推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ File.1 風見裕也の証言(10.2)

 私には降谷という年下の上司がいる。非常に優秀で信頼できる人物であり、年齢など些末な問題だ。あまりの卓越ぶりはいっそ恐ろしいほどで、指示の意図を汲み取ることに苦戦することも少なくはない。しかし潜入捜査官であるあの人の右腕として、ただ従うのみである。そういうものだ。
 しかし何も自分だけがあの人の実態を知り、公安としての仕事のサポートを行っているわけではない。他にも、所謂エース級と呼ばれる公安の警察官のうち何人かは素性を把握している。
 降谷さんは一方で目の前の事件を放っておけない人物でもあり、フォローであったり偶然であったりと状況に差はあれど首を突っ込み解決させてしまう。有難い話なのだが、居ないはずの人物による解決のため報告書を思うと胃が痛い。
 そんな仕事人間の降谷さんではあるが、時々引っかかることもある。首都圏外の出張はこちらでの仕事が圧縮されるため、いつもなら顰め面になって仕事を捌く算段をつけている。しかし今回の大阪出張を前に、クリスマスが近く世の中は浮かれている中の徹夜続きだというのに、何故か上機嫌で書類を仕上げていた。一周してハイにでもなったのかと疑ったが、それにしては早い。まだ二徹目の筈だ。
 大阪……いや、関西か。何かあっただろうか。降谷さんの関連で浮かんだのは、少し前に監視を打ち切った女性だが、きっかけは降谷さんではなく斎藤だし、もう済んだ話だ。偶然居合わせた一般人で、明らかに潔白に見えるにも関わらず、存外期間が長かったので記憶に残っている。
単にこの後に何か予定があるのだろうか。それにしては急ぐ気配もない。

 浮かれる時期といえば、バレンタインもそうだ。遅めのインフルエンザが流行したことで欠員による徹夜続きの缶詰の修羅場で、降谷さんも例に漏れず書類の山に埋もれていた。降谷さんを筆頭に張り詰めた空気を脱し、朦朧としてきた意識を戻さなければ、と車に置きっぱなしの百貨店の催事場で入手した希少チョコレートの存在を思い出した。一昨日の昼、仕事の合間に購入してそのままだ。すぐさま向かったが、この状況下で長く席を外すわけにもいかない。
仕方なく紙袋を手にデスクに戻る途中、降谷さんに出会ってしまった。いつの間にあれを片付けたんだ。一方的に気まずい思いをしながら、指摘したものの特段気にする様子もない顔立ちの整った男と連れ立って歩く。
 仮眠前にデスクに寄るだけの降谷さんから離れ、自分のデスクでこっそりと溜息をつく。
「くそ、食べたい」
「すみません!」
意外な声が響いて思わずそこにいた全員が降谷さんをみると同時に、携帯栄養食を手にしていた別の部下が背筋を伸ばして顔を青ざめさせていた。違うぞ、と彼の背後で降谷さんが携帯を開いたまま言う。不意に有能な上司の恨めしい声が聞こえたのだ、無理もないだろうに。

 ああどうせ今晩も終わらないのだろうな、と短針がとうに真上を過ぎた時計を見やる。これからだ、と一欠片のチョコレートを口に含んだ時だった。火急に指示とサインが必要で、ほんの僅かな仮眠から呼び戻されたらしい──いや、寝入り端だったのかもしれない降谷さんが部屋に入ってきて、ばちりと目が合ってしまった。
「なんだ風見、そんなに余裕があるのか」
 確かにチョコレートを食べた。それだけで思いっきり睨まれるなんて本当にツイていない。あれは完全に人を殺す目をしていた。
 即座に紙の束でデスクに山が作られ、今度こそ降谷さんは仮眠に向かった。
後で部下がデスクにそっとコーヒーを持ってきてくれた。先輩は肩を叩いてお菓子を置いていった。

 組織関連での遠出だというのに、京都の信頼できる料亭を急遽ピックアップすることになった時も随分焦った。口の堅い所謂御用達の店というのは、時にその堅実さが漏れていることがある。内容は漏れずとも何かあったことは分かる、というのは珍しくもない。管轄外の地でいくつかとなると尚更厳しいところがある。

「僕だ。GPS発信機付きのストラップを今日中に手配しろ。詳細はメールを送った」
 返事をする前に通話は切れ、時刻を確認すれば日付が変わるまで幾許も無い。思わず二度見した。指定されたぬいぐるみストラップを入手し、埋め込めるサイズかつ充電の長持ちする適切なGPS発信機を選び、プレゼント用の包装を施さなければならない。一体誰に渡すのだろう。何故、ペンギン。添付された写真を見つめ、がっくりと項垂れた。
 ……この男が理不尽なのは今更か。

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