「ほう、ここが君の部屋か!」
トリグラフに借りているマンションの一室にミラは足を踏み入れると、どこか楽しそうに髪を揺らす。
寝泊まりするために借りたとはいえ、研究中はほとんどヘリオボーグの研究所で過ごしてしまうし、ひどい時はそのまま研究室で一夜を明かしてしまうことも珍しくない。そして今は旅の途中で、この部屋に戻ってくるのはルドガーが自分の家で泊まる時くらいだ。
前にこの部屋を使ったのは、いつだったろう。少し埃っぽい部屋に苦笑を浮かべる。生活の最低限と本に埋もれた自室は、お世辞にも綺麗だとは言えないが、元々物が少ないせいで散らかることもない。
うきうきと部屋の奥へ進むミラの後を追って、真っ先に窓を開ける。日中の日差しは少し眩しくて、排ガスによって汚染されていたエレンピオスの空気も、今はマナによって中和され、風が心地いいくらいだった。
「何も面白いものなんてないけど」
一人で住んでいるだけだし、そう広くもない部屋を、ミラは興味深そうにきょろきょろと見回す。けれど最低限のものしかない中でミラが気に入りそうなものといえば、棚にこれでもかというほど押し込められた本くらいだろう。案の定というべきか、ミラは本棚の前でじっくりと背表紙を眺めていた。
「ふむ、君は医学や精霊術に関する本ばかり置いているかと思っていたのだが、なかなか面白そうなものもあるな」
すっかり口元を緩ませたミラは、何かの参考になるかもしれないと思って購入した黒匣技術や、恋愛小説、詩集まで抜き取ると、その両腕に何冊も抱えて座り込んだ。
「ミラ、本気なの?」
「私はいつでも真剣なつもりだが?」
はあ、と溜息が洩れる。そもそもミラがこの部屋に来たのも、ルドガーが自室で休むと言い出し、アルヴィンやレイアはこっちでの生活のため同じくトリグラフに部屋を持っていたからそこへ帰り、ローエンたちは早々に宿を取っていた。帰る家も特にないミラは、ローエンたちと一緒に宿で泊まるはずだったのだけど、いざ僕がトリグラフで部屋を借りていると知るや否や、では私もそちらへ行こう、なんて言い出すものだから困ったものだ。止めてくれないローエンたちもどうかと思うけれど、あの顔は絶対面白がっていたから、あとで文句の一つくらい言っても許されるはずだ。いや、ガイアスやミュゼはなんの疑いもなく送りだしていたような気もするけど。
思い出して頭を抱えているうちに、ミラは本の世界へ入り込んでいた。じっくりと流れる文字に視線を落とす姿は息を呑むほど綺麗で、しなやかな指がページをめくると、どきりと鼓動が跳ねる。この人間離れした美しさには、一年前に慣れたつもりだったのに。
座り込んだミラから目が離せないでいると、不意に、ぴい、と音波のような音が響く。その音にミラも顔を上げて窓を見れば、白い翼が、開いた窓から僕の方へ、飛んできた。
思わず手を伸ばせば、白衣の袖に留まる。真っ白な身体から小さな目をこちらに向けるのは、シルフモドキだ。
「ジュード、それは……」
ミラは本を置いて立ち上がると、シルフモドキに手を伸ばす。精霊の主マクスウェルであるがゆえか、シルフモドキはその指先に頬ずりをして、気持ちよさそうに目を細めていた。
「シルフモドキだよ。GHSを持つ前はこれでみんなと手紙のやり取りをしてたんだ」
最初は手書きの手紙とシルフモドキでの連絡が常だったけれど、リーゼ・マクシアにもGHSが普及してからは、呼ぶこともなくなっていた。どうしているかなと気にはなっていたけれど、見る限り元気にしていたみたいだ。
「そうか。だが……どうしてここに?」
シルフモドキはミラを見上げて、首を傾げる。GHSが普及した今、僕のもとにシルフモドキがいるのはおかしいと思ったのだろう。少し前まで憎んですらいた黒匣とはいえ、GHSの便利さは既にミラもよく知っている。ましてこのシルフモドキの足に手紙はついておらず、誰かからの手紙を預かってきたわけでもない。
「僕がここに戻ると、帰ってくるようにしてあるんだ」
「何故だ?」
「……いつか、手紙を出すために」
このシルフモドキは、僕のマナに反応してこの部屋へ戻るように頼んである。彼もまた風の精霊であるから聞いてくれるかは分からなかったけれど、精霊術の使用と同様、マナの供給によって願いを受け入れてくれた。
それもすべては、手紙を届けるために。
「だが、君たちにはGHSがあるだろう?」
シルフモドキがミラにして見せたと同様に、ミラもまた首を傾げる。さらりと、金色を髪を流して。
「うん。でも、GHSを持っていないから」
「持っていないのか?」
「そう。たとえ持っていたとしても……遠すぎて届かないかも」
上手く、笑えているかな。胸の奥が詰まるような想いを誤魔化して笑えば、ミラは目を見開く。瞳は揺れて、視線が少しだけ、落ちる。
気付いた、みたいだ。
「……そうか」
ミラの指先が、シルフモドキの頭を撫でる。先に送った手紙は、きっとミラに届いていないだろう。きっとこの先、いくらシルフモドキにお願いしたところで、届けられることはないのかもしれない。だけど、それでも。僕は少しずつでも進んだ結果を、他ならない彼女に、伝えたかった。その気持ちは今も、これからも、変わらない。
「楽しみにしているよ」
「うん」
まだ時間はあるかもしれない。けれど遠くない未来に。
君に、ミラに、僕の声が届きますようにと祈りながら、また手紙を、羽ばたかせるから。




>>2013/06/20
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