背中の温度(細道)


芭蕉庵の前を子供たちが楽しげに笑いながら通り過ぎていく。客間の畳でくつろぎながら、曽良はふと幼い頃を思い出していた。

生みの親も育ての親も亡くし、途方に暮れていたあの頃。自分に住む場所を与えてくれたのが、お江戸のバナナこと松尾芭蕉だった。今でこそ近所に居を構えて一人で自由に暮らしているが、当時まだ幼かった自分は彼の住居であるこの芭蕉庵に住んでいた。
広い草庵に大人と子供のふたり暮らし。時折芭蕉を師と仰ぐ者がやってくる程度の、とても静かな生活だった。

あれはまだ10歳になる前の秋のことだろうか。もともと他人と接するのが苦手だった曽良には友達がいなかった。
その日も草庵の庭で一人、落ち葉を集めて遊んでいた。時折強い風が吹き、紅く染まった葉が青い空に舞い上がる。そのコントラストが美しくて、曽良は飽きずに繰り返していた。更に、芭蕉のお気に入りの人形マーフィー君を地面に寝かせ、その上に集めた葉をかぶせてみる。

「…埋葬」

さすがに可哀想になってマーフィー君を引っ張り出す。薄汚れた布が土でさらに汚れてしまった。

「(ばしょーさん泣いちゃうかな)」

まぁいっか。
曽良は服についた土だけを払った。

びゅう

一際強い風が吹き、集めた葉を舞い散らした。

「…あ」

マーフィー君が手から離れて葉と共に飛んでいく。そのまま草庵の外に行ってしまった。

「(どうしよう…)」

ばしょーさんが泣いちゃう。怒るかな。…嫌われちゃう?
気付いたときには芭蕉庵を飛び出していた。


どれくらい走っただろうか。気まぐれに吹く風は、マーフィー君を飛ばしては落とし、曽良が近付くと狙ったかのようにまた飛ばす。そうして夢中で追いかけている内に、いつの間にか見知らぬ土地にきていた。
マーフィー君は今まで以上に汚れて草の上に横たわっていた。ぐったりした体が更にぐったりして見える。曽良はマーフィー君を拾い上げて軽く汚れを払った。

「一緒に帰ろ」

そこで帰り道がわからないことに気付く。周囲を見渡すと大きな川に目が留まった。
そういえば、と思い出す。以前芭蕉と散歩をしたときに、川沿いの桜並木を見て俳句を催促した覚えがある。その時の句はあまりにも酷すぎて記憶から即排除してしまったが。

「(深川は…芭蕉庵は多分こっちだ)」

記憶を頼りに歩き出す。その幼い背中に、沈みかけた太陽が僅かな温度を与えていた。


道はこっちで合っているはずだ。
しかし一向に見慣れた場所にたどり着かない。歩き続けた足が疲労を訴え、足取りを重くする。太陽の沈んでしまった視界は暗くて、心細さにも拍車がかかる。

「ばしょーさん…」

とうとう曽良は足を止めた。目から溢れた水が頬を濡らす。手にしっかり握られたままのマーフィー君を顔に押し付けると、水分が吸い込まれていくのがわかった。

「う…ばしょ、さ…ひっく…」

しゃがみこんで泣き続ける曽良に走り寄る誰かの姿。

「あっ曽良君だ!探したよ…ってどうしたの!?」

焦ったように曽良の涙を拭う指先に、よく知る体温を感じて安堵した。

「こんな泥だらけで…」
「ひっく…ふえええん」

安心したら気持ちと一緒に涙腺も緩んだらしい。泣き止まない曽良に困った顔をしながらも、芭蕉は彼を背中に負ぶったのだった。


暗い道を歩きながら芭蕉が呟く。

「星が綺麗だねぇ」
「…怒らないんですか」

曽良の問いに芭蕉はふふ、と笑みをこぼした。

「そうだね。心配かけたんだから謝ってもらわなくちゃね」
「ごめんなさい」
「ふふ」
「(…ばしょーさんの背中あったかい)」

優しい温度に顔を埋めて、曽良は今日初めての笑みを浮かべた。

芭蕉庵は思ったよりも近かった。夜の闇は人の目に昼間と違った景色を見せるらしい。芭蕉の背中から見る夜の草庵はいつもより幾分か頼もしかった。



「(あれ、僕は…)」

目を開けると芭蕉庵の客間だった。どうやら考えごとをしながらいつの間にか眠っていたようだ。

「(芭蕉さん…)」

ふと師匠を探す。昔はこうして目を覚ます度に彼の姿を探していた気がする。
当人は縁側に座って茶を飲んでいた。その背中が妙に小さく見えて寂しさを感じる。

「芭蕉さん」
「うん、何…ホウジチャッ!」

何となく背中を蹴飛ばしてみた。奇妙な叫び声を上げて吹っ飛ぶ松尾芭蕉。

「何するの曽良君!」
「すみません、何故か蹴ってみたくなって」
「何故かって…」
「悪いのは僕の好奇心です」
「君は好奇心で師匠を蹴るの!?」

地面に転がったままギャアギャアと騒ぎ立てる師匠に近付いていく。急に大人しくなったのは、また蹴られると思ったからか。

「…芭蕉さん」
「へ?」

みっともなく倒れている師匠を起こし、その背中をぎゅっと抱きしめた。

「どうしたの、曽良君…」
「好奇心です」
「ふふ、甘えん坊な好奇心だね」
「…」
「あ痛たた!首絞めんといて!」

背中の温度はあの頃と変わらないまま。


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ギャグ日二次創作企画からだに提出させていただきました。
親子っぽい細道もいいなと思います。

雪様ありがとうございました!




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