可哀想なあの子 | ナノ
03

その日も夜留子にとって平穏で幸せな日々になるはずだった。
決められた時間に起床し他の信者達と朝食を取ったり掃除や洗濯など各々の当番をこなす…何て事はない日常だがそんな日々を過ごせる事が夜留子にとっては幸せだった。夜留子は昼食の準備の当番になっていたからお姉さんと慕う娘と一緒に作業をしていた、なのに。

「あっ…」

どうしてこうなってしまったのか。体勢を崩し床に手を付いてしまい、一瞬何が起こったのか分からなかったが右のこめかみ辺りがジンジンと痛み出し顔を上げれば娘が鋭い目つきで夜留子の事を見下ろしているのを見て理解出来た。ああそうだ、手元に転がっている瓶を彼女に投げつけられたのだ。

「あら可哀想。とっても痛そうね」

自分がやったと言うのに彼女の言葉はまるで他人事。

「でもそれはあなたの不注意でついた傷でしょう?」

夜留子に言い聞かせるようにそう言う彼女の声はとても冷ややか…。何があったのだろう、昨日まではいつもの彼女だったのに、和やかに会話していたのに。そう言えば、彼女の様子が変わったのは昨晩からだ。教祖様へ夕食を持って行き帰りが遅いと迎えに来てから彼女の様子が可笑しい。時間を守らなかった事に怒っていたのだろうか。それとも彼女の気に触る事を気付かぬうちにしてしまったのだろうか。

「後は私がやっておくからあなたはもういいわ。部屋に篭っていてはどう?」

彼女はそう言い放つとクルリと踵を返し夜留子に背を向けた。

「…ごめんなさい、お姉さん」

突然の暴力を咎める事も何があったのかと聞く事も出来なくて。彼女から突き放された事に夜留子は一言謝るしか出来なかった。サッと立ち上がり逃げるように夜留子が部屋から出て行けば、残された彼女はギュと唇を噛み締めるように夜留子に投げつけた瓶を見つめていた。



部屋を出て、一人足早に廊下を歩く夜留子はフと違和感に気付く。瓶をぶつけられた箇所を触ってみるとジンジンとする痛みに加えペチョリとした感触…見れば瓶が当たった拍子に切ってしまったようで血が出ていた。血と言っても一筋滴っている程度で大したことはないがこのままで居るわけにはいかないから早く手ぬぐいで拭ってしまおうと慌てれば。

「あれ?そこに居るのは夜留子ちゃんかい?」

誰にも見られたくなかったのに、よりにもよって現れたのは童磨である。

「こんな所でどうしたんだい?暇なら俺の相手をしておくれ…」

信者達との面会は終わったのか童磨はニコニコと夜留子に近寄ってくるが。

「…わ、どうしたのそれ」

夜留子の怪我を見て笑うのを止めた。そして滲む血を見た途端目を細め夜留子の肩をソッと触れる。

「血が出ているよ」
「あ…これ、私の不注意でぶつけてしまって、」

童磨に言われあの娘の姿が過ぎった夜留子だったが先程の事は話さずに自分のせいで出来た傷だと言った。まだ娘への情があったから彼女の事を悪く言いたくなかったのだ。だが夜留子はそう言うが、確かに不注意で出来た傷だとしても可笑しなものではないが夜留子が一人でどことなくコソコソしていると感じ童磨は何かが違うな思ったようだ。

「本当に?」
「はい」

疑いの眼差しで夜留子に聞くが夜留子は平然とはいとだけ返事をするだけだから童磨はフウとため息をついた。

「ま、いいや。夜留子ちゃんおいで、俺が手当てをしてあげよう」
「そんな、教祖様のお手を煩わせる訳にはいきません」
「いいんだよ。夜留子ちゃんは大人しく付いてきな」

童磨は夜留子の腕を掴むと有無を言わせないと言った様子で夜留子を引っ張っていく。そして適当に空いている部屋に入ると夜留子を座らせ童磨もその前に胡坐をかくように腰を下ろし、夜留子が持っていた手ぬぐいを引ったくり頬にまで垂れた血をソッと拭う。

「痛みはないかい?」
「もう大丈夫です」
「随分と強くぶつけたみたいだね…痣になりそうだ」

夜留子の髪をサラリとあげて傷がどうなっているのか童磨はまじまじと見る。血はもう止まっていてぶつけられた箇所もただの打撲だと思うがそこは真っ赤になっているからきっと腫れてしまうだろう。

「夜留子ちゃん、これは本当にただの怪我かい?」
「はい」

何を思いながらそんな嘘をつくのだろうか、と童磨は思った。童磨から見れば夜留子が嘘を付いているのは明らかなのに夜留子は頑なにはいとしか言わない。童磨が優しく言い寄る時はあんなにも照れてしどろもどろになるばかりなのに、何故今日はこんなにもしっかりと自分の目を見つめてくるのだろうか。

「夜留子ちゃん…」

ああ、やはりこの子は自分が守らなければいけないのだ。教祖としての使命なのか童磨はそう思うと夜留子の肩を抱いて顔を近づけるとベロリと傷口に舌を這わせた。

「きょ、教祖様っ…」

突然の事にようやく夜留子はいつものように慌てた声を出す。咄嗟に童磨の胸に手を当て押す夜留子だったが童磨はびくともせずべろ、べろと夜留子の傷口を舐めている。夜留子は大人しくされるがままで舌は這う度に背筋がゾワリとなった。

「血が少し固まっていたからね、もう全部取れたよ」
「…」
「夜留子ちゃん」

今まで生きてきた中で異性とこんな距離で接した事など夜留子は初めてだ。ましてやその相手が自分らが使える教祖となると心臓は休む間もなくドクドクと鳴っていて言葉が出ない。童磨からソッと優しく触れられる事はあってもガッシリと肩を捕まれたり顔に舌を這わされる事なんてなかったから夜留子はただただ固まっていた。

「夜留子ちゃん」

そんな夜留子の頬を童磨はその冷たい手で包むように触れる。そして夜留子に出会ってから日々誓う思いを、夜留子に告げるのだった。

「俺が夜留子ちゃんを守ってあげるからね」

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