マ王 | ナノ

 lost

当たり前の事をしただけで、あらゆる所から汁を流し俺を褒め称える男がいて。

当たり前の事をしても、男だ浮気だとヒステリックになる美少年がいて。

当たり前の事をしたら、当然その倍をやってのけている男がいて。


そして、そして。



当たり前の事をしただけで、自分が傷ついたような顔をする男がいた。


その顔を、表情を見たくなかっただけなのに。あんたを、護りたかっただけなのに。



泣き出しそうに強張った顔に手を伸ばそうとしても、腕が動かなかった。
乾いた風のようにひゅうっと鳴る喉に、コンラッドのかさついた手が滑る。

繰り返す謝罪の言葉がうるさくて思わず眉を歪めたら、何を勘違いしたのかコンラッドは振り返って叫んだ。


「衛生兵!何をしているんだ!」


怒気を含んだ声はよく通り、ああ、これが兵士なのかと妙に納得する。
この調子で怒鳴られるから、きっとウェラー卿閣下は恐ろしいと兵士達は言うのだろう。


「大丈夫だから、陛下、ゆっくりと息をして。何も痛くない、何も、怖くない。何も、──────何も失わないから」


思わず吐き出してしまったという表情で、コンラッドは口を開いたまま固まった。


そうだよ、大丈夫だよ、あんたは何も失わない。


せめて頷きたかったけれど、かけ声と共に弓が引き抜かれて激痛でそれは叶わなかった。



ギーゼラさんの声がする。
朦朧と霞んでいく視界の中には、膝をついてうなだれるコンラッドがいた。


「陛下、痺れていく感覚に逆らわないでくださいね…」


逆らわずにただ彼女の腕に抱き止められれば、眠りに落ちる事ができるようだ。







────────────






すみませんと、聞こえた。

痛々しく、自責の念しかないのであろうそれは、繰り返されても一向にその色を褪せさせなかった。


謝られる事が好きではない。


だから少し痛む身体をベッドの上で身じろぎさせて、目を開いて、俺の手を握るその手に爪をたてた。


「ユーリ、ユーリ…」

「…るさいぞ、コンラッド…」

「貴方は、なんで…」


なんで?おかしな事を言うね。


唇の端を歪ませると、笑っているように見えるだろうか。

コンラッドは長男のように額に皺を寄せて、俺の手を自分の頬へとあてがう。


「なんであんな、馬鹿な事を!」

「ひ、どいな…庇った、つもりなん…けど…」

「俺なんかを…貴方は、なんで…!」


長男なら馬鹿丁寧な敬語を使って皮肉を言い、三男なら力任せに罵詈雑言を口にするだろう。

さて、次男はどうだろう。


…やっぱり、無理か。
心ではどんなに俺を罵り怒りたくても、きっと彼は自分を責める言葉しか見つける事ができないだろうから。


「俺は貴方の臣下だ…!貴方を護る事が使命であり、…っ、貴方の為に、命を落とす事が、我々の…!」

「あんたが、言うなよ…そういうの、嫌いだって…知ってるだろ…?」

「それでも、ユーリ、俺は貴方の…」


臣下で、護衛で、名付け親で、恋人だろ?
だから俺が傷つく事にそれ程怯え、自分を責めさいなむ。


「でも…俺は、こいびと、だからさ…」


コンラッドは目を大きく見開いて、それから力強く閉じた。

傷のある方の眉が震えて、何かに耐えるように唇を噛んだ。
形のよい薄い唇が、小さく動く。


「貴方を護りたいと強く願うのは、きっと、この身体に染み付いた臣下としてのものだ…俺は、貴方の恋人ではなく、臣下として」

「…んな、かなし…ことゆうなよ…おれは、あんたを…護りたいのに」

「貴方のそれは、万人に向けてのものだ。貴方は、俺でなくとも、あの時…」


一呼吸置いて、彼はかぶりを振った。


「…ああしてた」


思い出して、傷が疼くかのように喉仏が上下する。
傷が痛むのは、俺の方だというのに。


「保険をかけるな、…ウェラー卿。あんた、は…なにも、失ってないよ…」


眞魔国一の剣豪。
魔王の直属の護衛。
過去にはルッテンベルクの獅子としてその名をあげ、十貴族と同等の地位を手に入れた。


なのに、コンラッドは何に怯える。

他の何でもない、俺を失う事だ。



彼は幾度も失い、欲しいものがその手からすり抜けていく事が当たり前となっているのではないか。
初めから何も持たないようにしているのではないか。


だから、俺を失ってしまうかもしれないと感じたその時、愕然とし、自分を偽ったのではないか。


「自意識過剰、だけどね」

「…俺は、怖い。貴方を愛しく思っているから、貴方が、…貴方だけが大切だから、失いたくないから、貴方を何よりも護りたい。剣が折れ、振るう手すら失おうとも。…けれど、けれど!」


彼は勢いよく立ち上がって、俺を見下ろした。

握り締められた手は震え、見た事もない険しい表情で声を荒げる。


「貴方は俺を護りたいと言う…!護るという事を、貴方はご存知ですか?…その身を犠牲にし、剣の前に立ち、俺を護るおつもりですか?貴方に愛され、貴方に仕える事は、俺のただひとつの誇りだ!けれど、…けれど、貴方は俺を愛するから、俺を護りたいというのなら、俺は、…俺は、どうすればいいんですか…!」


苦しそうな声が、語尾も気弱に床に落ちていく。

いつでも余裕で微笑んで、全て分かっているとでも言うように俺の後ろをただついてきてくれていた彼は、酷く心細そうに顔を歪めていた。



この男が、たまらないほどに愛おしい。

失いたくない、誰にも渡したくない。



耳に痛い静寂が、溢れる言葉によって引き裂かれた。


「あんたは、そのままでいい。…俺の傍にいて、…今度こそ、幸せになろうよ。何も忘れなくていい。…俺がいるから。好きだよ、コンラッド。愛してる。…死んでない、生きてる。あんたと、一緒にいる」


何も失わないよ。失わせない。
なぜなら、俺が護るからだ。
もう幸せになっていいんだよ。



手を伸ばして、落ちるように屈んだコンラッドの頬を手のひらで包んだ。
その涙を拭ってやる。

目を合わせて笑ったら、少しだけ下手だけどコンラッドは泣きそうに笑った。

あんたの目が好き、と言えば、コンラッドは俺もですと情けなく答えた。
柄にもないくらいの震える声に、からかうようにコンラッドの頬を撫でた。


「貴方の為に生きたいと願うのは、貴方を愛するからでしょうか」

「うん、きっと」


そうであればいい。
誰よりも傷つき誰よりも優しい彼は、幸せにならないといけないのだから。


「護るって、素晴らしいねえ!ほら、なんだか強くなった気がするよ」


おどけて口にすると、護られる事に臆病なヒーローは、寂しげに呟いた。



「貴方がいるならどんな事でもできそうな気がするよ」



その言葉はとても嘘っぽくて、俺はそっと目を伏せた。











(いつか、あんたのその弱さも全部まもってみせるから。あんたが嘘をつかないでもいいように、いつか、強くなるから。だからいまは、ただ傍にいさせて。)


end





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