◎ 今はただ
若き王は、幼い子どものように泣き疲れて眠った。
裏切りの臣下であるこの俺の裾を握りしめて、睫が影をつくる瞳を赤く腫らして。
不意に、彼が俺の名前を呟いた。
それが、眠りに落ちる王から聞いた、最後の言葉だった。
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控えめに小さく叩かれたドアが開き、橙色の髪の毛が覗く。
言葉はなく交わされた目線に従い、ユーリの指先を両手で包んで離した。
起こさないように立ち上がり、背後のソファに手をついて額に唇を落とす。
「グウェンダル閣下がお呼びですよ、気持ちは分かるが、隊長」
「…すまない、ヨザック」
幼なじみは、からりとした笑みを浮かべて首を振った。
ユーリの眠る部屋のドアを閉めて廊下に出ると、深夜の城内は不自然なほど静まり返っている。
ヨザックによって開かれたドアの先には、摂政である兄と王佐がいた。
重く苦しい雰囲気に、どれだけの月日が流れたのかを思い知らされる。
自分が祖国を裏切り、彼らと離れた月日。
すべての罪が、背中にのしかかってくる。
兄が、口を開いた。
「…ウェラー卿、お前の処分が先ほど決まった。十貴族会議の末、お前は…」
彼らしくない躊躇した物言いに、不信感を抱く。
どのような処分でも、王の傍にいられるのなら受ける覚悟はできている。
王の、ユーリの傍にいられるのなら。
けれど告げられた処分は、王の前に生涯姿を見せないというものだった。
決して、自分の立場を逆手にとり、驕っていたわけではない。
許されない罪を生涯背負い、祖国のために、何より王のために、すべてを捧げることを誓った。
ユーリの傍を片時も離れず、ユーリだけを、守ると決めた。
それなのに。
すまない、と兄は呟き視線を逸らした。
王佐は隣で、唇を噛み締めて瞳をふせている。
彼らはきっと、最後まで異をとなえてくれたのだろう。
分かるからこそ、何も言うことができなかった。
「謁見を、」
拳を痛いほど握りしめて、震える声でやっと言葉をつむいだ。
心臓が痛いほど鼓動していた。
「赦されない、お前の処分は、もう決まったと言ったろう」
ユーリの最後の言葉が、頭の奥で痛いほど響く。
彼は、もう会えなくなることを、分かっていたのだ。何も言わなかった、彼は。
「出立は、今夜が良いだろう。ヨザックに付き添わせる。兵士にも、民にも知らせはしない」
頼れる護衛として、いなくなる事を赦されるのか。
グウェンダルはきっと、摂政という立場でこのような待遇を設けてくれたのではない。
兄として、弟である自分に最後の優しさを見せてくれたのだ。
「…隊長、すまない」
「正しいことだ。…すべて」
間違っていたのは、裏切ったのはいつだって自分だ。
けれど、罪を背負って
生きる覚悟はできていた。
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瞳を開けて窓に近寄り、カーテンの隙間から外を覗く。
愛しい人の背中を見つけて、息をのんだ。
追いかけると、どうなるだろうか。
…無理か。誰にもゆるされない。そんなこと、しちゃいけないよな。
今までの日々を思い返して、涙が溢れた。
喉の奥から嗚咽がこぼれ、頭がずきずきと痛む。息がしづらい。視界が揺れて足元から崩れ落ちた。
遠ざかっていく背中が、涙で霞んで見える。
触れたい、抱きしめたい。
あの背中に、いつも守ってくれた腕に。
おはようございますと、額に口づけてくれる人はいない。振り向けば微笑んでくれる人はいない。俺のすべてを愛し、優しく撫でてくれる人はいない。おやすみなさいと、抱きしめてくれる人はいない。
もう、コンラッドはいない。
「…ユーリ」
金色が、ぼんやりと見えた。後ろから、青い服を着た彼の弟に抱きしめられて唇を噛んだ。
少しだけ、彼の匂いがする。
そう思うと更に涙が溢れて、青い服の裾をぎゅっと握った。
肩に温かい雫を感じる。
耳元で、嗚咽が重なった。
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振り向いても、彼の部屋は見えなかった。
彼は最後に嘘をついた。
とても残酷な嘘を。
真っ暗な空を見上げても、溢れる涙をおさえることはできなかった。
忘れることはできない。
けれど、忘れよう。
愛してる、愛してる。
死にたいほど。貴方を。
貴方にはもう逢えないけれど
それでも伝えたいと願うのは
「諦めるよ」と言うことだけなのです。
ただ、それだけ、直接伝えたいのです、貴方に。
今はただ思ひ絶へなむとばかりを
人伝てならで言ふよしもがな
end
右京大夫道雅
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