蝶屋敷。
屋敷の主である胡蝶しのぶはもう深夜だというのに今日行った毒の研究や実験の結果をまとめている。ふぅと一息ついたときフと帰らぬ姉の事を考えていた。

しのぶの姉…カナエと環。
カナエは町一番の器量良しで町中の男たちの憧れの的だった。美しいだけではなく優しく穏やかで男たちが憧れるのも無理もない自慢の姉だ。一方環は顔はカナエとそっくりだと言うのに性格はまるで違っていて男たちからの評判は「胡蝶環にはちょっかい出すな」であった。
と言うのも環はカナエと違って穏やかと言うには少々勝ち気で、あるとき町の悪ガキが「胡蝶の末っ子は上の二人と違ってちんちくりんだなぁ」とからかってきた事があった。意地の悪い事を言われ幼いしのぶは泣き出してよしよしとカナエは小さな妹を慰める。しかし環は。

「しのぶの事を馬鹿にするな!!!私が相手になってやる!!!」

そう言って一人で三人の男子をこらしめてしまった。それはあっと言う間の出来事でカナエが止めに入る隙もなかったという。

「しのぶ大丈夫だよ、しのぶに意地悪言う奴は姉さんがやっつけてあげたからね!」
「環姉さんー…」
「よしよし大丈夫!もう大丈夫だよ!」

環の頼りがいのあるさまが嬉しかったのかしのぶは環にギュウと抱きついてわんわんと泣いた。環は大丈夫大丈夫と言いながらしのぶを優しく抱き締めてくれた。

そう、性格は違っていてもカナエも環もしのぶにはとても優しかった。

「カナエ姉さん」

小さくポツリと呟くしのぶ。

「環姉さん…」

返事なんて返ってこないのに、どうしたのしのぶ、と優しく言ってくれる姉の声が聞きたくてしのぶは愛しい姉達の名を呼ぶ。

その時。

「カァカァ!カアッ!!!」

しのぶの部屋の窓の外から烏の声が響いた。しのぶは立ち上がり窓を開けるとそこには一匹の鎹鴉が居てバサバサと羽をばたつかせただならぬ様子で鳴いている。しのぶはその鎹鴉に見覚えがあった。

「あなたは姉さんの…」

彼は姉環の鎹鴉雷五郎だ。なにかあったの、としのぶが言おうとすれば雷五郎が叫ぶように鳴いた。

「環ガ!環ガオニにヤラレタ!!!」
「えっ」

環が、鬼にやられた。
雷五郎の言葉を頭の中で繰り返す。環が鬼にやられた…それはどういう事なのかしのぶが分からないはずがない。その事を伝えると雷五郎は蝶屋敷の玄関の方へと飛んでいく。まさか、まさか。しのぶはバタンと音をたてて部屋の扉を開け玄関の方へと走って向かう。

「姉さん」

鬼にやられた、それは軽傷でありますように。

「姉さん…」

ちょっと油断しちゃった、と呑気に笑う姉がいますように。

「姉さん…!」

しのぶ、と自分の名を呼んでくれるいつもの姉がいますように。

「姉さん!!!」

どうか環姉さんが無事でいますように。

「…しのぶ」

しかしそこに居たのは。

「環姉さん!!!」

見るも無惨な、血まみれになった環。
顔も身体も傷だらけで横たわる環の回りには血溜まりが出来ていた。しのぶは姉の名を叫ぶとダッと姉にかけよってそっと環を抱き起こす。

「どうしたの、何があったの!?」

瀕死の状態の姉を抱きしのぶの顔色が変わっていく。蝶屋敷の娘達に接する母性溢れる優しいいつものしのぶはいなくて、息絶え絶えの姉を抱き狼狽している。

「…見、つけたの」
「え?!」

ハァハァ、と荒い呼吸をしながら環はポツリと話し出す。

「カナエを殺した鬼を、見つけたの…」

ついに見つけたカナエの仇。見つけたという事は、環はその鬼と戦ったに違いない。

「カナエを殺した鬼は…上弦の、弐よ」
「上弦の…?!」
「私じゃあ、その鬼の頚を、斬れなかった…」

柱にこそならなかったが環だって花柱になるべき実力を備えていた隊士…そんな環でも敵わずここまで傷つけられたのだから上弦の弐というのは余程の力を持っているのだろう。

「その鬼はどんな鬼なの!?教えて、私が姉さん達の仇をとるから!!」
「その鬼は、鋭い対の扇を持っていた…教祖の、フリをしているわ…」

そこまで言うとゴホッと言って環は血を吐いた。しのぶはハッとし姉の手を取る。

「大丈夫よ姉さん、ここは蝶屋敷だからすぐに治療を始めるわ!」
「もう遅いわ」

しのぶは治療の準備をする為に立ち上がろうとする。しかしそれを止めるように環はしのぶの手をギュウと握り返す。

「血が出すぎた…鬼の攻撃は、内臓まで達しているわ」
「そんな…!」

ハァハァと環の呼吸が荒くなっていく。目を開けているのも辛そうにしながら環はなんとか話そうとしているようだ。その頃しのぶや雷五郎の声を聞き付けたカナヲやアオイも起きてきてしのぶ達の元にやって来た。血まみれの環を見てカナヲもアオイも言葉を無くした。

「しのぶ、私は、もう死ぬわ」
「なに言ってるの!?」

環の言葉にしのぶはカッとなった。

「大丈夫よ、私の死期は、少しばかり早まっただけだから…」
「馬鹿!姉さんの馬鹿!!死期とか言わないで、死ぬなんて言わないでよ!!」

弱気な事を言う姉を怒るように声をあげるしのぶ。

「私がなんとかするから、姉さんの事治すから…」

お願い…姉さん…。
その声は段々と弱々しく、懇願するようなものに変わってしのぶの目からツゥと涙が溢れた。しのぶだから分かる、環はもう、助からない。

「環姉さん…」

しのぶが治療に取り掛からないのを見て環の状況がどう言う事なのかカナヲ、アオイも分かったのだろう。二人は震え、アオイは涙を流した。

「しのぶ…」

静かなその場に、弱々しい環の声が響く。

「しのぶの側に、居てあげれなくて、ごめんね」

柱を押し付けてごめんね。蝶屋敷を任せきりにしてごめんね。しのぶにばかり頑張らせちゃったね。姉さんらしい事してあげれなくてごめんね。謝っても許してもらえないかもしれないけど…。

「良い姉さんじゃなくてごめんね」

環の言葉がグッとしのぶの胸に刺さった。

「なにいってるの、そんな事ないよ、姉さんが謝る事なんて、なにもないのに…」

しのぶはいつも後悔していた。環が帰ってくる度にあんな態度をとって、環姉さんなんて大嫌いと言ってしまって、しのぶはいつも姉さんごめんと心の中で謝るのだ。本当は分かっている、環が蝶屋敷に戻って来ないのは遊んでいるわけではなくカナエの仇を探していると言う事を。一番の目的を果たす為に柱や蝶屋敷の事をしのぶに任せて環は色な場所に赴きカナエの仇を探し回っていると。なのに一緒に居れない事が寂しくて、環に側に居てもらいたくて、子供のように、駄々でもこねるかのように、環に強く当たってしまったのだ。

「姉さんが一人で頑張ってる事知ってたのに…私は…私は…」

環はなんとか身体を起こすとしのぶをギュウと抱き締めた。

「しのぶ」
「姉さん…!!!」

環の、心臓の音が弱くなってきた。嗚呼駄目だ、お願いだから、姉の心臓を止めないで。一生懸命に話す姉の言葉を、最期の言葉にしないで…。

「私は、しのぶの、姉さんだから、しのぶの事、いつまでも、大好きだからね」

それはしのぶだって同じ想いだ。抱き締める力がなくなってきた環の身体をしのぶはぎゅうと抱き締めた。

「嘘、嘘だよ!嫌いだなんて言ってごめんなさい!嘘だから!」

それはなにを言っているのか、環は分かっているからしのぶには見えないがニコリと笑った。

「嫌いじゃないよ、大好きよ、本当は大好きなの…」

しのぶが環の事を嫌いになった事など一度もない。優しい環に甘えてそんな事を言ってしまっただけでカナエ同様、環もしのぶにとって大好きな姉だ。

「お願い死なないで…」
「しのぶ…」
「大好きな環姉さん」

…大好きなしのぶ。
姉さん、嬉しいよ。最期にしのぶが大好きって言ってくれて、とっても嬉しいよ。いつも会う度に喧嘩ばかりしてたよね。ううん、喧嘩じゃないね、私が不甲斐ない姉さんだからしのぶを怒らせてばかりいたんだよね。しのぶから環姉さんなんて嫌いって言われた時は悲しかったなぁ。だから大好きって言ってもらえて、とっても嬉しいの。大好きなしのぶ、あなたは私の大切な妹。大好きな妹よ。どうか、元気で。しのぶ、大好きよ。

「大好きよ、しのぶ」

それが、

「姉さん…」

最期の環の言葉だった。

「姉さん…、」

環の死に顔は微笑んでいた。姿はボロボロだが最期を大好きな妹の元で迎える事が出来て幸せとでも言うかのように、とても穏やかだった。

「環姉さん」

動かなくなった環をソッと横にしてしのぶは姉の顔にソッと触れる。ついさっきまで話していたのに、ついさっきまで抱き締めてくれていたのに、姉はもう動かない。

「っ環姉さんー…!!!」

動かなくなった姉の胸でしのぶは泣いた。わぁわぁと声をあげて、まるで子供の頃に戻ったみたいに、いつも自分を守ってくれた大好きな姉の胸の中で、しのぶはいつまでもいつまでも大きな声で泣いていた。



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