小さな呪いの物語

 お父さんがまた体調を崩した。
 身体の弱いお父さんは、毎年冬から春にかけてのこの時期、一度は倒れる。
 運悪く、今年は、お母さんもおばあちゃんもイレブンの仕事で出張中。年末からずっと忙しい店を閉めたままにするわけにもいかず、焔が手伝いに呼ばれた。
 まだ雪深い東北の地へと旅立つ焔が、代わりにと残していったのは彼の眷属の一匹。
 人語は理解するも話せず、まだ人に化けることも出来ない幼狐だ。
 乙葉の家、というよりは焔の傍らに居着いており、普段からよく見かける白い子狐だった。
 カーテンの隙間に垣間見える世界は、夕方から降り始めた雪に呑み込まれ、淡い光を放っている。
 道ゆく人も車もなく、白い闇が音のない世界にぼくらを閉じこめる。
 カーテンをきっちり閉めると、足下を幼狐が駆け抜けた。
 犬用のボールで遊んでいる。
 その姿はフェネックのようで、ただただ愛らしい。
「今夜はぼくたちだけだよ。寒いから一緒に寝ようか」
 誰もいない夜が、ほんの少し、淋しかったのかもしれない。
 いつもはあまり寄りつかないその子狐も、今日はずっとぼくのそばにいた。
 抱き上げた子狐と一緒に潜り込んだ布団はすぐに暖まる。
 焔と同じ日向の匂いが、僕をゆるりと弛緩させた。
 まるで麻薬。
 まるでパブロフの犬。
 知っていてこの子を残していったのだ。
「お節介バカ」
 睡りに沈みゆく僕の胸の辺りで、幼狐がキュウと不満げに鳴いた。
 そして僕は翌朝、思い知ることになる。
 主人を想う眷属の真っ直ぐな想い、否――意地を。
 ベッドから転げ落ちた僕を、白い肌の少女が見下ろしていた。
 大きな金色の瞳は、その色に似合わないほど冷たく光る。
「お、女の子だったの?! 術も使えたの?!」
「旭様のおかげですわ。はい、これ。チョコ。お世話になっているお礼なのですわ」
 ぶっきらぼうに差し出された掌に、剥き出しのチョコがころんと一粒。
 粘土をぎゅっと握りしめたような形は胡桃のような、松ぼっくりのような。その所々から、白い毛が飛び出していた。
「心を込めて作りましたわ。さあ召し上がれ」
 にやりと笑まうその顔は、どこまでも美しく黒く。
「早く帰ってきて……焔」
 ぼくの叫びは遠すぎて届かず。
 嫌味たっぷりな毒の棘を刺された僕は、耳と尻尾の生えた全裸の妖少女から全力で逃げ出した。
 焔の悪口は、彼女のいるところではもう二度と言うまい。
 小さな妖狐の小さな恋は、何処までも深く強く、その姿を変えるほどに一途なのだ。
 無理矢理、口に押し込められたバレンタインの、狐の毛入りチョコを噛み締めた。

(了)
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