◎ そうであってほしいけれど。
視界はくらくら、頭はぐるぐる。
立派な上腕二頭筋に支えられて、微かな灯りしかない廊下を歩いていく。
「…うわ」
「とうちゃーく。はい坊ちゃん、次はこっちの貧相な上腕二頭筋に」
頭の上で何かをはたく音に続いて苦笑混じりの、いて、というヨザックの声が聞こえた。
「お前最近手癖が悪いぞ」
「こんなに酔わせて。もういい、行け」
扉を開けて出迎えてくれたのは、いつも通りの護衛だった。
少しいらついた声は諦めも混じっていて、ふらふらと歩き出す俺の肩をぐっと抱き寄せる。
「陛下はこっち。どこに行くんです。ああ、こんなに酔ってしまわれて」
大人しく胸に頭を預けると、白いシャツからコンラッドの匂いがした。
ヨザックに比べたら随分細身だけれど、やはり広い胸板は筋肉がしっかりついている。
ふわふわ浮いているみたいで、夢見心地のまま導かれる方へと歩く。
「禁酒主義はどうされたんです」
「きょーはいーのー」
「まあ酒を嗜まれるのはいいんですけどね。失礼、陛下。襟元緩めますよ」
「んー」
ベッドに座らされて、その柔らかさに勢いよく倒れこんだ。
もぞもぞとシーツをかぶろうとする俺の首もとを、冷たい指先が掠める。上着を脱がされて、シャツのボタンを外されると、もうこのまま寝こけてしまいそうだ。
「もうねていー?」
「ジュースを飲みませんか」
「んー」
承諾ととったのか、コンラッドはベッドを離れていく。
その後ろ姿はいつまでも変わらず、不意に手を伸ばしてみたくなった。
知らないだろう。
もうずっと前から、俺はあんたのことが好きなんだよ。
「ねるとこだったー?」
「いえ、書類仕事を。そろそろ引き上げてくる頃だとは思っていたので、後でお部屋の方に様子を見に行こうしたのですが」
グラスに注がれたオレンジジュース。
頭を起こすといきなり痛みがはしって、眉を歪めた。
「大丈夫ですか、陛下」
「うん、治る、治るから」
冷たい手のひらが、額にあてられる。熱が引いていくような心地よさ。
酔っているからだろうか、もう、たまらないんだよ。
「どくみ」
「え?」
「あんたうるさいだろ、ギュンターとは言わないけど。毒味しなきゃ、な」
「まったく、立派な王様だ」
グラスを揺らして、オレンジ色の液体をコンラッドが口に含む。
目が細められて、俺はその唇に人差し指をあてた。
「飲み込まないで」
腕を伸ばして、首を引き寄せた。
抵抗らしい抵抗は条件反射であろう最初の一瞬だけで、賢い男は自分の立場を違えたりはしない。
驚いたように見開かれた目にかまわず、口唇を啄んだ。
舌を差し入れて、ぬるい甘い液体を絡めとる。こくり、と嚥下すると、零れたジュースが喉を伝い落ちた。
「ゆー…」
「もう寝る」
背中を向けて、シーツを被った。
名前は途中で床に落ち、コンラッドは背後からそっと背中を撫でた。
「…酔ってらっしゃるんですね?」
「………」
「では、聞いていないと思い込んだ愚かな男の戯言を、ひとつ」
耳元のシーツをめくられて、コンラッドの髪が触れた。
見た目程堅くないそれの感触はとうの昔に知っていたから、その髪の毛をかきあげてもう一度キスしたい衝動を抑える。
俺はずるいだろう。
きっとコンラッドは、臣下にあるまじき感情を抱き、護衛に必要ない衝動を秘めている。
けれど実の弟を裏切り、王に身勝手な思いをぶつける程の酷さを持ち合わせてはいないから、いつまでもこの関係は平行線でしかないのだ。
「愛していますよ、ユーリ」
明日にはきっと、忘れている。
二日酔いにはなりにくいタイプなのだ。
そうであってほしいけれど。end
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