TOX2から60年後の未来、ジュード・マティスが終わる日。


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源霊匣の研究が成功して、世界に出回るようになったのが50年程前。
すっかり世の中に定着した精霊たちは、人と言葉を交わして生きている。そこに微精霊も大精霊も関係なく、ただ同じ時を生きる者として。
僕は、君との約束を成し遂げたよ。
あとは再び君と出会うことを、祈るだけ。



窓から見える空は、清々しいほど青い。外からは子供が遊んでいる声が聞こえてきて、精霊が飛び交う光が目に入り、思わず口元が緩む。
今や、人と精霊が同じ世界で生きるのは当たり前のことだ。兄弟のように育った者もいれば、愛し合った者も少なくない。
僕たちが戦いに赴いていたあの頃では考えられなかったような、理想の世界が生まれた。これからもきっと、愛情を向けあった者たちが、僕たちの意思を引き継いでくれるだろう。
―――たとえ僕が、もうすぐ息を引き取ろうとも。
視界が霞む。幸いにも視力は落ちなかったから、最後の最後まで本を読んだりして過ごすことが出来たけれど、それももうそろそろおしまいだ。徐々に世界が遠くなるような、どこか遠くへ飛んでいくような、そんな感覚に見舞われる。仮にも医者のはしくれだから、もうじきであろうことは分かっていた。旧エレンピオスに残されていた高い医療技術に改良を重ねた今の医術であれば、延命することが出来るということも。けれど僕は無理に命を引き延ばす気はなかった。たとえ、呼吸を続けることが出来ても、君に会えなければ、ミラともう一度話すことが叶わなければ、それは生きているとは言えない。
研究に成果が出て、成功して、世間に認められて、広まって。そうしていく間にも、僕の中ではミラが、ミラとの再会だけを、夢見ていた。
今は亡き両親やバランさんたちに、お見合いや結婚を勧められたのも一度や二度じゃない。それでも僕は、彼女以外の誰かを愛することが出来なかった。どんなに傍に居てくれても、献身的に愛してくれても、僕はミラ以外を、好きにはなれなかった。
酷いな、と誰かが笑った。僕もそう思う。だけど、どうしたってそうなんだ。きっと僕の恋は、16歳のあの頃で止まったまま。
「……ミラ」
か細く、掠れた声が部屋に響く。他には誰もいないから、返事をする人もいない。せめて、マクスウェルを傍に置いて貰えば良かったかもしれない。
皺だらけになって、老いたのは僕だけじゃない。ローエンはもう何十年も前に、アルヴィンも数年前に、亡くなっている。レイアはまだ元気だけれど、足を痛めて今は孫たちと暮らしているって手紙が来てたっけ。ガイアスはその座を預けられる人を見つけたけれど、結婚はしていなかった。愛する者はただ一人でいいと、玉座で堂々と宣言していたっけ。
薄れゆく視界の中で、拳を作る。あの頃のように強くもなければ、しわくちゃで、細い棒みたいな指と手。歳を取ったなあ、と笑う。
残り時間はもう、多くない。
それは仕方のないことだって分かってる。生きている以上、そこには終わりがあるんだ。ただひとつ、残念だと思う。ミラに、もう一度。
「ジュード」
がらり、と開くはずのない扉が動く。見舞う人なんていないはずなのに、僕を訪ねて来たひとがいた。
もう目を閉じても思い出せなくなっていたはずなのに、記憶が鮮明に蘇る。一層丈の短くなった装飾の多いスカートを揺らして、最後に見たあの姿と変わらぬまま、凛とした姿で立っていた。
「…………ミ、ラ?」
「ああ、そうだ」
コツコツとブーツが音を立てて近づいてくる。金色の髪はふわふわと揺れて、チャームポイントだという毛先が風色の髪がひょこひょこと動く。真っ直ぐに僕を見る瞳はルビーで、口元には微笑みを浮かべていた。
ミラだ。
「…………ひさし、ぶり」
「そうだな。最後に会ったのは、もう60年も前になる」
ミラはベッドサイドに座ると、僕の手を取る。細く、若いままの綺麗な手が、僕のしわくちゃになった手を握った。やはり大きな手だな、と笑って。
ミラ、本当に、ミラなんだ。
「……ごめ、ん」
「何故謝る?」
「僕、が……こんな、状態で」
嬉しくて嬉しくてたまらないのに、僕は起き上がって君を抱きしめることすら叶わない。歳に勝てない人間と言う身体を初めて呪いながら、精一杯の力でミラの手を握り返す。するとミラはふるふるとかぶりを振って、握った手に更に手を重ねた。
「君は人なのだから当然のことだ。それより、私の方こそ謝らなければならない」
少しだけ、手に力が篭る。痛くはないけれど、ミラの眉間に皺が寄ったことが、気になってしまった。
どうしてそんな顔をするの。ミラは、こうして僕に会いに来てくれて、何も謝ることはないのに。
「ジュードは私との約束を果たしてくれたのに―――遅くなってしまってすまない」
深刻そうな顔でミラは言って、頭を下げる。もう少し身体に力が入ってくれれば、ミラのその頬を撫でてあげたかった。その髪に触れたかった。でも身体はそこまですら動いてはくれない。
「ミラ、変わって、ないね」
「…………精霊だからな」
「そうじゃ、ないよ……」
確かに僕はとても老いてしまって、何をするにも不自由になってしまったけれど。
ミラが変わらず僕の前で、ミラらしく居てくれることが嬉しいんだよ。そう伝えることすらも、ままならない僕を、ミラは許してくれるかな。ミラは、僕を。
視界に映るミラがぼやける。ああ、もうすぐこの目も力を失うんだと、どこかで感じていた。
「……ミラに、会えて、良かった」
途切れ途切れだけど、なんとか言えた言葉。ミラにも届いたのか、白む視界の中で黄色が揺れて動いた。もうその瞳を見つめることすらも叶わないのが、少しだけ悔しい。
「ああ、私も。君に出会えて良かった」
ねえ、ミラは今、どんな顔をしているの。どんな顔で、僕に会えて良かったと思ってくれているの。
誰にも会わないまま終わると思っていたから、時々霞む視界も気にしていなかったのに。見えなくなるって、こんなに辛いんだね。
「……ねえ、ミラ。僕……」
「なんだ、ジュード」
「ぼ、く…………」
君にまだ、伝えてないことがあるんだ。もう一度会えたら絶対に、言いたいと思っていたことが。
僕とずっと心は繋がっていたから、もしかしたら知っているかもしれない。気付いていたのかもしれない。だけど、でも、ちゃんと言葉で、伝えたかったことが、あるのに。
声が細くなっていく。喉が震えない。呼吸も上手く出来なくて、手の中にあるはずのミラの体温すら、良く分からなくなってきた。だけど、それでも、この手は離さないで。
「ジュード、聞こえないよ」
遠くでミラの声がする。夢に出て来た時のようだと、薄らぼんやりした意識の中で思う。
やがて部屋は静かになり、声がなくなった。いや、なくなったのは、声じゃない。



「ゆっくりでいいんだ、話をしよう。60年前に君とした、私たちの夢を」






>>2013/01/23
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