7 | ナノ





その日の夕方、帰ってきた洋介、伊勢と本部長を合わせたメンバーで会議が開かれた。本来いるべきメンバーの一人欠けた会議。そう堅いものではなかったが、状況が状況なぶん重苦しい空間が広がった。
「警察に捜索願いは出したけれど、まだ連絡はないね。とりあえず明日、北宮さんと高庭さんで警察のほうに協力してもらって現場の様子や犯人の状態を確認してきてもらえるかな。何か手掛かりがあるかもしれないし、例の「アン」というのが何者なのか分かるかもしれない。それから、桐村さん」
「はい」
「情報室に手伝ってもらってこれまでの殺人事件の起きた範囲や距離、そこで何か心霊現象的な異変がなかったか、調べてもらえるかな」
「分かりました」
矢佐原本部長が的確な指示を出していくのを聞きつつ、芙紀乃は洋介の様子を観察していた。長身の若者はだいぶいらだっているようだ。…けれど、何に?
「芙紀乃。大丈夫?」
耳元で問われて芙紀乃は慶をふりかえる。何故そんなふうに聞くのか分からず怪訝な表情をうかべると、慶は苦笑した。
「顔色悪いよ」
自覚はないけど、と伝えると慶はわずかに眉をよせた。
「そう。ならいいけど、気をつけて」
普段からかなり勘の良い慶にそう言われて、芙紀乃も不安になってきた。何に対しての不安なのかは分からないが、茫洋としたそれを不愉快に思いながら彼女は頷く。
しばらくして会議は解散、部屋に戻った芙紀乃はかすかな頭痛に眉をひそめた。やはり慶の見立て通りに体調は良くなかったらしい。
寝れば治るだろうが、覚えのある痛みに否応なく記憶が呼び出される。嫌な、記憶だ。
一つ深呼吸をして芙紀乃は気持ちを切り替えた。シャワーを浴びてさっさと寝よう。明日もまたたくさんのやることがある。


夢見は悪かった。次から次へと映像が流れていくような、混沌とした夢。主張する赤い色、炎と血にまみれた記憶が何回も再生されて、それから唐突に真っ暗な水中に閉じ込められる。息が出来ない。
必死で水をかいて水面に顔を出した、と思った瞬間、耳元でやけにはっきりとした声が聞こえた。おねえちゃん、まってよおねえちゃん、…


・・・


翌日、一件は急展開を遂げた。
まず、北宮と洋介の警察での情報収集により、これまでの一連の事件の共通点が分かった。ちなみにその権限はさすが国家機関とでも言うべきか、矢佐原が直接政府に申し出てもぎ取って来たらしい。それはともかく共通点の一つ目は犯行理由が明確な“恨み”であること、それから犯人が一様に、共犯者として女の名前を挙げていること、そしてその女が実在しないこと。また、北宮は現場の写真などから強い悪意を持った“何か”の気配を感じてきた。つまり、関わっている魔族(天部である可能性は限りなく低いので)は女性の姿をして、犯人の心に潜んだ悪意を巧みに引きずり出し、殺人に及ばせているということだ。
その報告を持ちかえった二人が詰所で結果をまとめているところに、信の体が見つかったという報告が情報室からなされた。どうやら情報室特有のネットワークで手に入れた情報らしい。待機していた伊勢が誰よりも早く確認のために現場に急行する。
ところがそこで思わぬ事態が起こる。
伊勢との連絡が途絶えたのだ。テレパシーブレスには全く変化がないが、携帯にはつながらない。なんてことだ、と頭を抱える暇もなく矢佐原から指示が飛ぶ。北宮と洋介が追ってその場所に行くことになった。早朝から情報収集に出かけていた使の二人もぎりぎりで戻ったので加わる。葉月だけは情報室に残ることになった。
そして、全てが明らかになった。
「アンドラスだ…!待ち構えていやがって、不意をつかれた。面目無い」
意識の無い信の体にかぶさるように倒れていた伊勢の言葉だ。現場に着いた彼があわてて信に駆け寄ったところで背後から襲われたらしい。見た目は幼い女の子だったらが、眼窩が黒くくぼみ落ちて恐ろしい笑みを浮かべていた、ということだ。アンドラスというその魔族が何を考えているのかは分からないが、四人が駆けつけた時にはかすかな邪気だけを残して立ち去っていた。伊勢が信のようにやられてしまわなかったのは、彼が守護に長けた呪符使いだったからだろう。
通信でつないだ葉月は声だけでも怒り狂っているのが手に取るように分かって、どうやら矢佐原とその部下にかろうじてとりおさえられているらしかった。とにかく早く二人を回収して戻れ、という矢佐原の指示に従って六人は車に乗り込んだ。
「解けたな、これで全て」
ワゴンの一番後ろで芙紀乃に軽い手当を受けながら伊勢が呟いた。芙紀乃が黙って処置を続けていると、運転していた洋介が何かをこらえるような低い声で同意した。そうか、と慶が言う。
「アンドラスって言ったら徹底的に不和やケンカをあおるのが大好きな、気に入った相手にはその恨んでいる相手を殺す方法を教えると言われてる悪魔だね。何が楽しくて人間界に出てきたのかは分からないけど、これなら納得だ。お気に入りのお楽しみを邪魔しそうな人間…信を消さなきゃ、続けられないとでも思ったのかな」
浅はかなことだ、と北宮が呟いた。
「とにかく焦ったアンドラスはシノブに手を出しちまった。そんで、それが自らの破滅を招いた、ってことだ」
洋介がそうしめくくる。信に手を出そうが出すまいが、彼に視られてしまった時点で…いや、あの銀行強盗に彼らが居合わせてしまった時点で、アンドラスの命運はすでに尽きていたのだ。


本部に戻ると、矢佐原と鬼の形相の葉月が待ち構えていた。信の体は待機していた救急車にすぐさま引き渡され、そのまま病院に運ばれた。救急隊員と、矢佐原含むメンバーは面識があるようで、後で聞いた話によるとその病院はほぼ心霊対策本部御用達のようになっているらしい。事情の呑み込めている対応はそういうことだ。伊勢は多少の怪我はあるもののさして支障はないためそのままだ。
そして、詰所に戻る時間もおしくそのままエントランスホールで、矢佐原本部長は命令を下した。
「心霊対策本部、対策実行班全班員に命ずる。遠野班員奪還のため、霊界へ向かえ」
はっ、と全員が短く応じたのを確認して本部長は厳しい表情のままで言った。
「ただし、全員が無事に戻ること。命を第一にしなさい。トランスの間の安全は私が責任をもって確保するから」
じゃあ、とエレベーターに向かった矢佐原を見送る暇もおしく、伊勢は階段の横に向かう。使の二人が怪訝な表情を浮かべるのに気づいた北宮が、まあ見ててと呟いた。
完全に玄関口から死角になる階段の影、床にしか見えない部分。ところが伊勢がある一点を押すと、音もなく床の一部が少し沈み、そのまま横にスライドした。現れたのは真っ暗な階段。ためらいもなく次々と入って行く班員に連なって、北宮に背を押された二人と北宮自身がそこを降りると、また音もなく床が閉まって、暗闇になった瞬間にぱっと明りがついた。
「実はこのビル地下4階建なんだ。訓練場とか色々ある。俺達が今から行くのは防護室。そこで俺達人間はトランス入って幽体離脱しますから」
北宮の淡々とした説明を聞いて慶と芙紀乃はなるほど、と納得した。トランス状態の、魂の抜けた体は無防備故に下位の霊体にすら対抗できない。防護、とは多分そういう意味での防護なのだろう。
たどり着いた部屋は、正方形で、中心に薄く五芒星がえがかれていた。
「じゃあ、あなたたちが幽体離脱したら私たちが道を開けばいい、ってこと?」
芙紀乃が言うと、伊勢が薄く笑った。
「話が早くて助かる」
「おっけー、じゃあ待ってる」
二人が五芒星から離れる。残りのメンバーはその中に入って、胡坐をかいた。伊勢が複雑な術式を開始するのを黙って見守る。準備完了。
伊勢が何かを叫んだ瞬間、五芒星が煌めいて、そしてそれから面白い光景。胡坐をかいた各々の体をすりぬけて各々が立ち上がる。多少輪郭のぼけている彼らは、彼ら自身の体を複雑な表情で見て、それから芙紀乃と慶に目をやった。
芙紀乃が頷いて、掌で空気をなぞる。二人には見慣れた光の線が浮き、それに手を突っ込んで芙紀乃は空気を真っ二つに裂いた。
「どうぞ。私たちが後から行くから」
「すまん」
実行班員が全員その裂け目をくぐったのに続き、芙紀乃、慶の順番ではざまに降り立つ、

背後で音もなく空気が閉ざされた。


心霊対策本部・急転





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