すぐに北宮からひきはがされ、芙紀乃は背中に鈍い衝撃を感じた。視界の端でアンドラスが魔界から消える。
路に引き倒され、上にのしかかった伊勢に護符をつきつけられているのだと理解するのにそう時間はかからなかった。燃えるような視線をしっかりと受け止めて、芙紀乃は笑う。
「伊勢班長。こんなことしてる場合じゃあ、ないですよ。慶が先に向かって晴明に説明してますけど、あの勢いのアンドラスを今の晴明が止められるか、確率は五分五分ってところでしょうね」
二人の視界の端で、無傷の北宮が立ち上がる。洋介はどうしたらいいかわからない様子で、いまだ暴れている葉月をおさえこんでいた。
「……なるほどな」
伊勢がため息をつき、芙紀乃の上からどく。さすが班長をやっているだけあって、頭の回転は速い。片眉をあげて、伊勢は首をふった。
「俺はまんまと騙されたってわけだ。敵をだますにはまず味方から、ってやつか」
きまり悪そうにちらりと笑みをひらめかせて、伊勢は芙紀乃に謝罪した。
「いいですから早く奴を追いましょう」
「ああ」
苦戦する洋介を助けるようにして、伊勢、北宮に続き芙紀乃も門をくぐった。
突然明るい場所に放り出されて、芙紀乃は激しくまたたいた。涙でにじむ視界に、慶の笑顔をとらえて、芙紀乃の心に希望がうかぶ。うまくやってくれたのか。
「おれもつい気づかなかったよ、交換条件にするなんて、基本中の基本なのに。どうかしてた」
そのセリフを聞いて、芙紀乃はやっと安心して微笑んだ。慶の後ろでは、どうやったのか知らないが、晴明がアンドラスを縛り上げた上で結界にかこっている。伊勢には五分五分なんて言ったが、あの安倍晴明ともあろうものが、支配空間において何者かに敗北するなどありえない。それが自然の理でなければ、の話であるが。
「おかえり」
ひょいっと片手をあげてきざったらしくそう挨拶した晴明の手の動きに合わせて、アンドラスが地面から3mほど浮いた。
振り向くと、晴明の式神の女の童が門を閉じようとしていて、その隙間からベリアルが手を降っているのが見えた。口の動きからして、バイバイ、というところか。悪戯っぽい笑みをうかべた悪魔はすぐにはざまから隔てられた。
はっと芙紀乃が葉月を見やると、彼女は暴れるのをやめて明るいところに目を慣らそうとしているようだった。
晴明が、アンドラスをそのままに、葉月に歩み寄る。
「遠野信の魂は身体へ帰った。奴を殺したいのはわかるが、それだけはよせ。殺さない程度に傷めつけるのなら、好きに」
うすら寒い笑顔の晴明を見上げ、葉月はゆっくりと視線をずらしてアンドラスを見た。
「部屋を貸してやろう」
晴明がひとつ手を叩く。気づくと、芙紀乃と慶、それに葉月以外の実行班員と晴明は屋敷の中にいて、ふすまでしきられた隣の部屋から恐ろしい悲鳴と悪態が聞こえていた。葉月は好き勝手しているらしい。晴明がふすまの方をみやり、そして芙紀乃と慶に向き直った。
「それで、使諸君。どういうことだ?」
おそらく何かを非難しているのだということを十分に含ませた一言だったが、逆に芙紀乃は問い返した。
「殿こそ、どういうこと?そんなに力があるなら、さっさと私達にアンドラスをひっぱりださせればよかったのに。陰陽寮で他に適うもの無しと言われたその頭脳で、まさかそれが思い浮かばなかったなんていう言い訳はしませんよね?」
「そうきたか」
晴明は笑って、悪びれずに言った。
「まあ、俺の知ったことじゃねえからな。いざとなったら使だけでもひっぱりもどしてやろうとは思ってたさ。俺の見込みに間違いは無かった、ってことでどうだ?」
最初に非難しようとしたのと同じ口から出たとは思えない言葉に、芙紀乃はため息をついた。
「…ベリアルといい勝負だ」
「まったくですね」
後ろで北宮と伊勢がそう感想をもらした。
頃合いを見て葉月をとめた晴明はその手でアンドラスを魔界へ放り投げ、そして実行班員達と使の二人に、帰るように促した。
「芙紀乃と慶はともかく、お前ら生身の人間は、そう長いこと魂を飛ばしてると帰った時に色々面倒だからな。つい身軽な状態に戻ろうとして、無意識に魂だけを動かそうとするから、身体がついていかねえ。リハビリがいるだろうよ」
平安貴族にもかかわらず現代語を自由に操る晴明の情報源は、全国にちらばる使達。
「それに、ここと現世じゃあ時間の流れが違う。時差ボケするなよ。…それと」
晴明は、実行班員達から視線を使にうつした。
「お前ら、もう少し頻繁にこっち来い。最近ものぐさな奴らばっかりで全然情報が来ねえんだよ、困ったことにな」
慶と芙紀乃は顔を見合わせた。
「努力はします」
「右に同じ」
ふん、と晴明は笑う。その笑みに見送られて、彼らは現世へ戻った。
心霊対策本部・はざま
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