夜。

「おいで雷五郎」

万世極楽教の寺院から抜け出した環はある程度離れた山の中で鎹鴉の名を呼んだ。

「よしよし、ここよ」

環の声を聞き付けるとカァと響かないよう小さく泣いた環の鎹鴉雷五郎が足に荷物を掴んで降りてくる。

「ご苦労様、重かったでしょ?」
「コレグライ、ナントモナイッ!」
「はは、偉い偉い」

環の鎹鴉雷五郎が持って来た荷物は風呂敷に包まれた環の鬼殺隊の隊服一式と日輪刀であった。環は寺院に潜入する際、荷で鬼殺隊だと言う事が見つからないように自分の鎹鴉に預け隠し持ってもらっていたのだ。雷五郎から受け取った荷物を広げ環は素早く隊服に着替える。万世極楽教の白い服を脱ぎ捨てていつものように鬼殺隊の隊服に身を包むとよしと言って髪を結び姉妹と揃いの蝶の飾りを髪に差し立ち上がる。

「行くわよ雷五郎」
「アア、ワカッタ!」

寺院で過ごして数週間…環が居る間は噂のように若い信者の女が突然消える事もなかった。ならばあの寺院は鬼とは無関係なのだろうか…あの教祖の独特な雰囲気が気になるところではあるが、ひとまず近くの藤の花の家紋の家に行こうと環は駆け足で山を下っていった。

山を進めば少し開けたところまで出てきた。その先は崖だ。崖の下にはザーザーと音をたてる流れの早い川がある。川が見えてくると言う事は目指す藤の花の家紋の家までもう少しだ。さぁ急ごうと再び歩みを進めれば。

「環」

名前を呼ばれた。

「環」

環は止まり辺りを見渡す。

「環…」

風が吹いてざぁざぁとざわめく木々達…環がゆっくりと振り向いた先には。

「…教祖様」

童磨が居た。童磨は月が雲で隠れ明かりのない暗い森の中で環の声を聞きそこにいるのは環だと確信がついたらしい。環、と名を呼べば一歩環に近づいた。

「駄目じゃないか環、信者は勝手に寺から出てはいけないんだよ?それにもう夜だ、一人で山の中をうろついては危険だよ」

万世極楽教からは結構離れたはずなのに何故自分の居場所が分かったのだろうかと構える環を他所に童魔は環を見つける事が出来てホッとした様子だった。

「さぁ帰ろう?今日は俺の部屋で一緒に寝ようね」

そして童磨は環に手を差し伸べる。
そんな事を言う童磨は環は寺を抜け出して一人で散歩していただけとでも思っているのだろう。ニコニコと笑う童磨を警戒しながら環も当たり障りのないよう笑顔で童磨を見る。

「ごめんなさい教祖様、私もう帰らなくてはならないんです」
「帰るってどこに?」

その時、サァと雲が動いて月が出た。月の明かりは薄暗い森の中を照らし出す。それにより童魔も環もようやくお互いの姿をしっかりと確認する事が出来た。環の目に写る童魔はいつも見ていた万世極楽教の教祖であるあの姿…しかし環は。

「えっ、環、その格好…」

童魔は驚き目を丸くした。その服…童魔はよく知っている。そして腰に差している刀。そんな格好をするのは。

「環は、鬼殺隊なの?」

そう、鬼殺隊だ。
童魔の口から鬼殺隊と言う言葉が出て環はキッと集中力を高めた。いつでも日輪刀を抜けるようにと身構える。

「そんな、嘘だ、嘘だよ環。環が鬼殺隊だなんて。ねぇ嘘だよね環」
「嘘じゃないわ、私は鬼殺隊の隊士胡蝶環よ」

環が名乗れば童魔は信じられないといった表情になり自分の髪のくしゃりと握った。

「初めから俺の事を殺すつもりでやって来たのかい?」
「俺の事を殺す…?」

万世極楽教の教祖である童魔は鬼殺隊の事を知っていた…そして俺の事を殺すつもりで来たのかと言う。鬼殺隊が狩るのはただひとつ。

「…お前は、鬼」

鬼だけだ。

「ああそうさ、俺は鬼だよ!」

童魔は鬼殺隊相手に正体を隠すつもりはない。童魔が鬼だと認めた瞬間環は日輪刀の柄を握る素早く抜いた。

「花の呼吸肆ノ型紅花衣」

そして技を出し童魔に斬りかかる。

「血鬼術枯園垂り」

童魔も懐から扇を出して環の攻撃を受け止めて不意打ちを止められた環は童魔から離れ体制を整えると次の攻撃の為に身構えた。

「やめておくれ、俺は環と戦う気なんてないのだから」

だが童魔は眉間に皺を寄せ訴えるようにそう言ってくる。タッと環に歩み寄ろうとするが一歩近づく度に環は後ずさり今にも次の技を出さんと殺気を出しているから童魔はその場から動くのをやめた。

「だからやめよう、環もその刀をしまっておくれ」
「この日輪刀は鬼の頚を斬る為にあるもの…そして私たち鬼殺隊士の目的は鬼を殺す事よ。戦いをやめる気なんて私にはないわ」
「そんな…」

寺院に居た時とは別人のような環を見て童魔は辛そうに俯いた。しかし何かを思い出したようでハッと顔をあげれば笑顔で環を見てくる。

「でも環言ってたじゃないか、人と仲良くしたいと思う鬼がいたら、人を愛してしまった鬼が居たらとても素敵って!」
「お前がそういう鬼だとでも言うの?」
「ああそうさ、俺は環と仲良くしたいと思っているよ!言ったじゃないか、環の事が好きだって、環の事愛してるんだ!」
「鬼のくせに愛だなんて…」

やはりこの男が語る愛の言葉は不愉快だ。背筋が凍りつくようで吐き気がするようで、そして怒りがこみ上げてくる。

「寺院から消えた若い女の信者たち」
「え?」
「彼女達を一体どうしたの」

童魔が鬼だと言う事は分かった。だから居なくなったという信者達の運命を環は聞かずとも分かっていた。

「彼女達は俺が救ってあげたよ」
「救った?」
「彼女達は苦しんでいたんだ、つらいつらいって。だから俺が救ってあげた、喰ってあげたよ。いつも泣いていた彼女達はもう泣いていない、つらいと言う事もない。俺の一部となり幸せになれたんだ」

だが童魔がそう言ったのを聞いてやはり行方不明になった娘達は鬼の仕業…鬼に食べてしまった、と言う事が明確となり環はこの鬼はここで斬ると決めスゥと構えた。

「花の呼吸…」
「…ああそうか」

しかしそこで童魔は何かを思い出した。
花の呼吸を使う隊士…そして環のその顔…。

「弐ノ型御影梅」
「血鬼術蓮葉氷」

環の攻撃は童魔に当たりはするが頸を斬った訳ではないのでその傷はすぐに治ってしまう。そしてこんな時に環の胸がズキンと痛んだ。体勢を崩した環の脇腹を容赦なく童魔の血鬼術が襲いかかる。

「っ…、」

致命傷にこそならなかったが環の傷口からはババッと血が出て環は片膝を地につけた。そんな環をジッと見ながら童魔は一歩近づいてくる。

「ねぇ環、環とは初めて会ったような気がしないと言ったよね」

胸と脇腹を押さえながらハァハァと呼吸を整える環。

「前世で会ってたのかと思ってたけどそうじゃなかったよ、俺が会ったのは環の姉妹の方だったんだね」

意識が遠退いていきそうな激痛に耐えどうにか体勢を整えようとする環だが童魔のその言葉にバッと顔を上げる。

「環と同じ花の呼吸を使っていたよ。良く見れば顔はそっくりだね」

童魔は前に花の呼吸を使う柱を殺した事があった…まだ若い女の隊士だった。背格好は環と同じ、髪型は違うが環と同じ美しい髪をしていた。そして雰囲気こそ違えど顔は環そっくりであった。

「その子は…蝶の柄の羽織を着ていた…?」
「えーっと、あ、うんうん!着ていたよ!よく似合ってたなぁ、まるで蝶のような綺麗な娘だったよ」

…ついに見つけた、カナエの仇。

「本当は食べてしまいたかったのだけど丁度日が昇ってきちゃってねぇ。仕方がないから諦めたんだ!」

嗚呼カナエ。
やはりカナエの言う事は馬鹿げていたわ。鬼と仲良くなんて出来る訳がない。だってほら、鬼は人間の事を食べる物としか思っていない。鬼に心なんてない。鬼に慈悲なんていらない。鬼なんて、鬼なんて…。

「花の呼吸陸ノ型渦桃!!!」
「無駄だよ環」

血鬼術散り蓮華。
傷を負った環の攻撃はもう童魔には当たらない。代わりに童魔の攻撃は環を襲い環の身体からはババッと血が出てガクンと両膝を付く。

「環の姉妹だって俺に負けたんだ、環にだって無理だよ」

花柱のカナエでも敵わなかった相手…この男は。

「上弦の、弐…」

童魔の虹色に輝く瞳には「上弦」と「弐」と言う文字が浮かび上がっている。どうりで手強い訳だ…環の視界がグラリとぼやける。

「あーあ、痛そうに。血がとても出ているね。このままじゃ死んじゃうね」

童魔の声色は愉快そうに笑っていた。

「おいで環、手当てをしてあげる。今なら助かるから」

助ける気なんて、ないくせに。お前の言う助けるとは、食べてしまう事だろう。

「ゴホッ」
「環」

童魔は両手を広げて環に近づいた。環はギュウと日輪刀の柄を強く掴む。

「花の呼吸伍ノ型…」
「環…」

環はまだ諦めてはいない。攻撃されるからには童魔だって技を出す。なにもせずとも瀕死の状態に近い環…次に童魔が攻撃すれば環はもう死んでしまうだろう。童魔が残念そうに目を細め環の攻撃に備え対の扇を構えたその時。

「カアアア!!!」

鎹鴉雷五郎が素早く空から降下した。そしてそのまま環の襟を掴んで力いっぱいグイと引っ張った。

「環!!!!」

環は雷五郎に引っ張られ崖から身を踊らせた。童魔が手を伸ばすが間に合わず崖の下を覗けばドボンと大きく水飛沫が上がり環の姿が見えなくなった。

「ああそんな…」

前日降った雨により川の流れが増している…それに環は童魔から受けた傷によって血を流しすぎていた。おそらく、環はこのまま死ぬだろう。

「環…」

童魔が環を追いかけなかったのは、追いかけたところでもう死んでしまうだろうと思ったからか、それともわざわざ追いかけるまでの想いはなかったのか。ただ一人残された童魔は扇についた環の血をペロリと舐めて、ぼんやりと流れる川を見つめていた。



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