輪刀が、まるで姑獲鳥が赤ん坊を攫うかのように鬼を捕らえて斬撃が鬼の身体を切り刻んだ。鬼は腕や足、胴体を切り刻まれてドタンと音を立てて廊下に落ち鬼はのた打ち回るように暴れている。この隙に、早く助けを求める人の元へ…冴木は「今よ」と叫んだ。

「ここは私に任せて二人は早く行って!」
「なんだと?!冴木一人残して行くわけには」
「いいから!早く生きてる人を助けて!!!」

二人は助けに向わなければいけないが冴木を一人置いていくなんてと一瞬立ち止まってしまった。だが冴木の声には怒気が混じっていて、仲間の命よりも救いを求める人を優先しろとそんな表情だったので隊士達は分かったと決意する。そう、女ではあるが冴木だって実力のある鬼殺隊士…仲間達は冴木を信じて走り出した。

「っすぐに戻る!!!」

助けを求め声を出した事により聴力の優れた隊士の下すぐに女性の元に辿り着くことが出来るだろう。どうか、到着するまで無事でありますように。そう願うと冴木はフゥと息を吐き身体の傷が再生した鬼を目を細めて見た。

「貴方は…私がどうにかしないといけないわよね」

一体彼に何があったのだろうか…あれから…あの悲劇の日から冴木は許婚に会っていない。風の噂で結婚したと聞いたからどうか幸せな日々を送ってくださいと願い冴木は許婚の事を忘れる事にした。今頃、妻との間に子供も出来て平穏な日々を過ごしているとばかり思っていたのに。どうして鬼になっているの?

「真之介さんお久しぶり…と言っても私の事なんて忘れたかしら」
「お前は…ああそうか、思い出したぞ。お前だな、お前が俺から何もかも奪おうとする極悪人だ、そうだろう?!」
「真之介さん…」
「殺してやる!お前は俺が殺してやる!!!」

鬼になった者は人間だった頃の事を覚えていない…この真之介もそうだ。冴木の事なんて覚えているはずもなくて冴木を自分から何か「奪おうとしている者」とだけ見て襲ってくる。

「くっ…!貴方、一体何人もの人を殺したの…?」

文字が刻まれていないから真之介はまだ十二鬼月ではないようだ、だがその力は強くきっと大勢の人間を喰ってきたに違いなかった…かつての許婚の変わり果てた姿を見てやはりこの人は私が斬ろうと冴木は決意した。

「血鬼術、送り犬之晩餐」

鬼が血鬼術を使った腕を振ると数十匹の狼が現れ冴木に飛び掛かる。

「鳥呼の吸参ノ型、迦楼羅ノ来光」

冴木も技を出し応戦する。狼は冴木の足元を執拗に狙ってくる…足をやられて転んだら最後狼達が一斉に襲い掛かってくるだろう。冴木は休む間無く繰り出される血鬼術を避けつつ攻撃を仕掛けた。

元は許婚同士だった冴木と真之介…。

その二人が今鬼殺隊と鬼という形で再会した。

これは運命だろうか、もしそうならば、なんて残酷な運命なのだろうか…。





…真之介がこの洋館にやって来たのは家族を鬼となった弟に殺されてから少し経った頃だった。家族を亡くして冴木も突き放した後、どうすればいいのか分からず家に篭りっぱなしだった真之介の事を気にかけた遠い遠い親戚だと言うこの洋館の主が「うちには一人娘しかおらず跡取りが居ない…真之介君さえ良かったらうちに来てくれないだろうか」と言って真之介を娘の婿とし迎えてくれたのだ。真之介はその娘と会った事などなかったが二つ返事でその結婚に承諾し婿養子としてこの家にやって来た。真之介と娘の結婚生活ははじめはごく普通に上手くいっていたが、月日が経つにつれて次第に、

「あなた、あなたどうしたのですか?!」
「ああああ、鬼が、鬼が来る!!!やめろ、やめろ!!冴木、冴木!!!」

真之介が夜な夜な魘されるようになり夫婦の関係も崩れていく事となる。毎晩毎晩眠りについた頃に夫のうわ言で起されるのだ、大丈夫ですとなだめても「鬼め来るな」と手を払い除けられるしなにより毎回自分が知らない女の名が出てくる…妻である娘の心労は溜まるばかりだ。
館の主は段々気が狂って行く真之介と、やつれていく娘を見かねて離縁してしまおうかとも考えたが真之介に受け継がれた親の財産や土地…それらを手放すのは惜しい。そもそも主が真之介に近づいたのはその為だ、遠い遠い親戚だと嘘をついて真之介に取り入り娘と結婚させる事でその財産を手に入れたのだ。考えた末に主は娘婿は重い病にかかって部屋から出れないと言う事にして座敷牢に閉じ込めてしまった。

「俺は…俺は…狂ってなんかいない…鬼が…父や母を…殺したんだ…本当なんだ…」

真之介が人と会う機会は使用人が食事を運んでくる時ぐらい。その使用人もブツブツと一人呟く真之介を見るとすぐに去ってしまうから交わす会話なんてものはない…薄暗く空気も悪い座敷牢に監禁されて真之介はますます精神を病んでいった。

「可哀想にな。お前が何をしたと言うのだろうか」
「だ、誰だ、誰だあんたは…」
「私がそこから出してやろう」

そこに現れたのが、鬼舞辻無惨だった。鬼舞辻は真之介に血を与えそして真之介は鬼となった。
鬼になった真之介はまず屋敷の主夫婦、自分の妻、そして仕える全ての使用人を殺した。次に主の客や屋敷の人間と音信不通となった事を心配し訪れた者、無断で屋敷に忍び込んだ泥棒などを喰らった。いつしか他の鬼も住み着くようになったが、屋敷が迷宮のようになったのはその鬼の血鬼術だ。今まで、一体どれ程の人間を喰ってきたのか、鬼となった真之介が覚えているはずもなかった。





…冴木は自分と別れた後真之介がどんな目に遭って来たのか知らない、それに今の冴木は鬼殺隊だ。元許婚だからと言って真之介を見逃すことは出来ない。冴木の鳥の呼吸と真之介の血鬼術がぶつかり合う中真之介の技を出す間合いが遅れた。その勝機を冴木は見逃さなかった。

「鳥の呼吸肆ノ型、鳳凰五色絢爛」

冴木の日輪刀が鬼の頚を捉えた。このままなら、いける。頚を斬り落とす事が出来る。

しかし冴木は。

「っ…!」

…嗚呼、駄目だ…。



あの日、家族を火事で亡くした日、泣きじゃくっていると彼はずっと側にいてくれた。普段はあんなにも意地悪だったのに、優しい言葉をかけてくれた。背中をさすって抱き締めてくれて、今日から冴木は俺達の家族だと言ってくれたのだ。



真之介の頚を斬ろうとした瞬間冴木が思い出してしまったのは、優しくしてくれたあの日の真之介…。
駄目だ、鬼に情け容赦は無用、迷わず鬼の頚を斬る、そうしなければいけないのに、

「どうして、こんな事に…!」

この人を、たとえ鬼になったとしても、彼を殺せる訳がない…。

「血鬼術、犬神之憑物」
「ぐっ…う、!」

冴木は日輪刀を振れなかった。だが鬼は容赦無く冴木の腹に腕を突きたてた。鬼が腕を抜くとゴフッと口から血を吐いて冴木は地面に膝を付き倒れこんだ。今の血鬼術は身体に毒でも撒いたのだろうか…身体が焼けるように苦しくて冴木は鬼を見る事も出来ない。だが鬼は構わずに冴木にとどめをさそうと構えた。その時。

「水の呼吸肆ノ型、打ち潮」

突如現れたその斬撃は一瞬にして鬼の頚を斬り落とす。

「冨岡さ、ん」

そこに現れたのは水柱冨岡だった。それはあっという間の出来事で何が起こったのか分からぬまま頚を斬られ鬼は目を見開くのみ…ボトンと音を発てて地面に転がる頚を確認すると冨岡は冴木の元に駆け寄り自分の羽織を脱いで止血の為に冴木の傷にソッと当てた。

斬られたのか…この男に…頚を斬られたのか…?女の鬼狩りにとどめを刺そうとしていたはず…なのに…腹が立つ…あいつ…あの男…許さない、突然現れて頚を斬りやがって、許さない…。
鬼は頭の中で恨み言を言ったがそれは冨岡には届かない。くそ、くそ、と悪態をつく鬼は最後になんとなく冴木の方に目をやった。

あの女…どこかで見覚えがある…。どこでだったか…俺の妻か…いや違う…妻となった女は刀を持てるような女ではなかった…だが覚えがある…あの女は…。





「真之介なんてきらい!だって意地悪なんだもの!」
「おれだってきらいだ!お前なんてだいきらいだ!」

子供の頃喧嘩ばかりする女が居た。男に負けないぐらい勝気で俺はそいつとは幼馴染だった。些細な事でよく言い合いをしたがその度にいつも母親に「未来のお嫁さんに意地悪な事言わないの、優しくしなさい」と叱られて誰がこんな口の悪い女と結婚などするものかと俺は悪態をついたのだ。

「真之介は犬が好きなのね」
「ああ大好きさ。犬は飼い主に忠実だし賢い…まぁどこかのお転婆な女よりも利口だろうな」
「まぁそれ私の事言ってるの?ひどい、おばちゃんとおじちゃんに言いつけるから!」
「あっやめろよな!母さんと父さんには絶対言うな、俺が叱られるだろ?!」

それは成長してからも変わりなかった。相変わらず俺は女に意地の悪い事ばかりを言っていたが女は泣いたりなんかせずに逆に俺の両親に言いつけると脅し結局俺がすまないすまないと謝るのだ。

「なぁ、庄屋の次男の事が好きなのか?」
「え?庄屋の優太郎さんの事?別に好きではないけれど」
「そうか…」
「でもどうして?」
「別に…」
「あ、分かった!やきもちでしょう!最近私が優太郎さんと話す事が多いから、私の気持ちが真之介さんから彼に移ってしまったと思ってやきもちを妬いているんでしょう!」
「ば、馬鹿!!違う、そうじゃない!!」
「へぇそうなの?でも顔が真っ赤になってるわよ真之介さん」

年頃になるとその女はとても綺麗になった。いつも笑っていたからそれはそれは愛らしく見えて女の事を好きだと言う村の男達は幾人か居た。余所の男と話しているのを見る度に俺は心がモヤモヤするが当の本人は気にする様子もなく俺の腕に己の腕を絡ませて安心して真之介さんと言って笑ったのだ。

そうだ…俺はその女と、許婚と言う関係だった…。

「大丈夫か…?」
「うっ…うう…真之介、」
「…悲しいよな…家族が死んでしまったんだもんな。おじちゃんも、おばちゃんも、博信兄ちゃんも、弓子姉ちゃんも、みんなみんな良い人だった。俺も、とても悲しいよ」

ある年、女は家族を火事で亡くした。女の家族はとても仲が良く温かな家族で俺も大好きだった…一人生き残った女はわんわんと子供のように泣きじゃくっていた。女がこれ程涙を流しているのを見るのは俺は初めてだった。

「でもな、俺は冴木が生きていてくれて本当に良かったと思っているんだ」

そんな女の姿を見ていると俺は愛しくてたまらなくなったんだ、これからはこの女を大事にしようと、この女を幸せにしようと心から思ったんだ。ああそうだ…この女は…。

「今日から冴木は俺達の家族だからな…!」

冴木、冴木、そうだ冴木だ。俺の幼馴染、俺の許婚、幸せにしようと固く誓った相手…そして俺にやられて倒れる鬼狩り…。

そうか…お前は…冴木だったのか…。





ああ、冴木、ごめん、ごめん、ごめんな冴木…。俺はなんて事をしてしまったんだ…ごめん冴木…。あの時も、ひどい事を言ってごめん…守ってくれたのに…突き放してごめんな…幸せに出来なくてごめん…ごめん冴木…。

「万城、万城!」

俺の頚を斬った男…あれ程冷静に刀を振ったと言うのに倒れる冴木を胸に抱き取り乱している…なんだその目は、冴木がやられて悔しいのか、冴木が死にそうで悲しいのか…?

「万城、しっかりしろ!」

冴木…どうか…生きてくれ…俺が言うのは愚かだが、どうか…どうか生き延びてくれ。

「冴木…」

俺の声が聞こえたのか男が顔を上げる。名を呼んだ事に驚いたのか目を見開くようにこちらを見たがすぐに鋭い目つきに変わり俺を見ている…。その目…お前は…冴木の事を…。ああもう身体が崩れる…俺は死ぬ…これまでの報いが来たのだ、罪の無い人々を喰った…冴木を悲しませた…報いが…。だが、最期にこれだけは言わせて…くれ。冴木…幸せに、な。俺は地獄で、冴木の幸せを…願っているよ…。



そうしてカサカサと音を立てて真之介の身体は崩れ落ち着ていた着物のみが残された。鬼も居なくなった静かな空間…冨岡はソッと抱える冴木の頬に触れた。

「万城、」
「とみ、おかさん」
「喋るな、傷が深い」
「…腹を、突かれて、血鬼術で…内臓、もいくつか、やられたようです…」

冴木は身体が内側から燃えるように熱く喋るのもやっとだった。

「私、は…もう、駄目です…」
「駄目だなんて言うな」

弱音を吐く冴木を冨岡はキッと睨むように目を細めるが、冴木を抱く冨岡の手は震えている。冴木が死ぬかもしれないと言う事を一番分かっているのは冨岡なのだ…どんなに恐ろしい鬼と対峙しても震える事なんてないのに腕に抱く冴木の呼吸が荒くなっていくのを目の当たりにすると冨岡は恐ろしくてたまらなかった。

「万城、聞いてくれ。前に冴木が言っていただろう、死んでしまえば何も分からなくなるが残された方はとても辛いと」

冴木は黙って冨岡を見ている。

「今ここで冴木が死んだら、冴木は苦しみから解放される。だが残された者はどうなる、冴木が死んで悲しむ人間は大勢いるぞ」

ギュウと、冨岡は冴木を強く抱き締めた。

「万城が死んだら俺は辛い」

だから死ぬな、死んでは駄目だ万城、と冨岡は懇願するように冴木に言った。いつも涼しい顔をしていた冨岡が辛そうに顔を歪めてそう言うものだから、冴木は呑気に「私が死ぬ事で冨岡さんが悲しむのは嫌だなぁ」と思った。

「そっか…私が死んだら…冨岡さんは、辛いと、思ってくれるのですね…ゴホッ」
「止せ!喋るな冴木!生きるんだ!」

冴木が咳き込みボトリと血を吐き出した。

「なら…冨岡さん…私が死にたくなくなるような、ことを言って…?」

生きる気力になるような言葉が欲しいの。
冴木はそう言って弱弱しく微笑んだ。こうしている間にも冴木も顔色は段々と血の気が引いて止血したが腹の出血は止まらずに冨岡の羽織りが赤く染まっていく。冴木は冨岡が口下手だと言う事を知っている…自分の求婚に対しても最低限の返事しかしないし愛想もない、だからと言って冨岡は冷たい人間と言う訳ではない事を冴木は知っている。冨岡だって水柱なのだから冴木のこの傷、助かる可能性が少ない事ぐらい分かるはずだ。だからもしかしたら、冨岡は優しい人だから、死ぬ前に「冴木の事が好きだ」とか冴木が喜ぶ事を言ってくれるかもしれない…。

「万城」

冨岡は冴木の手をギュウと強く握り締めて、一瞬だがニコリと微笑んだ。

「冴木が回復したら結婚しよう」

それは予想外の言葉だった。まさか冨岡から「結婚しよう」と言う言葉が出てくるなんて。

「っ、あ、あは、は、冨岡さんったら、意外と策士ですねっ…」

だから傷は物凄く痛んだが冴木は思わず笑ってしまう。

「そんな事言われたら…、死ぬ、訳には…いきませんね…」
「万城…!おい、万城!!」

冴木はもう満足だった。冨岡の笑顔を見れた…そして最期に予想外に嬉しい言葉を聞けた。万城が死んだら俺が辛いと言ってくれた冨岡には悪いが、冨岡の胸で死ねるのならば、十分だ、と冴木は目を閉じた。

「ありがとう…冨岡さん」
「目を開けろ!死ぬな万城!!」

その頃になると二人の隊士がもう一匹の鬼を倒し血鬼術も解かれたようだった。ただの洋館に戻った屋敷に隠の者達も入って来る。二人の隊士も助けた女性を隠に任せて冴木の元に戻ってくる。冨岡は冴木の名を呼んでいた、死ぬな万城、死ぬんじゃないと普段の冨岡からは想像も出来ないぐらい必死な声だった。

そうしてしばらくの間、屋敷中に冨岡の冴木を呼ぶ声が響き渡っていた…。

prev next


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -