30 | ナノ




 それは、2日をかけて、スイが王都までたどり着いた時だった。空寒いほどに青々と晴れ渡った天で、太陽がちょうど頂点に達する時刻。スイは馬をひいて、川沿いの大通りを歩いていた。疲れきった馬に、それ以上の無理をさせたくなくて、鞍袋は自分でかついでいる。
 ラシャを渡る橋の前にさしかかったとき、スイはそこで人混みを見たのだ。異様な緊張につつまれた人の塊に、馬があしぶみして鼻を鳴らした。スイは手近な柵に馬をつないで、人混みに近寄る。人が多すぎて、中心でなにが行われているのかは分からない。ただ、時折少女の泣いているような声が聞こえるだけだ。スイは、かたまりになった人の輪の外側にいた老爺に話しかけた。
「これはいったい何事だい」
 老爺はスイのほうを見ずに、ゆっくりとした口調で答える。その声は暗い。
「それがなあ、ラシャがあふれる、っていうんで、おなごを人柱にしようってんでなあ」
 スイは愕然として、さらに問いかけた。
「誰が、そんなことを」
「さてなあ、洪水があるっていうのは、どこの誰が言うとったのかはしらんけどなあ」
「そうじゃなくて、人柱って」
スイは苛立って語調を荒くした。
「誰が言い出したんだ?」
老爺は困ったように首をかしげた。
「そりゃ、この街でラシャの側を治めていなさる偉い人だが……」
そこで老爺はやっとスイを振り返り、そこで目を見開いた。
「お前さん、水の民かい」
「そうだよ」
老爺は一、二歩スイから遠ざかって、声をひそめるように言った。
「人柱の女の子は、水の民さね」
 今度はスイが硬直する番だった。老爺が重ねて何か言おうとしたらしいが、スイはそれを聞かずに、強引に人混みのなかに割り込んでいった。流浪の民はみなそうだが、一族は全員がたがいに家族のように想い合っている。水の民の、少女といえば、スイにも心当たりが何人かある。出稼ぎに、王都に出ている者も数人いる。水の民は、流浪の民のなかでは珍しく、流浪を離れて街で暮らす者がほとんどいない。
 人混みをかき分ける途中で鞍袋を落としてしまったが、気にしている余裕はなかった。背負った太刀のことも、もはや頭にはない。
「愚かなことを、水害が人柱なんかで収まるわけがないのに」
 スイはやっとのことで人混みの前に躍り出る。そこはラシャの堤防の上、見れば河原から一艘の船が、白い着物に身をつつんだ少女をのせて漕ぎだそうとするところだった。
「まった、」
 スイは堤防から河原へ、ほぼ滑り落ちるようにして駆け下る。そこで警備にあたっていた男と揉み合いになり、やっとのことでそれを振りほどいた時には少女は船から河に突き落とされたところだった。堤防の上にいる群衆がざわめく。スイが河めがけて走りだすと、堤防の上からどっと群衆が駆け下りてスイを追おうとした。スイはそれに目もくれずに、一目散に河に飛び込む。水流を計算して、目測ではかった少女の元へと泳いだ。ちらりと確認したところでは、少女の身体には重石が縛り付けられていた。スイは背中に重みを感じて、その太刀を背負っていることを意識した。
 振り返る余裕はなかったが、おそらく群衆は川岸で立ち止まっているのだろう。スイはそれに感謝して、一度水面に顔をだし、思い切り良く水に潜る。
(よかった)
 目測は正しかった。見通しの良くない水の中、ちょうどスイが潜った川底に、少女が投げ出されていた。少女の腰に結ばれた縄に脚をひっかけて、少女から離れないように水中にとどまる。そうやっておきながら、スイは背中の太刀を手にとった。自分の身体にまわした縄から太刀を解くと、そう速くはない水の流れをつかってむしろと布を流しさるのは楽だった。息が苦しくなってくる。スイは、刀身を縄にこすりつけるようにして少女と重石を切り離し、少女の身体を抱いて水面に浮上した。
 勢い良く空気を吸い込む。スイは巧みに水面に浮きながら、少女を支えて息ができるようにしてやった。
(やっぱり)
 見覚えのある顔だ。幼い頃に出稼ぎに出たと記憶している。直接話したことはないが、几帳面で真面目な子だと言われていた。少女は激しく咳き込む。抱きかかえているスイにつかまって、それでもきちんと体制を整えているのはさすが水の民というところか。
 しかし彼女はふと前を見て、顔色をなくした。少女が見ているのはスイの後ろ側だ。だいぶ下流に流されてきているから、まさかさっきの群衆が船で追ってきたのだろうかとスイはぞっとして振り返る。
 そしてスイは、それを見た。








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