マ王 | ナノ

 あなたにであえて

コンラッドが、帰ってきた。


ヴォルフもグウェンもギュンターも、彼に剣術指南を受けた兵士、メイドの方も皆、黙って俯いて唇を噛み締めていた。

ヨザックが、俺の隣で跪く。

彼らしくない固い声が、何度も何度も同じ言葉を吐き出した。

俺はその言葉に首を振って、優しく声をかけなければいけないのに。
よくやったと、お前の判断は間違っていなかったと、言わなければならないはずなのに。



見慣れない軍服を着たコンラッドは、木製の箱の中で眠っている。



銀の散る瞳を閉じたままで、そういえばコンラッドの寝顔を見たのは数えられる程だったと気付く。

そう思ったら笑えてきた。
笑ってるはずなのに、誰も俺を怒らない。


眞魔国を裏切った彼、何がどうあろうと魔王に剣を向けた罪は消えないという。

大シマロン領でヨザックと相討ち、優秀なお庭番も痛々しい程傷をつくり、手足にはまだ血の滲む包帯を巻いている。

決着はつかず、最後にコンラッドは、ヨザックの耳元で囁いた。
「すまなかった、陛下を、」と。










そして今日、コンラッドが遺体となって帰ってきた。

その夜、ヨザックは死んだ。















彼がいつも座っていた固い椅子の上。

そこに温もりはなくて、座ってみてもただ冷たかった。
視線の先にはベッド、俺はこの部屋を訪れた時いつもベッドの上に腰かけていた。



こうやって、彼は俺を見ていたんだ。



机に突っ伏して、目を閉じた。





────────────









「…か、へいか、陛下」


小さく揺すられて、ゆっくりと目を開けた。

顔をあげて、息を呑む。
そこにいた彼に、うそ、と呟いた。


「どうしたんですか、ユーリ。まだ寝ぼけてるみたいですね」

「…こん、らっど…」


コンラッドが、目の前にいる。
銀の星が散る瞳を細めて、唇に弧を描かせて。

伸ばした指先が髪の毛を梳いてくれて、びくりと反応する俺を見て笑った。


「はい、俺ですよ。寒くはないですか?」

「さむく、ない…あんたの手、あったかい…」


昨日、彼の頬に初めて触れたその冷たさを思い出す。今の、このコンラッドの手は温かい。

そっと彼の手に手を添えて、頬にあてがった。震える指先、それでも彼は首を傾げるだけで、それ以上追求してこなかった。


「会いたかった…もう一度」

「ありがとうございます」


これは、夢だ。
だって彼は死んだ。



この手で心臓を触って、この口で呼びかけて、この耳で彼の死を聞いたのだから。


けれど、信じたくなかった。
泣けなかった。


誰もが悲しみに沈む中、俺だけは横にコンラッドがいるような気がしていた。


「俺、あんたに言ってない事がいくつもある」

「なにかな。教えてください」

「破れた服、ベッドの下に隠してるんだ。あと、あんたのグローブ無くしたの俺。探してたの知ってたけど、忘れてて…。お菓子も、引き出しの中に入れたまま時間経ったから怖くて開けてない。…あんたのシャツ、一枚だけ持ってる。なんか、欲しかったから」

「差し上げます、俺も貴方のシャツ持っていますから」


頬を緩めると、彼はその顔が見たかったんですと言った。

明日、一緒に引き出しを開けましょう、とも。



明日、彼には明日がない。



目の前で笑って、俺の両頬を包む指先も温かいのに、ここに確かに存在しているのに。


「ユーリ、どうされたんですか」


真剣味を帯びた彼の声、親指で拭われて気付く涙。

気付いたら、止まらなくなった。声をあげて、子どもみたいに泣いた。
彼の胸に抱きついて、背中にきつく腕をまわした。





コンラッドは死んだ。





頭を撫でられて、ふつふつとそれを自覚する。


「なんで、なんで!なんで、俺を置いて死ぬんだよっ…!ずっと護るって…愛してるって、言っただろ!」

「ユーリ…」

「どうしたらいいんだよっ!俺はっ、あんたがいなきゃ、なにもできないのにっ…!」


夢でもいい、彼に会いたかった。
もう一度だけ彼を抱き締めて、罵詈雑言を浴びせるつもりだったのに。


「すきなんだ、あんたがっ!コンラッド、コンラッドコンラッド…。いやだ、あんたと離れたくない…ずっと一緒にいたいよ!愛してるって、毎日言うから!ちゃんと仕事もするし、あんたに迷惑かけないから、だから…」


離れたくない。
この夢が覚めれば、もう一度彼を失う事になる。


もう嫌だ。
あんたは、あんただけは失いたくなかったのに。


「つれてって、コンラッド、おれも、あんたと一緒に、いく…」

「そんなこと、ユーリ」

「あんたがいないのなんて、きっと耐えられない。その前に、あんたが」

「できない、ユーリ。どんな形でも、毎日泣いていたとしても、俺は貴方に生きていてほしい。それだけでいい」


彼は残酷だ。でも、現実の彼もきっとこう言う。

唇をきつく噛んで、離して息を吐いた。


「ねえ、コンラッド…幸せだった?」


俺と出会って、俺に仕えて。

俺を護るために敵になり、俺のせいで死ぬ事を選ばされたのに。
俺に出会わなければ、彼はもっと生きられたのに。

ごめん、と呟いても眠る彼は何も答えてはくれなかった。



泣くのは卑怯だと思ったんだ。



被害者のような顔をして、悲しみに暮れて、一人きりで今更「好きだった」と叫ぶのは。


彼の腕が、ぎゅうっと背骨を圧迫する。


息が詰まる程苦しくて、その甘い痛みに押し出されて涙が溢れた。
彼の見慣れた草木色の軍服に、濃い染みをつくる。

彼の頬が頭にすり寄せられて、かき抱くように髪の毛に手が差し込まれる。




ええ、と耳元で囁かれた。




掠れそうな声で、それでも俺はこの甘い響きを、穏やかな声に隠された心を、知っていた。


「貴方に出会えて、仕えて、お護りできて…愛し合えて…。貴方はもう一度、誰かを愛する喜びを、笑い合える嬉しさを、教えてくださいました。俺は、ユーリ、貴方に出会えて…」


頬を包まれて、見上げたそこにはコンラッドがいた。
温かい、触れるだけの優しいキス。

一度離された唇で俺の下唇を優しくはみ、その柔らかさに腰が甘く痺れた。
そっと入ってきた薄い舌はゆっくりと俺の舌を絡めとり、瞬間くちゅり、と音が響く。


このキスで、俺は体を繋げる嬉しさを知った。


なんてキスが上手い男なんだろう、頭のてっぺんから爪先まで彼の舌に翻弄される。

音をたてて離れた唇、少しだけ困ったように笑うコンラッド。



初めてキスをした日を思い出して、もう帰る事のできない日々を思い出して、それでも今、ここにいる彼が好きだと思った。



こつりと触れ合う額、柔らかい彼の髪の毛と香る彼の匂い。




愛しくて、離れたくなくて、でも、別れはもう手の届く位置にある。




彼の手首を両手で掴み、そっと目を閉じた。


「いつ死んでもいい程、俺は幸せでした。ユーリ…ありがとう」








好きだよ、交わる声は風に流され、指先はふっと空を掴んだ。


















目覚めたそこは、冷たく暗い部屋のままだった。

顔をあげて、椅子を引いて立ち上がる。



ふわりと、何かが横を通り過ぎた。

追おうとして、やめた。




装飾も何もない部屋。
クローゼットの扉を開くと、微かに彼の匂いがした。

見慣れた服の間、一回り小さい白いシャツを見つけて手にとる。


「コンラッドめ…俺のシャツだ」






膝から崩れて、声をあげて泣いた。



抱き締めたシャツからはコンラッドの匂いがした。


end



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