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ふたりぼっちの恋A


「…で? お前は一体何なんだ?」
「えっと…ギア、です。…一応」
「…」


何となく。何となくそんな気はしていたのだが、それをさらりと肯定されて、男は本日幾度目とも知れない溜め息を漏らした。


「驚かないんですか?」
「…お前みたいなタイプのギアを見たのは初めてだが…ま、ギアだと判りゃあな。ここでは珍しくもねぇ」


その言葉に、ギアの碧い双眸がふるりと翳る。


「そう、ですか……では、やはりここも…」
「ギアプロジェクトか? やってるぜ。まあ、今時多少なりとも齧ってねぇ研究所の方が少ねぇだろうな」
「…そうですね…」


心なしか辛そうに口許を歪めるその様子を、改めてまじまじと見つめる。
泥と煤を落としたその素顔は、少なからず男に感嘆を与えるものだった。

さらりと流れる金糸の髪は柔らかく光を弾き、毛並みも毛艶も文句のつけ所がない。その整った鼻梁は勿論の事、深い湖水を思わせる瞳は高い知性を湛え、どこか品の良ささえ感じさせる。
だがサイズがサイズなだけに可愛らしさの方が勝るのは、ハンカチでぐるぐる巻きにされたその姿に要因があると言える。幾ら何でもこのサイズの服にまで手が回る筈もなく、取り敢えず今はこれで我慢してもらうしかない。


「ところで、お前はどこから来た? この辺りでギアを開発している研究所はここくらいな筈だが」


同じラボ内でこんなギアの生成に成功したなんて話は聞いた事がない。となれば、やはりどこかから迷い込んできたのだろうか。
どこぞの研究所から逃げ出してきたか、何らかの理由で廃棄されたか。細部は違えど、大方そんなところだろう。
否、廃棄された――という考えは即座に捨てた。

どんな理由があるにせよ、ギア一体造るのにどれだけの時間と労力と金が必要か、知らない訳ではない。それをそう簡単に手離すとは考え難い。
ではやはり逃亡の線が有力か。たが、それはそれで大問題だ。
もしこいつがこの研究所に居る事が知れれば、逃亡元の研究所から窃盗の濡れ衣を着せられ兼ねない。喩え実験体自らが逃げ出してきたのだ主張しても、そんな言い分が通るとも思えない。
バイオ分野での研究情報の窃盗は重罪だ。下手をすればこちらが取得している利権を根こそぎ持っていかれる可能性だってある。
いや十中八九、しかもそう遠くない未来、そうなるだろう。


「勘弁してくれ…」


面倒な事になるだろうとは思っていたが、予想以上に厄介な事態に、男は頭を抱えた。
そんな男の耳に慌てたような、そんな中でもこちらを気遣うような声が届いた。


「あ、あのっ」
「…あ?」
「だ、大丈夫です。ギアといっても、私は出来損ないですから」
「……出来損ないだろうが何だろうが、ギアである以上はお前の認証番号が国のデータベースに登録されてるだろ」


国の覇権争いが熾烈を極める中、どの国も競って生体兵器の開発に力を注いでいる。
一向に埋まらない国同士の溝、年々激化していく戦争に、緩やかに衰退していく国情勢を回避すべく、生体兵器の開発はかなり前から急務とされていたが、実際に実戦へと投入されたのはつい最近の事だ。

人に代わり、国の威信と命運を懸けて殺し合う兵器には、それぞれにGPS機能を搭載した生体反応を発信するチップが脳に埋め込まれ、その個体識別コードは国連傘下のデータベースへの登録が義務づけられている。
でなければ、どこの国のどのギアが勝ち星をあげたのか判らなくなるからだ。各国のギアが入り乱れる戦場でそれを怠れば、最悪、戦況は更に泥沼化する。
そのような事態を避ける為にも、各国のギアとその情報、そしてその製造に携わる人間には厳格な管理体制が敷かれ、厳重な監視下に置かれている。筈、なのだが。

ふるり、と大きな耳を揺らして横に振られた金色の頭を見、男は低く呻いた。


「…マジか」
「はい…」


曖昧に微笑むギアのその表情も複雑そうだ。
確かに、どれだけ規制したところでどこかしらに穴が出来るのはある程度仕方のない事だとも言えるが、どうにも由々しき事態だ。尤も、それが本当なら今回ばかりはそれに救われたと言えるが。


「元々、培養の途中で壊れてしまったものや、機能不全を起こしたギア細胞の寄せ集めを移植して造ったらしくて……欠損した部分に遊び半分でヒトゲノムの塩基配列情報を取り込ませたら、」
「ギア細胞がそれに擬態した、と」
「はい…」
「……あー…、何つーか…色々とブッ飛んでるな、お前を造った奴は」


まあ優秀である事には間違いないが、それにしても。


「絶対にオチカヅキにはなりたくない人種だな」


本来、ギアを生成する過程で使用する細胞核は素体一体に対して一つのみと決められている。それ以上はギア細胞が生体に及ぼす負荷に素体そのものが耐えられないからだ。
幾ら正常な細胞ではないからといっても、それを複数も生きた動物に移植するなど、まともな神経の持ち主だとは口が裂けても言えないだろう。
同じ道の研究者として、否だからこそ、そんな風に生命を弄ぶような行為は腹に据え兼ねるが、まあ今はそれはいい。


「端からまともなギアを造る気はなかったにしても、出来上がったのがお前みたいなのなら、登録申請はされた筈だろう」


ギアプロジェクトに携わる研究資材も、実験器具もタダじゃない。どんなに馬鹿げた研究一つにしても、その費用は莫迦にならない。
国の直轄する機関か、それとも私企業か。どちらにせよ、金にならない研究をそれ等が許容するとは思えない。
まして自我を持った自律型、しかもこの分では知能もかなり高そうだ。戦場ではそれこそ有能な指揮型ギアとして重宝される事だろう。


「そう、ですね。でも…」


男の言わんとするところを察したのか、そのギアは少しだけ困ったように微笑った。


「戦争は…キライです」
「…」


なるほど。確かにこれでは"兵器"として申請など出来ない。
自我はともかく、感情まで有しているともなれば"兵器"としてこれ以上の欠陥品はないだろう。使う側の人間の思い通りにならない道具ほど、役に立たないものはないのだから。だが喩え道楽で造られた実験体とはいえ、やはりそれに掛かった手間と時間と金を考えれば、造り手自らみすみす放り出す筈がないという考えは捨て切れない。

それにこの見目だ。見たところ爪は疎か牙さえも危険とは程遠い。兵器としては使えなくとも、愛玩用としてなら幾らでも買い手はつく。それこそ裏のルートにでも流せば、空いた研究費用の穴を埋めて余りある金が手に入るだろう。
それを考えれば、仮にこのギア自身が造り手の隙を衝いて脱走してきたのだとしても、やはり何らかの形で捜索はされているとみて間違いないだろうが、まさか無認可のギアの存在を大っぴらには出来ない筈だ。そんな事をすれば研究事業としての信用を地に落とす事になる。
となれば秘密裏に、或いはその筋の専門家に頼むしか手はないだろう。

ともあれ、今すぐどうこうという訳ではなさそうだ。目に見えないそれに、今から気を揉んでいても仕方ない。
肺の中の空気を全て吐き出すように大きく息を吐いて、男は頭を切り替える。


「そっちの事情は大体判った。それで? お前はこれからどうする気だ?」


見れば案の定、暗い陰を落としたその表情には、明らかな疲労の色が浮かんでいた。
無理もないか、と男は胸中で肩を竦めた。
そこら辺の犬や猫とは訳が違う。よしんばどこへ逃げたところで、こんな姿形では人目に触れる。どだい生体兵器であるギアが野生に紛れようという方が無理な話なのだ。


「…ま、どこに行こうが何をしようがお前の自由だ。好きにしろ」


それに驚いたのはギアの方だった。


「え? で、でも…」
「何だ?」
「だ、だって…私はギアですよ?」
「それがどうした」
「だったら…その、……捕まえる、とか。通報するとか」
「は、莫迦言え。俺がそこまでしてやる義理はねぇだろ」
「で、でもっ…所属不明のギアを野放しにするのはどうかと…!」


どの口がそれを言うのか、と突っ込みもそこそこに、男は心底面倒臭そうに鼻を鳴らした。


「知るか。そもそもお前を造ったのもお前を逃がしたのもどこかの馬鹿の仕業なら、お前の処遇もその馬鹿が責を負うべきだ。それに、」
「…?」
「お前がお前の意思で逃げ出してきたってんなら、お前のこれからはお前自身で責任を取れ」
「―――」


何とも投げやりな、無遠慮とも無責任とも取れる物言いに、ただ呆然と碧眼を見開いたギアは、やがてゆるゆると自分の足元を見下ろした。


「…そんな事を言われたのは、初めてです…」


自分が普通のネズミだった頃の記憶は既にない。
ある日目を醒ますと、目の前に白衣を着た一人の男が居た。それが最初の記憶。
その人が言った。君はギアだと。ただの玩具だ、と。