幸いなことに、アンドラスの意識の先は自分に直接関わってきた、実行班員達にしか向いていないようだった。北宮の様子からすると、アンドラスを拘束することはできても、それ以上の交渉は無理らしい。
芙紀乃は、考えた。信の魂は、アンドラスがにぎっていて、魔界に引き寄せている。アンドラスを殺してしまえばその糸は切れるが、その糸は信の魂と身体を結ぶものでもある。それが切れるとこんどは冥界に飛んでいってしまう。一度身体との繋がりを絶たれた魂は、二度と現世には帰れないからだ。信を救うには、アンドラスに信を諦めさせること。だが、芙紀乃はどうしてもその方法を思い浮かべることは出来なかった。
慶もまた、同じことを考えていた。どうにかならないか、と視線を動かしたところで、白いものが目に入る。上のほうに存在しているその光は、彼らのために晴明が作った門だ。それを見て、自分たちには時間の猶予もないのだ、と慶は頭をかかえた。
芙紀乃が追った慶の視線の先。同じものを見て、しかし芙紀乃は違うことに思い至った。
「慶。殿ならどうにかできるかもしれない」
慶は、片眉を上げた。
「殿がどうこうできることじゃないって。殿はここに干渉できないのに」
「そう、殿はここに干渉できない。だったら、あいつをあっちに引っ張りだせばいいんじゃない?」
芙紀乃の声はかすかに希望を含んで明るかった。しかし慶はそれでも眉をひそめたままだ。
「それでどうするの?殿に何ができるっていうの」
「少なくとも私達よりはできるでしょ、殿なら。それに早くしないと門が閉じて私達はここに閉じ込められる。そうなるのと、せめてはざまにあいつをひっぱりだして帰り道だけでも確保するのと、どっちがいいと思う?」
選択の余地は無かった。しかし、アンドラスをはざまに移動させるだけの力を、使の二人は持ち合わせなかった。あくまで、移動させるだけの力は。
「自分からはざまに出て行かせるんだ、どうしたらいい」
慶が言い、芙紀乃が答える。
「餌を見せる。奴の気を引ければ、あとは宮さんの注意をそらすだけでいい。…奴の気を引くには?」
今度は芙紀乃の問いに慶が答える。
「奴は人の魂…信の魂を、美味そうだって言ってた。そうだ、死人の魂が一度はざまに訪れることを知らないわけじゃないだろう」
「そうか、晴明が今信にかかりきりなのも分かっているはずだ。その隙をついて、はざまの魂を食えたらと」
「うん。はざまに美味い魂がいると言えば」
「乗るはずだ」
彼らの計画はあまりにも不確実で、たとえ成功したとしても晴明に力が足りなければどうしようもない計画でもあった。けれど、彼らはそれが最良の行動だと信じた。芙紀乃が炎幕を張って、視線を引きつけている間に慶がそれを晴明に知らせる。そこまで決めて、彼らは一瞬アイコンタクトをとり、行動をおこした。
「おい、アンドラス」
芙紀乃が突然、大声で呼ばわった。一歩アンドラスに近づく。その足元から炎が広がり、路の前後を阻むような炎の壁を作った。アンドラスは喚くのをやめ、芙紀乃を見る。
「なんだ、オマエ」
「お前、人間の魂が食いたいんだろう?いいことを教えてやろう、今、はざまにはたくさんの魂がとどまっている。晴明が、信の魂にかかりきりだからだ」
醜い顔にうもれた悪魔の目が、ギラリと輝いた。実行班員達は、不審な目で芙紀乃を見ていて、慶がそこにいないことに気づかなかった。そして、話しながら芙紀乃は、一つ、今まで見えていなかったことに気付いた。それにアンドラスが乗れば、計画に変更が生じるが、慶と晴明がうまく対処してくれることを祈る。
「信をあきらめろ。代わりにはざまにいる魂をくれてやる。どうだ、乗るか?」
「何言ってんだお前!」
伊勢が叫ぶのと、アンドラスが頷くのは同時だった。
芙紀乃は伊勢の声など聞こえなかったかのように、アンドラスに頷き、北宮めがけて走った。雪女が気付いて反撃しようとしたが、芙紀乃の操る精霊は炎、敵わずに白い靄となり、北宮と同一化する。
「おいてめえ何やってんだ!」
伊勢の飛ばした護符を燃やし、北宮の足を刈って地面に引き倒す。結界がスパークして粉微塵になり、アンドラスが歓声をあげて、門へと疾走した。
心霊対策本部・魔界
戻る