◎ 冬がはじまるよ
夕焼けが迫っていた。
風が変わると兄は顔を上げて、目を細めた。細い髪の毛が風に吹かれて、柔らかなそれに額の皺が和らげられる。
「冬がくる」
「へえ。分かるんですか」
「大地の要素と盟約を結んだ時から、そういうものには敏感になった。明日には冬がくる」
大したことではないという風に言って、彼は足元の砂利を軽く踏んだ。
「この花もこんなに咲いたのだな。室内にばかり籠もっていると、季節の変化に疎くなっていかん」
「きっともう枯れてしまうでしょうね。でも、最後に見られて良かった」
そう言うと、彼は表情を少し変えて俺の顔を見る。
なにか、と窺うと顔を背けたが、ぽつりと口を開く。
声音は変えずに、あくまでもいつものままで。
「お前が、そんなことを言うとは思わなかった。私同様、花だ何だに関心がある方ではなかろう」
「そうだったかな」
「ああ。…最後に見られて、良かったなどと。昔のお前は、きっと────」
────────────
「あ、コンラッドがいる」
近づいてきた足音は、やっぱり彼のものだった。
何度かその歩を弱めながらだったが、真っ直ぐに来てくださったことにゆるむ頬を隠す。
じょうろの水をとめると、彼は俺の隣に立った。
「水やりしてたんだ。どこにもいないからさ、グウェンに聞いたらここだって言うから」
「俺を探してくださっていたんですか?」
「…あー、うん。暇だって思ったら、あんたがいないからだって気づいたから」
「てっきり俺は」
「まだ分からないんだよ。ううん、…分かってるんだけど、言葉が見つからない」
俯いた彼の耳は真っ赤で、手は握りしめられていた。
いいですよ、もう。
そう言いそうになって、口をつぐむ。
それはあまりにも無責任だ。
重たく抱えてきた思いを押し付けたのは自分だから、もう嘘だけはつかない。
「もしかして今いい雰囲気?夕焼けと、花壇と。花壇にしちゃ豪華過ぎて庭園って感じだけど」
「いいえ。終わりかけで、枯れそうだ」
「そうだな。もうすぐ枯れる」
「見られて良かったですね。この花も、今年最後ですから」
そう言うと、彼は不意に顔をあげた。
少しだけ口角を上げて、俺の名前を口にした。
「あんたらしいな」
「え?」
「あんたなら、そう言うと思った。満開の花より、あんたは最後まで残る花を選ぶ」
視線を交えても、返す言葉が見つからない。
俺はさっき、なんて。
「…グウェンには、俺らしくないと言われましたが。なんだろう。なんの違いかな」
最後の力を振り絞るように咲く花々。
明日にはきっと枯れるのだろう。夕焼けの橙が輪郭を濃くし、淡い色を鮮やかにする。
満開に咲くのは夏の終わり。
季節はずれまで咲き続けたからこそ、こうやって夕焼けに染まり輝くことができた。
「あんたも変わったってことだよ、コンラッド。今年は見られなかったけど、来年は満開も見られたらいいな」
柔らかく笑う彼が、すぐ隣にいる。
今は、この方が傍にいる。
俺は変わっただろう。
何が零れても目を逸らしてきたのに、今は何をしても彼が欲しい。
あいしている。
恋愛感情として、貴方を。
今まで積み上げてきた日々を壊すことになっても、俺は貴方をあいしてる。
「ねえユーリ。もしも明日、冬がきたなら」
「冬?」
「ええ、もしも」
「まだ、こないと思うけど」
彼は手を真上に上げて、空気を掴むように動かした。
すん、と鼻を鳴らして首を傾げ、頷く。けれど吹いた冷たい風に首もとを撫でられて、低く唸った。
「明日冬がきたら、俺を好きになってください」
彼がゆっくりと振り向く。
その柔らかな髪の毛を風がすくい、花を揺らした。
ようやく種をまいた。
明日冬がきたら、花はつぼみをつけるだろう。
end
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