12
「あーあ。季節の漁も終わって港も随分と静かになっちまったねぇ」
「出稼ぎのやん衆も帰っちまったから仕方ないさ」
ある日、花街が賑やかになり始めた頃。
「あら、アタシはその方が良いけどね。出稼ぎの男達は乱暴者が多くて嫌になるよ」
「でも中には良い男もいたよ?」
「あんたは面食いだからねえ」
店の営業は始まっているが今日は暇なのか、そんな話をしながら暇を潰している遊女達。
「ろく、おやじさまがお呼びだよ」
そんな時店の者にろくが呼ばれた。
「おやじさまが?」
こんな時間に楼主から呼び出される事なんて滅多にないからろくは驚いた。
「ろく〜あんたなにやらかしたんだい?」
「おやじさまの食事に悪戯でもしたのかい?!」
「子供じゃあるまいしそんな事するもんか!」
仲の良い同僚の遊女達があははと笑いながらろくを茶化してくる。ろくも笑いながらそう返すと遊女達は「いやろくならしでかねないね!」なんて言いながら楽しそうに笑っている。そんな彼女達を残してとにかく行ってみるよと言いながらろくはその場を離れた。
「おやじさま、ろくです」
「ああお入り」
楼主の部屋の隣にある来客用の座敷までやって来て襖越しに声をかけると中から返事が返ってくる。そして部屋に入ると楼主がいた。
「私に何かご用ですか」
「まぁ座りなさいろく」
今日の楼主はやけに上機嫌だ。いつも以上にニコニコとしていて遊女達が言ったような悪戯なんてしていないはずだが何か楼主の気に障る事をしてしまったのだろうかと少し警戒してしまう。
「…おやじさま、私なにかしましたか?」
恐る恐るろくが言えばワハハと楼主は笑った。
「まさか叱られると思ってそんなに縮こまっていたのかい?!」
「だってそうじゃなきゃおやじさまがこんな時間に呼び出してくるなんてないでしょう」
「違う違う!今日はろくにとって良い話があるんだよ!」
良い話、と言われようやくろくはホッとし胸を撫で下ろす。叱られなければなんでもいいとそんな気持ちで楼主の言葉を待っていれば。
「実はな、ろくに身請けの話が来てるんだ」
「私に?」
それは予想もしていなかった事だった。身請けの話だなんて突然過ぎる。ろくの客の中にはろくに熱心で金を持っている客も何人かはいるが身請けをするまで深い仲になっている客はいないはずだ。
「誰だと思う?」
そう焦らすように言ってくる楼主に面倒だなと思いながらろくは考える。身請けできるような財力的を持つ客と言ったら半年前から通うようになった商人の若様か…しかしたった半年で身請け話をするような仲ではまだないはずだ。
「誰です?」
「まぁ待ちなって、もうお見えになるから」
「え?」
お見えになるから、と言われろくは驚いた。それと同時に襖の向こうから店の者の声が聞こえる。
「おやじどの、お見えになられました」
「ああ入ってもらいなさい」
どうやらろくを身請けするという客がやって来たようだ。ろくはジッと襖が開くのを待っている。楼主はニコリとしている。ガラリと襖が開いた。そこにいたのは。
「菊田…?」
菊田杢太郎だった。店の者の後ろに菊田が立っている。菊田はチラリとろくと目が合った後すぐに楼主の方を向いてニコリと笑った。楼主が「ささ菊田さんも座って」と言って菊田がろくの隣に腰を下ろす。
「おやじさま、どうして菊田が」
「これろく!菊田さん、だろう!いやこれからは旦那様、か」
ついついいつもの癖で菊田の事を呼び捨てで呼んでしまったろくを楼主が咎める。そしてもう分かっただろう、と言いたそうな表情で。
「ろくを身請けしてくれるのはこの菊田さんさ」
そう言って一際ニコリと笑った。
菊田が自分を身請けする?そんな話聞いちゃいないし、身請けの事なんて今まで一言もされた事がない。ろくは菊田を見るが菊田は楼主の方を見ている。いやろくを身請けしてくれるのが菊田さんでよかったよ、なんて言う楼主と話をしていてろくはポツンと一人残されている。しばらく楼主と菊田の会話が続いてある程度区切りがついたところで、
「楼主、ろくと二人で話してもいいか?」
「えぇ勿論ですとも」
菊田がそう言えば楼主はごゆっくりと言って部屋を出て座敷に菊田とろくの二人きりになってしまった。こうして二人きりになるのはいつぶりだろうか。店で見かける事はあっても静かな空間に二人でいるのはろくが菊田に大嫌いと言ったあの日以来ではないだろうか。外は賑やかだと言うのにこの部屋だけはやけに静か…二人の間の沈黙を先に破ったのは菊田だった。
「…久しぶりだなろく」
そう言う菊田はまるで少年だ。少し気まずそうにろくを見ればろくも顔を上げて菊田を見る。
「菊田が私の事身請けするって本当?」
「ああ本当だ」
二人が会わなかった間、ろくを指名しないのに菊田が店に来ていたのは楼主にろくの身請け話をする為だった。ろくに話してもよかったのだが決まる前の段階で知られてしまうのは嫌で楼主にはろくには言わないでもらうようにと菊田が頼み今日まで隠してきた。
「菊田ってお金持ちだったのね」
「馬鹿、必死になって貯め込んだんだよ」
久しぶりに話すがろくはいつものようにそんな軽口を叩いて菊田は笑う。
「好きな女の為だ、用意したさ」
だがそう言った菊田の表情は少し照れ臭そうにしながらも真剣で、冗談で身請けするような大金用意出来るはずもないからろくも菊田の方をジッと見た。
「結局金でろくを手に入れる事になっちまったが、俺の本気が分かってもらえるだろう」
ろくはこれまで菊田から愛しているよと言われた事はなかったが、今ようやく菊田の本当の気持ちが分かった気がした。
「俺と一緒になるのは嫌か?」
菊田は何年も前にろくに本気で惚れていると言った事があったがあれは冗談ではなかった。年下相手にいつもクソガキと言って誤魔化していたが菊田のろくに対する想いは一途なものだったのだ。
「…ううん」
とても嬉しいわ、とろくが言えば菊田はホッとした様子で微笑んだ。
「これからは杢太郎さんと呼ばなきゃいけないわね」
「俺ももうクソガキとは言えないな」
それからろくの身請け話はとんとん拍子に進んでいった。
みな身請けが決まったろくを祝ってくれたし、その相手が菊田と知ると仲の良い遊女仲間はみんな喜んでくれた。
「やっぱり菊田さんの愛は本物だったんだねぇ」
「菊田さんの愛は純愛だねぇ」
菊田とろくの事を昔から知る者はみな口を揃えてそう言ったのだ。
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