衝撃的な事実を伝達したその男は、絶句している皇子を、どうでもよさそうにながめていた。
その、色素の薄い、水色に見える髪をゆらして、スイは風呂敷に視線を向ける。
「ところで、どうして皇子殿下がここに?それにこの風呂敷包み、旅支度だね。どこへ行くつもりだい」
はじめからマツリの正体を知っていたにも関わらず、すっとぼけたことをたずねるスイを、カグはじろりとねめつけた。
「お前には関係ない。それに私が聞きたいのはな、お前、どうしてここに皇子がいると分かった?お前に知られているということは、赤い蝶の連中にも知られているかもしれないということだ」
カグが、刃物をおさめないままでいるのはそれが理由。しかし、スイはあっけにとられるほど明瞭に、意味不明な答えを口にした。
「それはないよ、安心して。たぶん皇子様の居場所がわかるのは僕ぐらいだから。僕は水の声が聞けるからね。昨日、河を見ていたでしょ。ラシャが教えてくれたのさ」
「は、お前、河と会話ができるとでもいうつもりか」
「うん、そういうこと」
にこりと人好きのする笑みを浮かべ、スイは前髪をかきあげる。
額に現れたのは、水流の文様を模した、水色の刺青。
「お前……」
「うん、僕は水の民の、数年に一度生まれる、精霊の子なんだ」
カグは一瞬沈黙して、その聞き覚えのある単語を頭の中でくりかえした。精霊、それは便宜上そう呼ばれているだけだが、そう、確かに。予知夢を見、精霊と言葉をかわす者を、そう呼ぶのだ。
「……月にもあるな、それは。星と呼び交わす精霊の子、が。分かった、とりあえず信じよう。……それで、マツリ、しっかりしろ」
カグにゆさぶられて、さっと正気をとりもどす皇子。
「どうやら呑気に旅なんかしてる場合じゃなくなったようだ。それで、どうする」
マツリは険しい顔になって、床にあぐらをかいた。つられてカグも腰を下ろす。
「スイ。このこと、帝は知らないのか?」
「うん、そうだね。本来河を監視しておくべき臣下が、己の懐を肥やすことに執着して自分の仕事をおろそかにし、君の父上に正しい状況をつたえる者がいなくなってしまった、っていうのが原因らしいけど」
「そこまで深刻だったか…」
定期的に宮と連絡をとりあっていたカグが、呆然とつぶやく。そんな雰囲気があるらしい、というのは知っていたが、さすがに、水害の予知すらできないとは。
「なぜ、お前は帝より先に皇太子を探したんだ」
マツリが黙ったままなのをいいことに、カグが言葉をつぐ。スイは、こともなげに返した。
「そりゃあ効率の問題だよ。どうせ、監視者のことは帝とそれに近い人しかご存知ないんでしょう?宮に訪ねていって、帝のそばまで僕の話が伝わり、世迷い言じゃないと判断されるまで悠長にまつより、さっさと皇太子を探しだして一緒に宮までついていくほうが断然はやいからさ」
言うことには一理ある。
「宮へ行くのは前提なのか」
「うん、だって行くでしょ?これを放置したまま父にも知らせないような、愚かな皇太子じゃあ、ないはずだ」
「だが、それだけ伝えるなら私が連絡をとって…」
「それじゃあ駄目だ。そんな家臣のいる帝が、懸命な判断を下せると思うかい?皇太子殿下」
スイの視線はマツリに向いている。色素の薄い瞳に射られて、皇子はうなずいた。
「そうだな、戻りたい。父上に私が直接話したい。戻ろう、カグ。もう、紅い蝶がなんて言ってられない。
私は自分の身よりも、国が大事だ」
「……それがお前の判断ならば、私に拒否権はない。分かった、王都へむかおう」
苦しげな笑みを浮かべたカグは、その月色の瞳を閉ざした。
「だが、一つお前は思い違いをしてるぞ。お前の命は、国家の命だ。お前が死んだら、誰が次の帝になる?まだこの皇国に皇子はお前しかいないんだ。命を大事にしろ、いいな」
「でもカグ、武力化してから帝は清浄な神の子じゃあなくなった。帝がいようがいまいがいまじゃ同じようなものだよ」
皇子の反論を聞いて、カグは目を開け、子供にいいきかせるような口調になった。
「確かに、そうだ。でもな、民はそれでも帝を信じている。誰も、神の子だなんて思ってはいないだろうけど、民にとっちゃ帝は唯一のすがれるものなんだ」
月色の瞳が強い意思を宿す。
「いいな、命を大事にしろ…それとスイ」
つい、と視線をすべらせて女は警告者を射すくめる。
「一つ、わからない。なぜ警告者はそこまでこの国のために動く?放浪の民だろう、この国のことなんか知ったことではないはずだ」
スイはひょいと首をかしげた。
「ま、それも利害の問題かな?僕らはあくまでラシャの民だ。ラシャがあふれれば、ラシャの大半の流域には近寄れなくなる。それじゃ困るからな」
それを聞いてカグはふっと笑った。ラシャはこの国を縦断する、大きな河だ。その流域も、それ相応の範囲にわたる。カグはうなずいた。
「そうとなれば、腹ごしらえをして出発だ。スイ、お前、荷物はないのか」
「無いよ。金子はあるし、王都まで3日かそこらでしょ?大丈夫。なんたって僕、ラシャのずっと上流からこの身一つでここまできたから」
自信ありげな笑みをうかべたスイを見やって、カグは信じられない、というような表情をしてみせた。何も持たずに長旅など、彼女からすれば正気の沙汰ではない。
「よっぽどの楽観主義か……マツリ、私はだんだん心配になってきたぞ、コイツを信用していいのか」
「まあいいんじゃないの?これでとんでもない悲観主義だったらそれはそれでそっちのほうが嫌だけどね、私。さ、食べよう食べよう。揚げ餅、まだ温かいから」
言って、皇子はふところから包みを取り出し、それをほどいた。中身はまだほかほかと湯気を立てている。
「かぼちゃ、野沢菜、味噌、あんの四種類。それぞれ2つずつ買ったんだけど、まあ適当に食べてよ、スイもさ」
「いいの?ありがとう」
さっそく手をのばして頬張るマツリを追うように、スイも揚げ餅を手にとる。
「うわ、カグこれびっくりするくらい美味しいよ」
マツリが野沢菜の揚げ餅を一口食べてそう言った。
カグも手をのばす。ぱりりと揚げられた皮は弾力があって、中のあんはとろけそうに甘い。噛むほどにぎゅっと味がしみてくる。どこか昔なつかしい味だった。カグはゆっくりと笑みをうかべた。
「確かに、な。……我々に、龍のご加護があらんことを」
食べ終えた三人は、王都へ向けて出立した。
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