推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 16

 結局出勤と残業で一週間ほど体調不良は続き、気取られまいとその間に来た二度の降谷さんからの着信を折り返すことはもちろん出ることもなく、時間は真昼間から早朝まで時間はまちまちだが何故か毎日来るメールに返事をぽつぽつと返しただけだ。連絡が難しいとはなんだったのか。そんなんええからはよ休めや。
 実際仕事が捗らず残業時間がだらだらと延びて疲れて帰宅、というサイクルを繰り返していたのだから仕方がないのかもしれない。まるで心配されているみたいで、釈然としない。そんな中土曜になってやっとしっかり休め、夜にはやっと万全近くまで回復したところだ。
 ああでも、梓さんやコナンくんが体調崩せばまめに気遣う姿は余裕で想像できるわ。でもなんたって天使と「協力者」やからな。
 ぱらりと日記帳を捲り、情報を復習する。一番最後のページに書いた安室の女を量産した映画の主題歌の歌詞を眺めて手が止まる。この歌手はいる。でもこの曲は消えていた。当然と言えば当然だ、あの映画のために書き下ろした曲なんだから。降谷さんの名前からとったタイトルをそっと撫でる。この曲が存在しないと気づいた時に忘れないよう書き残した、この日記帳で唯一嘘もフェイクも何もないページだ。机にべたりとへばりつき、そのページを眺める。
「だーれも傷ーつかーず、だーれも傷ーつけ、なーいまま、君を守る、ことなどは、出来ないとわかーってる……」
 はああ、と溜息をが出る。
「かーんぜーんなる正しーさーなーどー、ゼロなんだよおお」
 不完全でもなんでも、降谷さんとその大切な人を傷つけないよう、降谷さんを守りたい。それが私の正義。
「……のはずなんやけどなあ」
 私はいくらでも傷ついていいから、なんて自己犠牲的に祈ったところで何も変わらない。そんなのただの諦めも同然だ。事件ならアンテナの張りようがあるものを、日付も分からない不運な事故を防ぐ方法が未だに浮かばない。警鐘を鳴らそうにも、知り合ってすらいない。傷つく傷つかない以前の問題やわ。
 どうすれば正義を執行できますか。スマホをチェックしても、掲示板や定期的に呟いているSNSへの芳しい返事はない。相変わらず検索しても引っかからない。私が、やらなきゃ。ただでさえ曖昧な記憶が時間が経つ毎に薄れ、本当に冬だったのかさえ怪しく思えてきてしまう。北海道で凍死云々だったのは覚えてるけど高木刑事、本当にコート着てたっけ。着てなくて数日もってた? 墓参りする降谷さんのニット帽とマフラーは単に髪色や顔を隠すためだったんじゃないか。なら冬じゃなくて三月上旬くらいの春先? これは自分の都合のいいように解釈してるのか真実なのかもう分からなくなっちゃったよ、 伊達さん。漫画の世界なんて夢物語、親しかろうが何だろうが、証拠もなく体験していない人が信じてくれるはずがない。物証なんかあるわけない以上、どんな情報を漏らしてもただ情報の出処を尋問されるだけ。関係性がじわじわ変わって動き方が変わるかと思えば全くそんなことは無く、最初から何一つ進んじゃいない。
 日記帳をぱたりと閉じて鍵をかけ、一番手近な本棚に戻した。



 十一月の後半は私が今まで有給消化の先陣を切ったため、今度は同期が有給を取る分のフォローに追われて今度こそ東都に行けず慌ただしく過ぎて、十二月が、冬が来てしまった。しかも十二月というのは忘年会シーズンであり、なかなか連休を確保できない。
「あーくっそ、テキトーに理由つけて休職すべきやった」
 今更悔いてもどうしようもない。十二月も一週間以上が経ち、怯えて新聞やネットニュースをチェックする日々だが今のところそれらしいものはない。
 悶々と考えていたら無性に甘いものが食べたくなった。明日は休みやし、と気分転換がてらスウェットの上にネイビーのチェスターコートを羽織って財布とスマホだけ手にして深夜のコンビニに向かう。
「さむ」
 いくら都心は暖かいとはいえ、マフラーを巻いてくるべきやった。コンビニなんですぐ、と面倒でそのまま出たが失敗だ。かといって深夜二時も過ぎてまたオートロックを解除してエレベーターで上がってというのもそれはそれで面倒。まあええわ、と早歩きでコンビニに向かう。
 車が一切通らないが律儀に信号を守る。寒い、早くコンビニ入りたい。寒いしか浮かばなくなったところで、スマホが着信を知らせる。そのまま出ながら青になった信号に踏み出した。渡ってすぐがもうコンビニだ。急げ急げ、凍えるって。
「もしもし?」
「僕だ」
「こんばんは」
 こんな夜更けの非通知なんて降谷さんだと思ってなかったら出ないわ。寒さで少し早口に返事する。
「やっぱり起きてた。休日前の夜更かしが好きだな」
「そ、ですね」
「──今どこにいる?」
「えと、もうコンビニ着くとこですけど」
 なるほど、ペンギンちゃん情報で起きてることを把握したのか。納得。動いた途端ってことは発信機とほぼ断定していいかな。……飲み会で連れ歩いた意味なかったやつやん。つら。まあまあペンギンちゃんイジられたんやけど。早歩きで駐車場を進む。
「家の近くのか?」
「そです、けど」
「一人で?」
「まあ」
「こんな時間に迂闊に出歩くな、危ないだろう。迎えに行くから中で待ってろ」
「はい?」
 まじかこの人またこっち来てんの? 風見さんを殺す気なの?



 住所を伝えた記憶はないので、初対面の際に見せた免許証の住所近くまで来ていたのかと思うと怖い。相手間違えたら普通にストーカー予備軍やん。コナンくんは規格外やからいいとしても梓さんにビビられても知らんよ?
 大まかな住所とコンビニ名を告げさせれらて通話を切り、入店する。気怠そうな大学生らしい店員に迎えられ、ゆっくり吟味して杏仁豆腐と抹茶プリン、それからコーヒーを購入して大人しく待機すること五分。駐車場に入ってきた車が見えて外に出る。えっはや、こわ。
 中に推しの姿を認めて未だ緊張する助手席に乗り込む。
「こんばんは」
 ネイビーのタートルニットにチノパンという服装は降谷零らしくもバーボンらしくもなくて、安室透が近く感じる。
「ああ──悠宇、危機感を持ってくれ。深夜徘徊かと思えばそんな薄着だし、どういうつもりなんだ。また風邪をひくつもりか?」
 ぐしゃりと頭を撫でられる。うっ、推しのボディータッチにより悠宇に千のダメージ!
「……すみません」と身を縮めて謝る。
「それで、なんでこんな時間なんだ?」
「……どうしてもスイーツが食べたくなりまして」
「我慢しろ」
「すいません……」
「もしくは作れ」
「ご最もです」
「それくらいできるだろう」
「はい、すみません!」
 次からはバレないようにペンギンちゃん置いていきます。
「本当にそう思ってるか?」
 実は心読んでたりしないか、と疑ってしまった。
「もちろんですよー」
「……」
「……」
「……」
「……すみません」
 推しのジト目に負けました。
「あまり心配かけさせるな」
 ギャップ狙いなの。打って変わって優しくなった眼差しに、嘘と分かっててもときめくんでやめていただいてもよろしいでしょうか。一周して真顔になった。
「送る」
「ありがとうございます」
「帰ってスイーツか。全く、いつ寝るんだ」
「紅茶とスイーツタイムですね。睡眠はまあ、お互い様じゃないですか」
「僕は仮眠をとっている。……紅茶か、いいな」
「──んんと、飲んで、行きます?」
 流れに従って誘ってみたものの、頭の中では今の部屋の状態はどうだったか必死に思い出している。
「ご迷惑でなければ」と慌てて付け加えた。
「まさか。お願いしようかな」
 予定を変えて一旦近くのコインパーキングに愛車を停め、黒いマフラーを巻かれて外に出る。うう、降谷さんの匂いがします。しんどい。当の本人はボディバッグとグレーのロングコートを後部座席から出して身につける。
「寒くないか?」
 尋ねながら自然に降谷さんが私の手をとる。そういうのはあむあずでくださいってば。服装的にもとても美味しくいただけますので。
「手、冷たい」
「末端冷え性なんですよねえ」
 きゅっと大きな手で握られ、心臓が跳ねた。

 私の部屋の前まで来て鍵を出し、一旦停止してずっと繋がれていた手を離す。
「四十秒待ってください」
「僕は気にしないが──悠宇が気にするんだよな。ゆっくりでいいぞ」
「大丈夫です!」
 笑われながらドアを最小限開けて体を滑り込ませて入り、真っ先に日記帳を箪笥の中に隠した。プリンと杏仁豆腐はテーブルに放って、降谷さん用に買ったコーヒーは袋に入れたまま冷蔵庫に入れる。洗濯物OK、散らばってるもの無し、変装グッズはクローゼットの奥、あとは知らん。長く外で待たせるわけにはいかない。
「お待たせしましたっ、汚い部屋ですがどうぞ!」
「三十八秒、有言実行か。お邪魔します」
 推しが自分の部屋にいるという現実が受け止められない。

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