雨は本降りになっていた。笠をかぶってむしろを着ていても、冷たい水が身体を濡らす。スイは、馬を歩かせて丘を登っていった。
「ああ、……」
丘のちょうど頂点に、大木がある。そのそばに、血だまり。倒れた人影は、6つ。すぐ樹のそばに、ひとふりの太刀が突き立っていた。
スイは馬をおりて、散らばる身体を見渡す。焦ったように丘の反対側まで歩いて、ふもとを見下ろす。そこにある3つの身体を見て、スイは丘を一気に駆け下り、そのうち一つに駆け寄った。
「カグさん」
うつぶせに倒れている身体を抱き起こす。雨にうたれていたせいか、おおよそ人の体温は感じられない。かくんと首をおとしたカグの白い顔を、スイの笠からしたたった大粒の水滴が筋をのこした。
「カグさん、しっかり」
スイは右手でカグの首に手をやる。ひどく弱いが、脈はある。スイは、着ていたむしろでカグをくるんだ。すぐ近くに、カグの乗っていた馬が手綱を引きずって草を食んでいて、スイはその馬をひっぱってカグを背に乗せ、大木の枝の下に移動した。ほんの気持ちでも、雨宿りにはなる。
自分の馬とカグの馬を手早く枝につないで、スイはカグの怪我をみる。頬から耳にかけて、一文字に斬られた痕があり、左腕には骨までとどく刺し傷。肩と足にも斬られた傷があって、どうやら大量に血を失っているらしかった。
スイは、鞍袋につっこんであった布を裂いて、簡単な止血をする。しかし、それ以上にできることはない。道具も、手段も、スイには持ち合わせがなかった。
せめてカグに意識があれば、気休めにもなっただろう。だが、今のカグは、生きているのか死んでいるのかもあやしいような顔色だ。スイは、そこらに散らばっているむしろをあつめて、カグを包んだ。おそらく追手が羽織っていたものだろうが、そんなことは言っていられない。雨がやんだら、手近な集落にでも駆け込んで手当をしなくては。
ふと顔を横にむけると、そこに、鈍く輝く太刀がある。スイははっとしてその抜身の太刀を凝視した。
「天龍丸……」
その太刀は、たしかにスイがあの洞窟で見た石盤の一枚に彫られていた図と一致する。その柄の、精巧な龍の彫り物。刀身に、月の文様の彫り。
「美しい太刀だね、たしかに」
鞘がどこにあるのか、探すのは億劫で、スイは手を伸ばしてその太刀を地面から引きぬいた。その抜身を布でくるんで横に置く。そのまま、時々カグの様子を確認しながら、スイは雨が止むのを待ち続けた。
幸いなことに、雨は夕方になる前に止んで、スイはカグの身体をカグの馬に固定して、自分も馬にまたがって丘のふもとの集落へと向かった。
天龍丸は、一枚のむしろにくるんでスイが背負っている。そこに放置していくことは出来ないと思ったからだ。然るべきところへ運んで、しかるべき処理をしなくては。流浪の月の民に行き合えば良いが、そうでなければ、彼らに会えるまでどこか安全な場所に隠しておく。隠し場所はいくつか目星をつけていた。
集落にたどりつくにはそう時間はかからず、スイはたまたまその集落に回診に来ていた治療師にカグを預けることが出来た。
「カグさんってほんと強運の持ち主だね」
スイは思わずそうこぼして、ついでにその集落にカグの馬も預けて、自分はラシャの下流へと発つ。
その治療師は、ラシャ上流あたりで一番の腕利きと名高い女性だったのだ。しかも、次に来るのはいつだかわからないと言う。治療師は、スイの運んできたカグを一目見て、呆れたように言った。
「彼女、あと一廻でもここに着くのが遅かったら死んでたわね」
スイは苦笑して馬を駆る。ラシャの川辺にそって、下流へ下流へ、王都の方角へ。皇子一行とは会えなくていい。まずは天龍丸をどうにかしないといけないのだ。スイは、その太刀を、王都のはずれに小さな店を構えている親子に預けようとしていた。彼らが信用に足る人物であることには、絶対の自信がある。
スイは、背中に縛り付けた太刀を重みを感じながら、歯をくいしばった。なぜだか、身体の芯から震えが走る。何者かに追われているかのような、焦り。もちろん、それが錯覚だというのは百も承知で、スイは馬を走らせる。急がなくては。
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