17 | ナノ




 昔、海に面した崖の上に、小さな王国が存在していた。
 王は血族から選ばれる。しかしその政は民に寄り添い、官は王によく尽くした。
 その国の民は、みな独特の外見をしていて、国の外からは、不思議な一族としてあつかわれていた。しかし、それも不自然なことではない。彼らのもつ様々な技術は、独特の進歩をとげた、妖面でみごとなものばかりだったからだ。彼らの作る石畳の路や、石を積んでつくられた家などは、その代表するところである。
 その国の言い伝えでは、この地をつくったのは、天龍と呼ばれる神であった。白い龍の姿をしていると言われ、あちらこちらで、天龍をまつる廟がたてられていた。年に一度、王家が主催する祀りもおこなわれ、王城の横にたてられた神殿に、神酒や神楽が奉納された。天龍祭という。
 ところで、その国には一つのうわさ話があった。民衆の間にまことしやかに伝えられていて、真偽ははっきりしない。天龍丸、という宝剣のうわさであった。
 その宝剣は、天龍祭の時にだけ王城の宝物庫から持ちだされ、選ばれた近衛士がそれでもって剣舞を奉納するのである。その宝剣についての、うわさであった。
 いわく、天龍丸の切っ先のさししめした人間の命をささげれば、望みがかなうと。いわく、真の心で念じれば、天龍が、術者の命とひきかえに望みを叶えると。そういった、うわさであった。
 王国は、幾度か他国と戦をし、そのたびに己の領土だけは守ってきた。優秀な近衛に代表される、自衛軍の奮戦のおかげである。しかし、その年の戦は長く続き、民は疲弊し、国力はおとろえていた。やがて、その敗北が目に見えてくると、自衛軍は、隊を半分にわけた。その分隊は、国を包囲する敵軍の目をぬすみ、わずかに残った国民を、国外へ逃亡させた。ほんのわずかの品を持って、もう二度と故国へは戻れぬという覚悟をして。国に残ったのは、近衛の精鋭たちと、王家の一族だけであった。
 逃亡していった一団は、やがて大きな河に行き着いた。羅紗という河である。
 彼らは疲れきって、そこに休んでいた。しかしなぜだろう。豊かな緑のある、おだやかな土地だというのに、虫も、獣のすがたも、わずかでさえ見えなかった。自衛軍の一人が、はっと立ち上がって、河の上流を指さした。人々も、その先に目をこらした。
 そして、彼らは見たのである。迫り来る水の壁を。大地を浸食し、轟音をたてて襲い来る水の壁を。
 命運は尽きた、と彼らがあきらめかけたその時、自衛軍の青年がひとふりの刀を持って、水の壁にむかってゆっくりと歩き出した。
 誰かがつぶやいた。天龍丸だ。
 青年の手にした刀は、もはや剥き身だった。その白刃を天に掲げ、青年はそれを振り下ろした。
 ああ、なんということだろう。その力は。
 その瞬間、水の壁が消えた。
 しかし、青年の姿もなかった。
 ただ、彼の立っていた地面に、かの宝剣、天龍丸が深々と突き立てられていた。
 数日もたたぬ後に、王国が滅びたといううわさが風にのって流れ、消えた。彼らは帰る故郷を失い、流浪の民となった。風のうわさで、最後まで奮闘していた近衛士達は、王国再興と報復を誓ってつどっていると聞いた。誰かが天龍丸を手にして、言った。あれは、予言の日だった、と。
 

 「ですから、予言の日が近いというのは、つまりラシャが再びあふれるということだと思うのです」
 サラはそう話をくくった。カグは呆然とそれを聞いていた。
 つまりは、赤い蝶も月の民も、元は同族だということなのだ。だとすれば、カグの囚われていたところは、王国のあった場所なのだろうか。
「……そういうことなら、心配する必要はない」
 カグは言った。
「すでに、水の民の警告者が、ラシャの洪水を知らせてくれた。私の警護していた皇子は、その件で上流に向かっていたんだ。……失敗したということだが」
 使者は死んだのだ。王宮にもその知らせは行くだろう。帝がどうするかはわからないが、この上さらに月の民から警告があったとて変わることは何もない。
 サラが、きょとんとした顔をした。
「失敗?どういうことですか」
「は?だって、皇子は死んだのだろう」
 サラは、さらに怪訝な表情になった。
「私が聞いた話と違いますね。たしか皇子殿下は、赤い蝶の襲撃をかわして、別の街へ発ったということでしたよ。護衛が三人減ったとか、減っていないとか。でも、ご本人は無事だと聞いているのですが」
 カグはそれを聞くやいなや寝台から飛び起きた。目を見開いて、サラにつかみかからんばかりの勢いで迫る。
「それは、それは本当か!本当に、皇子は生きているのか!」
「ええ、あくまで聞いた話ですが、おそらくは事実でしょう」
 カグは呆然として手で顔をおおった。では、あの髪はなんだったのだろうか。懐刀のかけらは。護衛が三人減った、というのは、自分をのぞいてあと二人、少なくとも脱落したということだ。サクは、無事だろうか。ヨギは、トッカは、そして、スイは。
(事実を知らなければ……)
 カグは、不安げに自分を見守るサラと目をあわせて、頭をさげた。
「馬を、貸してもらえないだろうか。私には確かめなければならないことがある。トカル・サンへ、いかなければ」
 サラは神妙な顔をしてうなずいた。
「わかりました。なんだかわからないけれど、ラシャの水害をどうにかできるかもしれないのですよね。馬でもなんでも、お貸しします」
 しかしそこで、サラは言葉を切った。口ごもって、視線をさげる。カグがうながすと、彼女は小さな声で、言った。
「ただ、ひとつお願いがあります。私のような流浪の民が、仮にも王宮の護衛士のあなたに個人的な頼み事など、失礼なことはわかっていますが」
 カグは苦笑して首をふった。
「いまさらだろう。助けてもらった恩もある。何でも言ってくれ、私にできることならば、する」
「ありがとうございます。あの、姉に、私が元気にしていると、伝えていただきたいのです。姉の名を、サク。王宮で、近衛士をしていると、聞いていますが」
 カグは、今度こそ愕然として目を見開いた。
「お前、……サクの妹だったのか」








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