「私、人を殺した事があるんです」

今晩は夫婦となった二人の初夜…一組の布団を挟んで向かい合うのは尾形百之助とその妻なまえ。

「百之助様、話を聞いてくださいますか」
「ああ、話してみろ」

尾形がなまえをジッと見てそう言うと、なまえはポツリと話し出す。

「百之助様は私の姉をご存じですか」
「知らない訳がないだろう」

自分の妻となるなまえの姉の事だ、尾形は勿論知っている。直接会った事はないが以前からみょうじ義之助中尉の二人の娘は姉妹揃って大変美しく特に姉の方は淑やかで物静かな妹とは反対に誰からも愛される華やかさがある美貌の持ち主だと軍の中でも有名な話であった。

「三つ上の姉はとても美しくまるで人形のように愛くるしい人でした。幼い頃から人見知りもせず誰に対しても愛嬌があって…だから両親も姉の事をとても可愛がっていました。勿論私の事も愛してくれた、けれど姉への愛はそれ以上だといつも子供ながらに思っていたのです」

優しく聡明な両親はどちらかを贔屓する事はなく二人の姉妹を愛していただろう。だがふとした時になまえは愛の格差を感じていた。それはほんの些細な事であったかも知れない…例えば両親の外出にどちらか一人しかついていけない時一緒に行くのは必ず姉だった。両親や回りの大人達からすれば姉の方が長女なのだから仕方がないと言うだろう。けれど幼いなまえにとってはどうして姉ばかりと思わずにはいられなかったのだ。その頃の事を思い返せばなまえは今でもあの光景を思い出す…使用人と共に三人の背中を羨ましそうに見送るなまえ…そんななまえの方を振り返って微笑んだ時の優越感に浸る姉のあの顔を。

「それだけならばいいんです。姉だから、私より先に生まれたのだから仕方がない、姉の方が可愛らしい子なのだから仕方がないと諦める事が出来ました。でも姉は…」

まるでお伽噺を読んでいるかのように淡々と話すなまえを尾形は黙って見守っている。なまえの話に割って入る事はないが彼女の話を退屈だと思っている訳ではない。出会った頃から物静かで自分の事をあまり話さなかったなまえの事を尾形は静かに寄り添う小鳥のように愛らしいだけの女だと思っていたからなまえの話す過去の事にむしろ興味が湧いたのだ。

「ある日私達姉妹は両親と共に振り袖を選びに行ったんです。まず先に姉がお気に入りを見つけたわ。堂々とした大きな牡丹とそれを引き立てるように描かれた小さな花々と松竹梅の柄…お姉さまに良く似合っていると言ったら姉はとても満足そうにしていた。自分の物を選び終わるとこれに似合う帯も欲しいと父にねだっていたわ。その間に私もお気に入りと見つけたの。桜色に蝶と手鞠が描かれた物だった。とても綺麗で可愛くて、両親もなまえに良く似合っているよと言ってくれたわ。二人にそう褒められたから私はとても嬉しかった…けれどそんな私の表情が気に障ったのか突然姉が私もその着物が良いと言ったんです。その着物はなまえより私の方が似合うと思うわ、だから私がそれを着ると言い出してどうしてそんな事を言うのだろうと私は困りました。両親だって困っているようでお前には華やかで目立つ牡丹の方が似合っているよとどうにか姉をなだめようとしていましたが姉はちっとも納得しない。店の人も一緒になって説得しようとしていましたが姉は最後まで首を横に降り続けました。結局、両親は私の元に来てなまえが選んだその着物は姉上に譲ってあげましょう、と言うんです」

そんな事があったまた違う時。父がなまえに西洋製の人形を送ってくれた事があった。フリルがあしらわれた水色のワンピースを来た青い瞳の可愛らしい女の子に人形で妹が出来たみたいだとなまえはとても喜んでいつだってその人形と一緒だった。なのに姉は私と遊んだ方がその子も喜ぶわと言って少し乱暴になまえから人形を奪ってしまったのだ。

「それだけじゃないわ…全てを覚えている訳ではないけどそんな事が他にもたくさんあったわ。姉は何でも手に入れる事が出来るくせにすぐに私のものを欲しがるんです。私にはそれしかないと言うのに姉はいつだって私のものを奪うの、そして優越感に満ちた顔で私の事を嘲笑うの」
「…その時なまえはどんな感情だったんだ?怒りか、それとも悲しみか?」
「怒りもあったかもしれない、悲しかったかもしれない。過去の事はよく覚えているのにあの時どんな感情だったのかはよく覚えていないんです。けれどあの時の気持ちは今でも鮮明に覚えているわ」
「あの時?」
「火事になった、あの時の事です」

数年程前の出来事だ。
みょうじ中尉の邸が火事に遭い燃えてなくなった。尾形もその事を覚えていたが原因は確か使用人の煙草の不始末だった気がする。その日みょうじ中尉とその奥方は泊まりがけの用事があって不在で邸には中尉の娘達と使用人しかいなかったのだが火事が起こったのは夜中だったから数人が逃げ遅れてしまいなまえの姉もその時に亡くなってしまったのだ。

「辺りの騒がしさで目を覚まし部屋から出てみた時はそこらじゅう火の海でした。辺り一面が真っ赤に燃えていて煙で前も見にくいなか口元を押さえながら必死に外へと繋がる場所を探したわ。すると微かに私を呼ぶ声が聞こえた…手探りでその方向へと向かって行くと崩れ落ちた柱や箪笥の下敷きになって頭から血を流した姉がいたんです」

なまえは目を閉じた。当時の事を思い出しているのだろうか。

「なまえ助けて、これをどかして、痛いわ早く、と姉が悲痛な声で言いました。私は姉を助けたくてすぐに駆け寄りました。姉を押し潰そうとしている箪笥を押し退けようとしたけれど女の力ではびくともせずどうにもなりませんでした。外に出て助けを呼んでくるから待っててと伝えて私は立ち上がりました。すると姉が私の足首を掴んだのです」

その時の力は最期の気力を振り絞ったのか姉のものとは思えないぐらいの強い力だった。

「お姉さま何をしてるのと私が言った時、姉は人が変わったように叫びました」

どうして私がこんな目に遭わなければならないの?!私が死んだらみんなが悲しむわ!柱に潰されるべきはなまえでしょう!死ぬのはなまえでしょう!ほら早く助けなさい!急ぎなさいよ!私と代わりなさい!代われないならお前も道連れだ!お前も私と一緒に燃えて死ね!!!

「…あの美しかった姉が恐ろしい顔で言うんです。可愛らしい笑顔を振り撒いていたあの姉が、嘲笑う表情ですら美しかったあの姉がまるで別人のようだったんです。これまで姉に対してどんな感情を抱いていたのか思い出せないけど、その時の事だけは覚えているわ。姉の事が恐ろしくて恐ろしくて何も出来なくなりペタリと床に座り込んでしまった。嗚呼私はここで死ぬのだと…姉と一緒に骨になってしまうのだと涙を流しました。やはり姉は私から何もかもを奪っていく…お気に入りのお人形も大好きな両親も…私の命さえも美しい姉が我が物に出来るのだ…抗う気を無くした私を見て姉は甲高い声で笑いました。あはははとそれはそれは愉快そうに笑うんです。私は姉に視線を落としました。するとどうでしょう。人形のように美しかった姉の顔が醜く歪んで見えたのです。鬼とも悪魔とも言えない不気味な顔でその笑い声さえ耳障りで…触れられる事にとても嫌悪感を抱いた程です。こんなの姉じゃない、私のお姉さまじゃない…。気づいたら私は姉の手を払い除けていました」

待て、置いていくな、戻ってこいと追いすがる姉の声を背になまえは出口を探した。やっとの思いで外に出るとそこにはたくさんの人が集まっていて先に逃げ出したであろう使用人達がなまえお嬢様よくぞご無事でとなまえを抱き締めてくれた。

「炎は物凄い勢いで燃え続けました。私が外に出て数分後には邸の一部が崩れはじめて、それからはもう皆呆然と見つめる事しか出来なかった」

火が完全に消火出来たのは日が昇った頃で、焼け跡からは骨となった姉の死体が出てきた。

「姉は殺されたのです、この私に殺されたのです」
「なまえ…」
「百之助さま」

尾形の名を言ってなまえがふわりと倒れるように尾形の胸に飛び込んで、尾形は優しくなまえを抱き締める。

「だけど不思議と罪悪感は無かったんです。両親も姉の死を悲しみましたがお前が無事で良かったと私に言ってくれたんです。姉が死んでからは今まで以上に私の事を愛してくれました。こうして百之助さまと結ばれたのも姉が居なかったからかもしれない…」

尾形となまえが初めて出会ったのは一年程前の事。みょうじ中尉が何故か尾形の事を気に入って食事に誘い邸に連れて来た事がきっかけだった。それからも度々邸に招く事があって尾形をなまえは顔見知りになっていった。初めて見た時からなまえは尾形に惹かれて尾形もなまえの想いに気付き自ら話しかけたりと気にかけるようなっていく。会度に二人の距離は縮まっていきみょうじ中尉公認で二人は婚約を交わしたのだ。

「私思うんです、もし姉が生きていたならば、きっと百之助さまとこうしているのは姉だったのでしょうね…」

なまえは思う。姉が生きていたならばきっと幼い頃のように姉は尾形の事さえもなまえから奪ってしまっていただろうと。そして両親も言うのだ、姉上に譲ってあげなさいな、と。

「百之助さま、こんな私を嫌いになりましたか?」

なまえは愛しい男を上目使いに見上げる。悲しそうにジッと見てくるその表情はどこか艶やかで尾形は自身の身体が熱を持っていくのを感じた。

「なまえ。もしお前の姉が生きていたとしても、俺が選ぶのは姉じゃなくお前だろうよ」

尾形はソッとなまえの頬に触れると、優しくなまえを布団の上へと押し倒した。

「どんなにお前の姉が美しかろうと俺が欲情するのはやはりなまえだ。嫌いになっただと?ははっ、愛らしい小鳥のようななまえが闇を抱えていると思うとたまらんな」

そしてなまえの手の平に触れるとどちらからともなく指を絡ませ握り合う。

「例えば…例えばの話だ。俺が人を殺したことがあると言ったらなまえはどうする?」
「百之助さまが人殺しを…?」
「ああそうだ。俺を嫌いになるか?離縁して実家に戻るか?」
「…いいえ帰りません。私は百之助さまを愛しております。地獄の果てまでもお供いたします」
「なまえはそう言うだろうな…」

そう言うと尾形はなまえに口付ける。それは触れるだけの優しいものから舌の絡み合う激しいものと変わっていく…尾形の侵入をなまえは受け入れて二人の呼吸は乱れていく。

「俺も、同じだよ」
「百之助さまも…私と共に墜ちてくれるのですか?」
「ああ、どこまでも一緒だ」

一緒だ、俺となまえは一緒だ。
姉を殺したと告白したなまえを抱きながら尾形は遠い記憶の中にある自分が殺した一人の女の後ろ姿を少しだけ思い出していた。





***
2018年頃に書いた短編。この二人の関係でちょっとした連載ぽいのを書きたいなぁとか思ってるので再録。



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