6 | ナノ





「信が?」
銀行から帰ってきた洋介、伊勢の説明を聞いて部屋は騒然となった。信とはあれから携帯も繋がらず、一切連絡がとれていない。
テレビはつけっぱなしだが音は消されていて、会話の妨害にはならない。キャスターが口パクで午後のニュースを伝えている。
「あいつはいっつもいっつも一人だけ厄介事に巻き込まれて…ラファエルの祝福ってやつは色々面倒事引き寄せすぎじゃない」
葉月の呟きに、使の二人が反応する。
「ラファエルってあの四大天使の一人のこと?祝福って?」
「ああ、ほら…ラファエルって治癒の天使って言われてるじゃない。信は昔心霊関係でひどい怪我したときにその天使の祝福を受けて奇跡的に生き延びたの。それ以来通常よりもよく“視える”体質になっちゃって、色々とそっち関係の事件に巻き込まれ始めたってわけ」
「ああ、なるほど」
芙紀乃と慶が納得していると、ソファーで冷静に話を聞いていた北宮が口をはさむ。
「“異界”があった、ってことは今回の遠野の失踪には悪魔とか妖怪とか…とにかく魔族が関係してるってこと」
「ああ、もしかしたら神々とか天使かもしれないが、前後関係を考えるとやっぱり天部よりは魔族の可能性が高いな」
洋介の返答を聞いて北宮はまた黙りこむ。口数が少なく普段から無表情な北宮は、考え込むとさらに素晴らしい能面っぷりを発揮した。
重たい沈黙をリーダーが破る。
「誰のテレパシーブレスも切られてないんだな?」
伊勢の問いかけに室内にいた全員が頷いた。
「遠野が連絡も取れないまずい状態になって、それでも意識があるのなら絶対にブレスのどれか一本は切るはずだ。俺達に緊急事態だと伝えるために、それくらいは頭の回る奴だろう。それが切られてないということは…抵抗できないうちに気絶させられたか、魂が抜かれてるのかのどっちかの可能性が高いな。いや、もしも魂が抜かれて自由になってるんだったら…あいつなら魂だけでもここまで戻ってきて助けを求めるか。まあどっちにしろ一歩の進展にもならないが」
再び沈黙が落ちるが、伊勢はそれもまたすぐに破った。
「とりあえず考えていても埒があかねえ。俺は本部長に報告して判断をあおいでくる。テレパシーブレスは切れてないから死んではいないだろうが…少なくとも肉体は、な」
不吉な事を言って彼は出て行った。
もしも肉体だけが生きている状態なのだとしたら、と残された彼らは考える。魂はこの世をさまよっているか、それともこの世とあの世のはざまにいるかの二択だ。あの世に行ってしまったのなら肉体はほどなく死んでしまうし、魔界に連れ去られたのだとしてもしかり。だからその可能性はない。
だん、と鈍い音が部屋に響く。洋介が壁を殴ったのだ。
「くそ、俺はあの場に居たのに何もできなかった!」
何度もこぶしを壁に打ち付ける彼を、席をたった婚約者が止めた。
「やめな、壁壊れたら修理費自費になるよ」
理由はそっちでいいのか、と内心つっこみを入れながらも芙紀乃は、壁と洋介の間に割り込んで彼の拳を両手で受け止めた葉月の運動神経はなかなかのものだと感心していた。
ああ、そういえば彼らと信は幼馴染だっけ、とも思い出す。仲間としても、幼馴染としても、何もできなかった自分を責める気持ちは理解できる。
「落ち着け。おれたちが今すべきは、どうしようもないことを振り返って自分を責めることでも、壁を殴ることでもなくて、どうやって遠野を探し出すか考えることだ」
北宮が目を瞑ったまま静かに言った。その無感動な声は逆に、感情を高ぶらせていた洋介を落ち着かせた。
「ああ、ごめん」
謝罪は誰に当てられているのか曖昧だったが、葉月は頷き、北宮は小さく「別に」と答えた。
洋介が北宮の隣に腰掛ける。元から着席していた使の二人と、椅子に戻ってきた葉月、会わせて五人は顔を見合わせる。
「まずはやっぱり警察じゃないの。ここは特殊な職業だからついつい忘れがちかもしれないけど、信はちゃんと戸籍のある人間でしょ、だったらやっぱり警察には連絡すべきなんじゃない」
芙紀乃が言った。彼女自身はとっくに死んだことになっているので戸籍はないが、人間ならそういうハンデはない。
「捜索願い、か」
慶が言うと、北宮が頷く。
「そう。和之利が戻ってきたら同じことを言うと思う。それと、おれも一応この中では一番視えやすい体質だから、遠野の魂が戻ってきていないか探してみる。情報室にも応援頼んで、諜報班員に連絡回してもらう」
情報室について、二人の使に葉月がさらりと説明を入れる。全国にちらばる諜報班員達の司令塔を務めるばかりでなく、膨大な量の情報の散らばるネット上からも、また民間からも、心霊現象に関する情報をすべて集めて管理しているのが情報室だ。
「それがいいかもな。じゃあ魂の方は宮さんに任せて、俺達凡人は肉体探しに専念しますよっと」
洋介がふう、と息を吐いた。心霊対策本部の実行班員にもやはり、視えやすい人とそうでない人がいるらしい。全員ある程度のものは視えるらしいが、より高位な魔族や天部は、人間に認識されないように姿を隠していることが多く、そういったのもはより敏感な目を持つ者にしか視えないようだ。信はその中でも特別に視えやすい、ということだろう。
でも、と葉月が呟く。
「やっぱり一回はざまにも行った方がいいんじゃないかな。トランスの負荷はかかるけど、行かないよりはマシ」
「それならおれたち行くよ?使だからあっちとこっち自由に出入りできるし」
「トランスの負荷がどれだけのものかは知らないけど…あんまりよろしいものじゃなさそうだしね」
それを聞いた使の二人が立候補する。実を言うと、はざまについての事情なら彼らほどの通はいなかったし、実際彼らにははざまで信の魂を探すのなら案があった。
ちょうどきりよく伊勢が戻ってくる。
「一応警察には連絡した。本部長は、俺達の二人以上が常にここに残るという条件付きでなら、信の探索に出向いてもいいと。緊急に仕事が入った時に動けるようにな」
北宮が、伊勢を除いた五人で話し合った結果を彼に報告し、伊勢がうなずいた。
「分かりました。はざまに行くなら一応本部長に許可をとってくれ。…今日のうちにでも一回探索に出るが、行きたい者は挙手」
全員が手をあげる。伊勢がやれやれと溜息をついた。
「…分かった。とりあえず今日は俺と高庭で、遠野を見失った地点周辺を見てみる。桐村と若様はここに残ってください」
解散した彼らは各々自分のするべきことをする。洋介と伊勢は再び出かける準備をし、芙紀乃と慶は本部長のもとへ。葉月と北宮はいつでも連絡をとれるようにしつつ、部屋に残った。
矢佐原本部長は軽く説明をうけて、使の彼らがはざまに行くことを許可した。君達がいてくれて助かった、という彼曰く、人間がはざまに行くには強制的に魂を抜いてトランス状態にしなければならないため、その時の肉体にかかる負荷は相当なもので、死ぬことはないが魂が体に戻ってもしばらくはリハビリに専念しなくてはならないらしい。


「さて、久しぶりに殿に挨拶しに行くか」
「いや、この前荷物取りに行った時に会ったって。しかもそれたったの四日前!」
「いいじゃん固いこと言わないの」
14階、慶の部屋。多分伊勢と洋介はもう出発しているだろう。
芙紀乃と慶はお互い顔を見合わせ、暗黙の了解で芙紀乃が頷く。彼女の手が空気をなぞるように縦に動く、その軌跡が薄く光る。かすかな光の線のなかに指をさし込み、彼女はそのまま文字通り空気を裂いた。すんなりと、音もなく出来たその裂け目は人ひとりが通れる大きさ。ぼんやりと灰色がかった“どこか”の風景が見える。
芙紀乃と慶はその中にためらいなく足を踏み入れる。彼らの体は特別製で、魂を離脱させるという工程無しであちらに行ける。
二人がその裂け目に入ると、慶の部屋では再び音もなく空気が閉ざされた。



空気の裂け目からはざまに入り込んだ二人は歩き出す。
殿、とは彼ら使の契約主の俗称だ。人間界で言う「あの世」のトップ、という事になっているが、実際は「この世」と「あの世」のはざまのトップである。その名は安部晴明。正真正銘、平安時代の陰陽師だ。
このはざまは、肉体から離れた魂がまず最初に行きつく場所だ。ここで晴明と会い、六文銭を受け取った者は正式に死んだことになり、三途の川を渡ってあの世へ向かいう。六文銭を渡されなかった者は再び肉体へ返る。つまり、生か死かの判断をくだしているのが晴明ということになる。
ぼんやりと薄明るい。光源は未知だが、少なくとも太陽のようなものはない。彼らが歩いているのは石畳の小径だ。霧がかった光景はすかして見ると広大な日本庭園。白砂、緑、池。小さな東屋などもみえる。
暑くも寒くもない。
すべてがフィルターを通しているかのようにぼんやりと霞んでいる。昼でも夜でもない。
「おかしい」
慶の呟きに芙紀乃が頷く。
「やばい感じだね」
殿こと晴明はこの空間の支配者だ。
ここが広大な日本庭園なのは彼の趣味と言ってもいいだろう。そして、彼は気分によってここの時刻を操作している。どんなに機嫌が悪くても、朝、昼、夕、夜のいずれかにはなっていて、芙紀乃の記憶によれば彼がここの管理を放り出したことなど一度もなかったはずだ。
それに、いつもなら晴明は彼らの侵入に気付いて自ら迎えに現れるはずなのだ。迎えに、と言っても道の先に屋敷を出現させるだけだが、たとえ本人が魂の選定で忙しかったとしても部屋だけは最低よこしてくる。小径の先に屋敷が現れないのは初めてだ。
「信…関係かな」
「さあ…でもこのタイミングは色々とまずいよね。殿がここの管理放り出して何してるのかは分からないけど、…ここを離れてるわけはないから…探す?」
「どうやって?」
聞かれた芙紀乃は考え込む。彼らは当初、晴明に話を聞けばすぐに信の所在が分かるとふんでいたのだ。その肝心の晴明までもが行方不明とは。
「この空間って無限に広がってるんだよな。一回戻った方がいいんじゃないかな、むやみに動いても日本庭園の中をさまようだけで殿に会える確率は低いと思う」
慶がそう言って芙紀乃の顔をうかがう。
彼女はしばらく沈黙していたが、やがて慶と同じ結論にたどりついたようだ。
「そうしようか」
帰りの手順は行きと同じだった。ただ、若干動揺していたためか帰還地点がぶれ、思いっきり吹き抜けの中に降りてしまったのが誤算だった。
二人はあわてて重力を無効にして、14階の高さからの落下をかろうじて免れた。


心霊対策本部・午後





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