◎ どうかどうかどうか
「年をとったね」なんて、そうやって隣で笑ってくれる貴方を愛してる。
どうかどうかどうか襟元を緩めながらソファに背中を預け、彼は持っていた書類に目を通しだす。
差し出した紅茶には目線すら向けず、促せば気付いて「ありがとう」と呟いた。
「大丈夫ですか?」
「ん?…ああ、多分ね。流通も安定してるし、昔みたいな急激な変動はなさそうだよ。もっとも、このままこの政策がうまくいけば、だけどね」
「そうではなく、貴方が」
カップに口づけたそのままの姿勢で、彼はようやく俺を見てくれる。
昔と変わらない二重の丸い瞳が、疑問をはらんで瞬きした。
「疲れた、もないですし、今日の執務は終わりでしょう。昔の貴方なら、部屋に仕事を持ち込むなんてしなかった」
「仕方ないよ。これが俺の仕事だ。ここは血盟城で、俺はそこに住む魔王なんだから。いつだって、俺はみんなの王様だから」
「とても立派な、ね」
「…なんだよ、ちょっと感じ悪いぞ。確かに俺はまだまだ半人前の王様だけどさ、昔よりかはきちんと仕事もしてるし、国の事も分かってきたつもりなんだよ」
「ええ、貴方は素晴らしい王様だ。仕えられる事が、俺の誇りですから」
「じゃあなんだよ、ウェラー卿。具合でも悪い?」
今度は心配そうに俺を見上げてくる彼の顔を見ていたら、ため息が零れた。
彼にではなく、自分自身に呆れて。
「また他人の心配ですか。少しは、ご自分の身体を労わってはどうです。貴方は、立派過ぎる」
「あー、分かった。珍しく拗ねた顔してるなと思ったら、そういう事か。かわいいなあ、あんたは」
書類をテーブルに投げ出して、彼はくつくつと笑った。
目を細めて、とても嬉しそうに。
俺が首を傾げて腕を組むと、彼はもう一度俺を見上げた。
その姿に、幼い彼が重なる。
「おいで、かまってあげるから」
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柔らかい名前を口にすると、汗で湿った身体がぴくりと身じろぎする。
胸元に預けられていた頭に鼻を寄せて、気付かれないように甘い匂いを吸った。
額に張り付く前髪をかきわけて、彼は顔を上げる。
「はー…、年とったか分からないや。この時ばっかりは」
「年?」
「うん。こっちに来たのが16の誕生日間近だったから、あれから10年以上経ったんだよ。すごくない?いた、腰がいたい、けど」
「今日は頑張ってくださいましたね。すごく、気持ちよかった」
「…それは良かった、けど、そういうのをさらっと素面で言えちゃうところはやっぱり変わってないな」
「貴方は変わりましたね」
「本当に?」
「ええ。昔は、俺の上で腰を振るなんて、できなかったでしょう?」
俺の言葉を反芻して、彼は赤い顔を更に赤らめた。
握った手で胸板を叩かれて、謝ると拗ねたように頬を膨らませる。
目の前にいるのは、20を優に超えた同じ男なのに。
そして、何度も見ているはずの癖なのに。
なぜ、彼がこんなに愛おしく思えるのだろうと、馬鹿な自問をさてこの10年で何度繰り返したか。
「俺は貴方の恋人だ」
「そうだよ。それから、俺もあなたのこいびと」
俺の言葉を茶化すように真似して、笑いの振動を胸に伝えてくる。
「年をとりましたね、なんて本当は言いたくないんです」
「どうして?」
「時間って、恐ろしいものですから。いくら貴方の成長スピードが魔族並みになったとは言え、やはりそれは緩やかだ。今ではほら、あまり俺と変わらないでしょう」
「うんー、そうだね。身長差は縮まらないけど」
「ずっとそのままでいて、ユーリ」
ぎゅうと、彼を抱きしめた。
心地よい重みが、心臓を震わせる。どくり、どくりと、彼の生を伝える振動が微かに伝わってくる。
小さかった恋人は、手を伸ばしてあやすように俺の頭を撫でた。
「怖いんです、俺は。10年前は、ずっと未来に行きたいと思っていたんです。未来で、俺は貴方の傍にいる事ができているか、確かめたかった。…おかしいでしょう?死に急いでいた男が、こんな事を言うなんて」
「未来がくるのが、怖いの?」
「ええ、もう、ずっと。貴方に思いを伝える事のできたあの日から」
「それって少し矛盾してない?」
「してる。今も未来だ。…貴方が先にいくような事があったら、俺は貴方を許さない」
彼は、なんだか幸せそうだった。
口元を崩して、その耳を胸元によせる。
「あんたが先に死んだら、あんたよりかっこいい人と付き合ってやる」
「…貴方にそっちの趣味があったなんて」
「ちげーよ、ばか」
「その時はずっと邪魔しようかな」
「あんたは死んでるもんね」
「では、生まれ変わりでもしましょうか」
彼が顔をあげた。
幼くて純粋で、愛しい愛しい子。
冗談を言いながら、美しい瞳を涙で潤ませている。
彼と生きている事は、なにより素晴らしい。誰に、この思いを伝えようか。
この手だけは、この方だけは、離したくない。ぜったいに。
「生まれ変わって、またユーリを見つけて、また恋におちるよ」
使い古された言葉を、貴方に。
「年をとったね」なんて、なんてそれは、しあわせなこと。
end
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