◎ 契りきな
君をおきて あだし心をわが持たば
末の松山 波も越えなむ
貴方を愛しいと思う気持ちは、この先どんな事があっても薄れないでしょう。
愛しています、貴方だけを、永遠に。
──────────────
遠くで、人々の笑い声が聞こえる。
今日という日は、後の世にも記念すべき日として伝えられるであろう。
魔王陛下と、十貴族であるフォンビーレフェルト卿との、結婚式。
緩やかな風に木々は揺れ、花壇に咲いた花々は鮮やかに色付いている。
この世の全てが、祝福している。
ベランダに出て、手すりに手をついた。
頬を撫でる風が、慰めるように通り過ぎていく。
裏切られた、という思いはない。
ヴォルフラムは俺などよりずっと立派な人物だし、きっと陛下を幸せにするだろう。
ヴォルフラムは心から陛下を愛している。
王である彼を見守り、傍にいて、励まし慰め愛し続けていた。
「…ウェラー卿、ここにいたのか」
振り返る事なく、グウェンダルだと分かった。摂政である彼は、こんな祭日でも休まる暇はない。
「ああ、賑やかな所は苦手でね。ここなら、何も見えない」
「陛下の護衛はお前だろう」
「…陛下のお側には、ヨザックもフォンビーレフェルト卿もいる。…俺は必要ない」
驚く程、何の感情もわかなかった。そんな自分を低く笑う。
滑稽だと思った。感情を殺したのは、自分だというのに。
「お前が」
靴音がして、グウェンダルが手すりに背中を預けた。黒に近い髪の毛が風に揺れる。
「…お前がそう決めたのなら、私は何も言うまい。けれど、陛下と過ごした月日が消えるわけではないだろう。…お前はあれ程陛下のお側に仕え、誰よりも陛下を、愛おしく思っていたのではないのか?」
彼の低い声が、呟くように吐き出される。
「愛していたのだろう?」
愛していた。俺は彼を、ユーリを。
他の全てを捨ててでも、彼の傍にいたかった。
彼となる魂を地球に運び、彼に初めて出会った日から、ずっと彼だけを思い続けた。
彼と再会できる日を待ち望み、彼に仕える日を夢見、彼に捧げるためだけに毎日を生きた。
彼のために生きた。
思いが通じ合った日、この世の全てに感謝した。世界は色付き、音を運び、何もかもが幸せに見えた。
彼がいるから、生きた。
俺にはそれしかなかった。
「……っ…」
嗚咽が零れた。彼といた日々を思い出して、涙が溢れてくる。
俺が彼を幸せにしたかった。
愛していた。
彼がいれば、それで良かった。
「俺は、この先…どうすれば…」
だって彼がいない。
彼がいない。もう二度と、抱きしめキスをし、笑い合う事はできないのだ。
「コンラート、我慢する事はない。…陛下に思いを伝えて、恨み言のひとつでも言え。つまらない、情けない未練のひとつもない恋愛だったと、思われないように」
兄の大きな手に、優しく頭を撫でられた。
「お前は、何も間違ってない。…長い年月、陛下を守り愛した姿は、誇れるものだった」
滑り落ちるように、地面に崩れて腰をついた。
声も抑えず、泣いた。泣き叫んだ。
幾度も名前を叫んだ。
叫んでは風に流される、その名前は貴方に届くだろうか。
その名しか知らない幼子のように、そして狂ったように、幾度も幾度も叫び泣き、崩れ崩れて、泣き叫んで、愛しい人の名前を呼んだ。
いつかのユーリの笑顔が、
俺の事を愛しいと言った。
それだけで、良かった。
俺はいつでも、貴方だけの幸せを祈っています。
言ったでしょう、手でも胸でも命でも、差し上げると。
契りきなかたみに袖を絞りつつ
末の松山波越さじとは
貴方と私は約束しましたね。
どれだけ月日が流れようと、この先どんな事があろうと、貴方と私の心は変わらないと。
それなのに………。
end
←