「ルドガー」
宿代を安く済ませるためにキッチンの後片付けを手伝ってから部屋へと戻れば、アルヴィンとガイアスの姿はなく、けして狭くない部屋の端にある机へ向かっていたジュードが、顔を上げる。そうして俺に気付くと、広げていた本にしおりを挟んで閉じ、椅子から降りた。
「帰ってきて早々で悪いけど……はい」
わざわざ目の前までやって来たジュードは、薄く色付いた封筒を差し出す。表には俺の名前が書いてあるけれど、ジュードの字ではない。
「これは?」
「扉の間に挟んであったんだ」
つまりはジュードも誰からのものかは知らないらしい。首を傾げながら裏返して見るが、鮮やかな薄桃があるだけで、差し出し人の名前はなかった。
ゆっくりと封を切り、中を覗いて見れば、真っ白なカードが出てくる。そうしてそこには『港で待ってる』とだけ書かれてあった。
カードを裏返して見てもやはりというべきか、差出人の名前はなく、首を傾げる。ただ、見慣れない字であるのに、誰か知っているような、妙な感覚。少し丸みを帯びたその文字を目にした瞬間、浮かび上がった金色の髪には、覚えがあった。
「……ジュード、ちょっと出掛けてくる」
「うん」
保証はどこにもない。だけど確認するくらいは出来る。もし他の人ならそれはそれで構わないし、誰もいなければ戻ってくればいいだけだ。そう思って再び入って来た扉から出て行けば、遠くでジュードの声が聞こえる。
「……いってらっしゃい、ルドガー」
見送りの言葉なのに、どうしてか少し寂しそうに思えたのは、気のせいか。思わず階段で足を止めるけれど、ジュードはそのまま扉を閉めてしまい、真実は隠れてしまった。



暗くなった港には、見覚えのある金色の長い髪を揺らす女性が、佇んでいた。
二十年そこらしか生きていないとはいえ、ここまで綺麗な人は他に見たことがない。だから、彼女であるほかにないんだ。
「ミラ!」
「……ルドガー?」
後ろ姿に声を掛けて、金色の髪は揺れる。そうしてこちらを向いたルビーの瞳は、少し驚いたように見開いてから、長い睫毛を震わせて瞬きをした。
急ぐ必要は全くないはずなのに、俺はミラの許まで駆け寄る。いきなり走ったせいで息は上がって、そんな俺をミラは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「どうしたのよ、そんなに慌てて」
慌てたつもりはなかったけど、結果的にそうなってしまったのは事実だ。まだ呼吸は整わなくて返事が出来ない代わりに首を振る。
けど、ミラが呼び出したのに、どうした、はないんじゃないか。酸欠の頭に疑問が浮かんで顔を上げれば、ミラはきょとんとしたまま、俺が話すのを待っているようだった。
「あの手紙はミラじゃないのか?」
「手紙って?」
「いや……」
もしかしなくても、俺の勘違いだったんだろうか。あの手紙を見てミラを思い出したから、きっと自分でも知らないうちにどこかでミラの字を見ていて、それを覚えていたせいじゃないかと思っていたけれど。そうだとすれば少し、いや、かなり恥ずかしい。知られたら、笑いのネタにでもされそうだ。
「ミラは、どうしてここに?」
てっきりあの手紙はミラからのもので、だからミラはここにいるのだと思っていたけど、どうやらそうではないらしい。なら、陽も暮れたこんな時間に、いくら腕っ節があるとはいえ女性が何をしているというのか。
ミラは、ふっと視線を外す。ルビー色は色を落として、地面を見つめていた。
「別に」
短く答える声はどこか冷めていて、遠くから聞こえる波の音に飲まれて消える。
ミラはゆっくりと俺に背中を向けると、星が明るい空を見上げた。髪は風に流れて、乱れるそれを押さえる手はしなやかに、金色の隙間から覗ける横顔は憂いを帯びていて、息を呑む。ミラの真上に浮かぶ月が、眩しいくらいに思えた。
「ただ少し眠れなくて。夜風に当たっていただけよ」
「そ、そっか」
振り向いたミラは薄く笑みを浮かべていて、何事もなかったかのように答える。けれど俺は、俺が見た憂いの表情がまだ目に焼き付いていて、思わず声が裏返ってしまう。ミラは気付いていないのか、それとも興味もないのか、いずれにせよ特に言及することもなく、風に流される髪を押さえながら、ルビー色がぼんやりと俺を見ていた。
「……ルドガー」
形のいい唇が、僅かに震える。首を傾げてみれば、瞼がルビー色を隠して、睫毛を揺らした。
風が止む。ミラの手は髪に添えられたままだ。
「私は……」
静かな空間だというのに、消え入りそうなほど弱い声が、喉から震える。けれどそれ以上は言葉になることはなく、ふるりとミラはかぶりを振って、顔を上げた。
「……やっぱり、なんでもないわ」
あの瞳が、何もないわけがないのに。虚勢を張るように真っ直ぐと立つ彼女に俺はそれ以上追及することも出来ず、言葉の代わりに手を伸ばす。頑張り過ぎるなとか意地を張るなよとか少しは頼ってくれとか、そんな思いを込めて伸ばした手は、ミラの滑らかな頬へと触れる。
「ミラ」
その名を呼べば、小さく肩が揺れる。指先に触れた肌は、ひどく冷たかった。
極端にではなくとも、確かに波風は少し冷たい。肩を出しているせいもあるだろうが、それでも少し、冷え過ぎだ。
「……いつからここにいたんだ?」
「さあ、忘れちゃったわね」
本当は分かっているんだろう。ミラはとぼけたように言って肩をすくめる。けれど俺はミラから手を離さないで、頬をそろりと撫でれば、指先にミラの、唇が触れた。
一瞬、鼓動が大きな音を立てて跳ね上がる。けれどミラは怒るどころか気にした様子もなく、少し陰ったルビー色に俺を映していた。
「帰ろう、ここは冷えるから」
「私は平気よ」
掌は未だに冷たさを伝えて来るのに、ミラは強く答える。けれどここで折れてやるわけにもいかないで、俺はかぶりを振ると、頬から手を離してミラの手を取った。手袋をしていても指先は剥き出しのせいか冷えている。
こんなになるまで、こんなところで、ミラは一体何をして、何を考えて、いたのか。想像も出来なかったけれど、空気は無情にもミラの体温を奪っていたということだけは、分かる。
風が吹く。首筋を撫でるそれは身ぶるいをするほどで、冷え切ったミラの指先を、強く、握った。
「俺が、寒いんだよ」
「何よそれ」
ぷ、と噴き出すようにミラは小さく笑うと、強く捕えた手が、握り返してくる。
しょうがないわね、とおかしそうに言う彼女は、優しい音を口にした。



>>2013/04/19
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