春待ち桜


数時間前まで一緒だった背中を見つけて、反射的に声をかけた。
ゆっくりと振り返る顔は口布と額あての方で表情は見えないけれど、私は思わず駆け出して隣に並ぶ。


「どこに行ってたんですか?」

「報告書を提出しに。サクラは」

「私はあの後いのと」


先生はポケットに手を突っ込んでいて、私は仕方なくその腕に手を引っ掛ける。


「もう随分日が落ちるのが早くなりましたね」

「そうだね」

「明日は川掃除でしたよね」


いやだな、とは言わないけれど、声のトーンで察したのか、先生は口元に手をあてて苦笑する。


「これも修行だから」


あ、少し生意気だったかな。



口を開こうとしたのと同時に、ポケットから出た先生の手が私の手を掴んだ。
先生は手を後ろにまわして、私は引っ張られるように先生の背中に隠れる。


「カカシさん。よかった、ここに」


聞こえてきたのは知らない声だけど、そっと盗み見たその姿は暗部のそれだった。お揃いの面が二つ、よく見れば微細な違いはあるのだろうけど、私なんかがじっと見る程余裕のある雰囲気ではない。



きっと私に気付いてる。

それでも先生がこの手を離さないから、超重要機密ではないはず。それでもいたたまれなくて、私はできるだけ意識を飛ばす。


「…サクラ」


声をかけられて、ゆっくりと視線をあげた。写輪眼じゃない方の瞳は柔和に笑んでいて、いつの間にか緊張していた肩の力が抜ける。


「ごめんね。帰ろうか」


繋いだ手はそのままで、紡ぐ言葉もなくて立ち尽くす私を見て、先生はもう一度謝罪を口にした。そして少し体をずらして、優しく手を繋ぎ直してくれた。


「…先生、」

「んー?」

「もう少し、一緒にいても、いいですか」




なにを。なにを言っているんだろう、私は。

沈黙。体の中心が熱くて、下を向いた。



何か言わないと。


頭の上で、先生がもう一度「んー」と声を漏らした。


「うち、来る?」






前、ナルトが「ここ、カカシ先生ん家!」と言っていた通りの家。
何の変哲もない無機質な階段をのぼりながら先生は、「なんか買い置きあったかな」と呟く。


「アカデミーが、見える」


玄関の前で離された手を胸の前に抱いて手すりの向こうを見遣ると、見慣れた赤い屋根。
鍵を開ける音で振り返ると、カカシ先生は玄関に入って、どうぞ、とドアを押さえてこちらを見ていた。


「おじゃまします…」


じろじろ見るのは失礼だと思いながら、靴を脱ぎながら室内をちらりと見る。


「窓、開けっ放しなのは不用心ですよ、先生」

「はは。返す言葉もないね。適当に座っていいよ」

「おじゃま、します」


先生がおかしそうに笑う。
どうぞ、と言いながら笑んだ目元が優しい。


「なんかあったの?」

「え、」

「そりゃ心配になるでしょ。いつもしっかりしてるサクラが、あんなこと言うんだから」

「…すみません…」

「いいよ別に。年寄りは若い者に頼られるのが嬉しくなるのよ」

「…先生は、お年寄りじゃないです」


変な柄の湯呑み。
先生もまた変な柄の湯呑みに口をつけながら、向かいに腰をおろした。

変な柄といえば、この部屋はなんだかすべてが変な柄だ。手触りは良いこのカーペットも、ベッドのシーツも、無地のカーテンだって変な色。


いただきます、と口をつけると、予想外のお茶の味に瞬間驚いて口を離す。


「え、なに、あまい」

「ああ、甘いんだ。桜のお茶だって。随分前にもらったんだけど、俺は飲まないから」

「桜のお茶…」

「綺麗な色だね。まるで、サクラの髪の色みたいだ」

「…また、先生は。そういうことを誰にでも」

「人聞き悪いな。誰にでも言うわけじゃないよ。サクラは俺のかわいい教え子だから」


わかってる。

歯の浮くような台詞を、軽々しく言うわけないくらい。私だから言えるんだ。


勘違いするわけない、させるわけない相手だから。



「…先生は、ずるいわ」

「サクラは賢い子でしょ」

「それは無責任よ」

「サクラも俺も、間違えたりしない」


突き放すような言葉を、先生はいつも通りの笑顔でさらりと言う。



それに苛つく程には、私はまだ子どもだわ。


大きな手が頭を無遠慮に撫でるたび、不注意から崩れてしまう身体が力強い腕に抱かれるたびに。



何もかも、幼い少年たちと違うと、実感する。


肌が、筋肉が、あの服の下には。なにが。




「先生に触りたい」


先生は立てた片膝をゆっくりと下ろした。

机に肘をついて、じっと私の目を見つめる。



「…サクラさあ」


少し苛ついたような語尾。
背筋が、ぞくりと粟だった。
ちがう、先生じゃないような声音に、初めて挑戦する異色の試験問題に出会えたような興奮。



先生の喉の輪郭を浮き上がらせる口布は、ぼこりと張り出た喉仏を主張させて。いつもはきっちりと着込んでいるベストは前を寛げているから、緩く体の線を目視できる。




ねえ。私がこうやって先生のこと見てるの、気付いてなかったでしょう?




「私、ずっとこの部屋に入りたかったんです」


その手を捕らえた。

引っ込めようとする指先を掴む。

ばらばらに指を繋いで、離さない。


「私、ずっと、」


春を待ってた。

end





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