18 | ナノ




 それから2日休んだ後、カグは馬に乗ってトカル・サンへ向かった。
 馬を乗りつぶす勢いで走らせ、半日。トカル・サンに着いたカグは、長自らの案内で、重傷をおって手当をうけているヨギの元をたずねた。ヨギはほんのわずか前に目をさまし、やっとのことで水を口に含んでいるところで、やってきたカグを目にして驚いて咳き込み、その拍子に傷が傷んで転げまわる羽目になった。それをかえりみもせずに、皇子の行方を詰め寄ったカグに、ヨギがその無事を伝えると、カグは力が抜けたように寝台の横の椅子に腰をおろした。
 ヨギの、背中まであった黒髪はばっさりと切られ、耳のあたりにそろえられえていた。それを見たカグは、あの黒髪は彼のものかもしれないと思った。たしかに、ヨギの背格好は、皇子に似ていないこともない。皇子の姿をはっきりと知らない紅い蝶の者が、皇子と彼を見間違えたのかもしれない。
「それで」
と、カグが言った。街長は部屋から出ていき、二人の他には誰もいなかった。
「ずいぶんと待遇が良くなったけど、長とこの街にどんな心境の変化があったんだ」
ヨギは、肩を落として首をふった。
「何も。紅い蝶の襲撃で、使者が皇子だって知れてから、態度が一変した。皇子に媚びを売って何をする気かは知らないが、まあ今回限りだ、よしとして」
ヨギは身体に巻かれた包帯に手をふれる。口の端をわずかに上げたその表情は、苦笑だ。
「袈裟に斬られてな。ぎりぎり身体を引くのが間に合ったから良かったが、もう少しで死ぬところだった」
「お前にそんな重傷をおわせるほどの手練か」
「ああ。……いや、そうだな」
ヨギは歯切れ悪く言って、首を傾けた。
「手練には違いない。……妙な刀を持っていた。お前が皇子に渡した懐刀を、まるで紙でも斬るかのように叩き折った。それほど大男というわけでもなかったからな」

 その爆音は、唐突に響いた。いち早く危機を察して皇子を囲んでいた護衛の近衛士たちは、あたりに立ち込める黒煙の中、ぴったりと背中をあわせて皇子を守っていた。スイは知らぬと捨て置かれ、壁に背中をつけてじっとしていた。近衛士たちの限界までとぎすまされた意識、その端にかすかな殺気を感じて、ライが刀を薙いだ。その刃に、重ねるような打撃。敵だ。
 街の長とその配下が、大声をあげてにげまどっている。トッカが背負っていた大刀をぶんまわして、煙をなぎはらった。そして、近衛士たちの視界に入るのは、黒い装束と覆面。
「赤い蝶だ!」
 叫んだのは、誰だっただろうか。次の瞬間、広間は乱戦場と化した。
 弓使いのリオンと、銃使いのムオウが戦線を離脱して、壁際まで走る。赤い蝶のなかに、飛び道具使いはどうやらいないようだ。
 ヨギと背中をあわせる位置になった皇子は、自らも短剣を抜く。
「あまり役にはたたないかもしれないけれど、せいぜい足をひっぱらないようにするよ」
皇子が言うのに頷いて、ヨギは目の前の敵を叩き斬った。二人を守るように、ライとロンが刀を振るっている。大刀使いのムオウは、敵の群れている中心部まで、まるで囮になるかのように飛び出して得物を使う。
 やがて、戦局がはっきりしてきた。皇子を包囲するような陣、外側にこぼれた敵はリオンとムオウに、また中部の敵は、大刀をふりまわすトッカの勢いにおされ、内側の敵は兄弟とヨギにとめられている。しかし、敵の数はほんのわずかしか減らず、勝敗は五分五分だ。
「くそっ、リオンお前カグとサラ呼んでこい、あいつらいねえとどうにもなんねえ!」
ムオウが叫び、銃をぶっぱなす。敵を蹴散らすサラと、確実に敵の息の根をとめていくカグ。彼女らの欠員は決定的な敗北をよびかねない。現に、短刀使いのヨギは、片割れがいないために皇子のそばを離れられず、敵をおいはらうぐらいは出来ても、敵に致命傷をあたえることはできていない。
 リオンが敵の間を縫って走るのを援護射撃しながら、ムオウは銃を両手にかまえなおす。連射のきく小型銃をかまえて、ムオウは仲間にむかっていく赤い蝶に、つぎつぎと照準をあわせる。
 戦いが長引くうちに、ライとロンはじりじりと皇子からひはなされていった。ヨギの負担がしだいに重くなっていく。皇子の握った刀ももはや血を吸っていて、怪我こそないが、敵の攻撃をよけるために神経をとがらせ、疲れがにじんできている。
 ヨギは、ふと自分の相手にした敵に意識のみだれを感じた。その隙をのがさずに短刀を喉にねじこむが、違和感が拭えずに、ヨギは一瞬あたりを見回す。自分と皇子の横、ヨギの左側に、空間が生まれている。流れる河の水をわける石のような、そんな違和感がそこにある。ヨギの本能が、まずいと警告をならした。
 何かが、来る。あれは、まずい。
 思考よりも早く、身体が動いた。背中合わせだった皇子の横に飛び出して、敵の刀をかいくぐり、伸びてきた腕を蹴り上げる。そのつまさきが軽々と避けられる。
(かすりもしなかった)
 ヨギは最大限に警戒しながら、皇子を背中にかばい押しさげる。こいつは、強い。強い上に、はやい。
 風のような動きだった。ヨギは近衛士のなかで、唯一カグと肩を並べられる速さの持ち主だったが、そのヨギがぎりぎりで反応しても、一撃一撃をなんとか受けきることしか出来ない。なにより、その男の持っている刀が妙なしろものだった。
(……切れ味が尋常ではない)
 避けたつもりでも、動きにそって遅れた衣服や髪が、はらりはらりと切り落とされていくのだ。やわらかく軽く動く物体を斬るのは、ほぼ不可能だ。刃にそって逃げていってしまうから。それを、軽々と斬っていく。ざわりと腕があわだった。
(あれに触れたら、命はない)
 これほどまでに緊張した戦いは初めてだ。じわじわと後退しながら、男の攻撃を受け、流していく。ただし、うかつには避けられない。避けたうしろにいるのは、皇子だ。せめてライとロンのどちらかが気付いてくれないかとも思ったが、確認するだけの余裕も、呼ぶだけの隙もなかった。一瞬でも気をそらせば、斬られる。
 ヨギは上段からおちてくる刃をうけようと腰を落とし、そこで足元がすべって体制をくずした。
「しまっ……」
 ちらりと見ると、そこには血だまり。血で足が滑ったらしい。男の刀が、首のうしろに迫ってきて、ヨギはかろうじて前にのめってそれを避けた。うなじあたりで束ねていた髪が落ち、ついでに背中をかるく斬られる。
「皇子ッ!」
地面に手をついて、振り向きざまに短刀をなげた。まっすぐに男にむかっていった短刀は、その刀のわずかな動きに弾き飛ばされ、皇子が刃の下にすえられる。皇子がかまえているのは、カグの渡したという懐刀だろうか。男が、刀を振り下ろす。皇子は、とっさに後ろにさがりながら目を見開いて刀の軌道を見切り、懐刀でそれをうけた。
 白いきらめきが飛んでいく。懐刀が、叩き折られた。男が、ふたたび刀をかまえる。ヨギは目を細めてそれを見、短刀をつかんで皇子と男の間に飛び込んだ。ムオウが何か叫んでいるが、それに気を払う余裕などなかった。
 多分、かろうじて間に合ったのだろう。
 背中の痛みと、肩から腹にかけての熱さ。背中の鈍痛は、皇子をつきとばしたからで、前は、と自分の身体を見おろして、ヨギはゆがんだ笑みを浮かべた。袈裟に斬られている。焼けるような熱さ。
 一瞬の後に、たたきつけるような痛みが襲ってきて、ヨギはその場にひっくりかえった。頭上をとびこえるようにして、ロンが刀を構えて飛び込んでくる。男がなにか叫んでいるのをききながら、ヨギは意識を失った。

 「無様だろう?俺はそれから一度目覚めた。ちょうど手当の最中だったんだが、皇子の一行が別れのあいさつに来てな。みんな、一応は無事だ」
 ヨギはそう言って口をつぐんだ。
 安心のあまり椅子からずりおちそうになって、カグは一度立ち上がった。ヨギに、この街で別れてからの話を聞かせる。ヨギは、一部始終を黙ったまま聞いていた。
「そうか。……サクが、お前が自分より先に飛び出していったって言っていて、騒ぎが鎮まった後にみんなで探して回ったんだ。そうしたら、城に続く路の途中にお前の短刀が血濡れで落ちていて、皆で心配していた」
 ヨギはそう言って笑った。カグはそれを聞いて、まあそうだろうな、と相槌をうった。
「なんだかなあ、私らがずっと何気なく口にしていた、龍のご加護をってやつな、あれもそういうことだったのかと思うと、どうも妙な気分だな」
 カグが微苦笑をうかべると、ヨギは、ふと表情を消して、口の中でその言葉をつぶやいた。
「……天龍丸」
「ああ。どうかしたか?」
 ヨギが、カグを見る。なにか、と目線でといかけると、ヨギは億劫そうな動作で、手を額にあてた。
「天龍丸。そうだ、あの男、俺を斬ったあの男は、たしか天龍丸がどうだかと叫んでいた……」
 ヨギは息をはいて、手で目を覆った。
「どうも、天龍丸ってやつは曲者だ」
 ぱたりとヨギの手が布団に落ちる。ヨギは、苦しそうに顔をゆがめて、続けた。
「それと、スイも。お前と皇子には酷な話だけど」
 ヨギは、静かな声でそう言った。
「スイは、裏切り者かもしれない」








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