推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 13

 僕の彼女が可愛い。恥ずかしがりながら、僕の与えるスイーツをまた一口食べた。おそるおそる食べるため、口角についた杏仁豆腐をぺろりと舐めとる。餌付けの快感を知ってしまって、ちょっと癖になりそうだ。
「私ばっかり食べてるんですけど」
 悠宇がむくれた三度目、仕方なく抹茶プリンを一口食べた。
「あ」
「ん?」
「か、いやなんでもないです」
 悠宇はふいと視線を逸らし、その後慌てて紅茶を飲んだ。か、か……間接キス? 今更?
「あ、しまった。寝る前なのにカフェインたっぷりやん。いや他のお茶とそんなに変わんないけど、でもデカフェにするべきやったかな……」
「変わらないのか?」
「昔はコーヒーより紅茶の方がカフェイン含有量が多いだなんで言われてましたけど、実際は逆ですね。抽出時間や茶葉の量の関係で、昔のやり方では通常飲むよりも濃く作られていたみたいで。なので、一杯あたりにするとコーヒーの約半分です。ちなみにコーヒーの倍以上含まれているのが玉露さんです」
「知らなかったな」
 玉露さんってなんだ。なんで特別扱いなんだ。
「それでも烏龍茶や煎茶の一・五倍くらいあるんですよね」
「さすが、詳しいな。ペットボトルの水にも理由があるのか?」
「ああ……本当は沸かしたての水をじゃなくて、くみたての水がいいんですよ」
「ああ、酸素をたっぷり含ませて、だったか」
「そうです。なのでめっちゃペットボトル振って……あれ、私普通に沸かしちゃったな」
「沸騰直前で止めるつもりだった?」
「……です」
 しゅんと落ち込んだ悠宇の頭を撫でてやる。一番美味しいの出そうと思ったのに、という心の声が聞こえた。
「あーん」
 ぱくり。抹茶プリンを差し出すと、今度はあっさりと食べた。時々僕も食べつつ、二つのカップが空になるまで繰り返す。
「元気出たか?」
「出ました」と言って、カップに手を伸ばす。
「で、一番好きな茶葉か、これ」
 冷めてきた紅茶をまた一口味わう。
「はい。好みが、あまり分からなかったので。コーヒーとか緑茶の方が飲まれるみたいですし。ダージリンにしようかとも少し思ったんですけど、今いいの切らしてたし、合わせるって言ってくださったし」
「いいやつ?」
「ファーストフラッシュ、春摘のダージリンですね。ちなみに今日のアッサムもファーストフラッシュですが、よく出回っているのはセカンドフラッシュですよ。セカンドフラッシュに比べてあっさりしているんです」
「なるほどな」
「ふふ、好きな物ですから、ちょっとは詳しいですよ」
 悠宇は嬉しそうに話す。
「何種類も取り揃えてるよな」
「節約してても、こればっかりは辞めらんないですねえ。茶葉もそうですし、いずれはティーセットも、とは思ってますし」
「砂時計もこだわり?」
「いえ、必ずしも三分でもないですし」
 葉によって抽出時間は変わる、言われてみればその通りだ。
「だからタイマーだったり腕時計だったり、手近にある時間が計れるものならなんでも。そもそも結構適当ですよ」
「腕時計? つけてたか?」
「前は好きでよくつけてたんですよ。お気に入りのやつが革のベルトで傷んできて、このところ頻度減ってますね。修理か新しいのか……って迷ってそのままって感じです」
「ふうん」
 いいことを聞いたな。誕生日は腕時計にしようか。付き合って数ヶ月で高価なものを贈って、重いと思われても複雑だし、悠宇なら律儀に相応のお返しをと焦るはずだ。僕が好きでやっていると理解させてからになりそうだ。
「好きな物を眺めながら好きな物が出来上がるのを待つ……いい時間ですけど、うーん、まあ、しばらく先ですね」
「待つ、か。悠宇は効率重視だと思ってたよ」
「そうですよ。でも効率を重視して、その先にある無駄を楽しみたいですね」
「そうか」
「コーヒーもいいですけど、ゆっくり飲むならやっぱり紅茶ですねえ」
 そう言って穏やかに微笑む。好奇心旺盛で色んなものに手を出しているから勘違いしそうになるが、悠宇は結構凝り性でもある。
「コーヒーは嫌いなんだと思っていたが」
「冷めるとおいしくなくなるじゃないですか。それが嫌でホットコーヒー頼む時はすぐ飲みきる時だけです」と渋い顔になった。
「冷めたコーヒーが酸っぱく感じるのは焙煎の鮮度が悪いからだ。温度で感じやすい味は違って、高温ではボディ・苦味を、低温ではアシディティ・酸味を強く感じる。新鮮な豆をきちんと使えば、劣化した酸味ではなくいい酸味を味わえるものだ」
「知らなかったです」
 今度はきょとんとして、うんうんと頷く。ころころと変わる表情が楽しい。
「今度淹れてやる」
「機会があればぜひ」
 言葉上は軽く流されてしまったが、機会は作るものだぞ。珍しくほんの少し期待した瞳が見え隠れして、このことを胸に刻んだ。
「おかわりいります?」
「もらう」
「はーい」
 ゴミを捨て、悠宇が紅茶のお代わりを準備する。先程と同様、集中しているのかこちらを振り返りはしない。これを好機と鞄に手を伸ばし、ケースを開いて目的の物を手早く取り出す。上機嫌にキッチンに向かい、砂時計をひっくり返す悠宇に静かに近寄り、白い首にゴールドに一粒のダイヤモンドというシンプルなネックレスをつけた。
「メリークリスマス。随分早くなってしまったが」
「え」
 驚く悠宇に囁いて、ぎゅっと後ろから抱き締める。
「もうすぐ忙しくなりそうだから、今のうちに渡しておきたくてな」
 ついでに頭にキスをすると、ゆっくりと僕の腕に手を伸ばして優しく掴んだ。
「ありがとう、ございます……」
 照れている。喜んでいる。それが嬉しくて、つい腕に力が入った。砂時計の砂が落ちきるまで悠宇との密着を噛み締めた。

 紅茶を淹れ終えた悠宇は僕の隣ではなく姿見の前に移動し、首元で光るものを確かめて目を輝かせた。好みをしっかり押さえられたらしく、内心ガッツポーズする。
「ありがとうございます!」
 華やかな笑顔でまたお礼を言って、ちょこんと僕の横に座った。
「あっ待って、私なんも用意してない」
 もう一度抱きしめようとしたところで、わたわたと手を動かし始めた悠宇に笑いがこぼれた。急に来て突然のプレゼントなんだし、こんな早くに用意されていたらそれこそ想定外だ。買ったのに渡せなかったら、そのままクローゼットにしまい込んでしまう悠宇は簡単に想像ができる。
「僕が好きでやってるだけだ。気にするな」
「そういうわけには。こんな、え、降谷さんは」
「零」
 聞き捨てならない発言に訂正を入れる。考えてもみれば、あの日以来、名前を呼ばれていない。ちょっと落ち込んだ。
「……零さんは欲しいものないんですか。こんな、貰えません」
「悠宇ー」
 眉尻を下げて戸惑う悠宇の名前を呼んで窘め、キスをする。ばか、見返りが欲しくて送ったわけじゃないぞ。ちゅ、ちゅ、と角度を変えてキスをする。肩に手を伸ばそうとした時、僕の携帯電話が震えた。
「……私ベランダ出ましょうか?」
「いや僕が出る」
「どうぞ」
 くそ、タイミングが悪い。

 海外にいるベルモットからの電話に時差を考えろと苦言を呈し、情報収集は引き受けて電話を切る。深呼吸して仕切りなおしだと部屋に戻ると、悠宇が心配そうにこちらを見上げた。
 仕事かと尋ねた悠宇を、大丈夫だと思いっきり抱き締める。
「返品は受け付けないからな」
「……私、もらってばっかりです」
「そんなことない」
 僕は君に救われてばかりだよ。
「そんなことはない」
 君の笑顔に、優しさに、ひたむきさに、助けられている。自分勝手なペースの僕に合わせて、文句一つなく寄り添ってくれる。それだけで充分過ぎるほどだ。
「欲しいものないんですか」
 不意に、推しに尽くしたいのだと彼女の一年ほど前の言葉がリフレインする。
「あの」
 この部屋に入ってなお、まだそれだけの執着の対象は見当もつかない。張り合うべき相手があまりに掴めなくて、当てが外れて少し肩を落とした。
「私があげられるもので、になっちゃいますけど」
 君のことをもっと知りたい。何かの折につけここに来れたら。悠宇に会えたら。
「ないですか……」
 落胆した様子の悠宇に、合鍵、と小さく呟いてしまった。
「ここの、合鍵が欲しい」
「はあ」
 気の抜けた返事で、これは引かれたなと悔いた。訂正しようとしたところで腕が優しく叩かれ、大人しく彼女を解放する。非難か説教かと居住まいを正そうとすると、身体を離した悠宇はそのまま立ち上がり、戸棚の鍵から合鍵を引っ張りだした。
「はい、どうぞ」
 ペン貸すね、くらいの気軽さで差し出された銀色のものを見て、悠宇の顔と見比べ、唖然とした。
「──いい、のか」
「えー、だって欲しいって言ったじゃないですか」
 おそるおそる差し出した手に落とされた塊は、妙に重たく感じる。それをじっと見つめていると、悠宇は呑気に紅茶を飲み始めた。この子はどんな神経をしているんだ。些かの混乱を蓄えたまま、鍵をしっかりと鞄にしまい込む。
 紅茶を一口飲んで一呼吸おき、やはり今の出来事は夢などではないと反芻した。
「ありがとう」
「一応言っておきますが、好きにしていただいて構いませんから」
 念押しされた内容にいっそ頭痛がしてくる。ちょろすぎる。いくらなんでも、軽すぎる。僕を信頼しすぎじゃないか。
「何度も言うが、君は本当に大丈夫か」
「誰彼構わずこうなわけではないですし」
「僕限定か」
「ですね」
 あっけらかんとした口調で頷き、屈託なく笑う。やっぱり君には敵わないなと思った。
「はは、ならお言葉に甘えて、好きにしようかな」



 ベッドでたっぷり可愛がり、寄り添い眠った彼女の髪にキスしてそろりと起き上がる。
 ぬいぐるみストラップに仕込んだGPSを充電ケーブルに繋いだり、嫌がられそうだが暗がりで軽く部屋を調べたり。白いガーベラの押し花を見た時は、これがあの時の物なら、実はあのころから好かれていたんじゃないかと期待した。
 悠宇がせっかく淹れてくれた紅茶の残りを飲みつつ、朝食くらい好きに・・・作っておこうか。冷蔵庫を開いたところで、真ん中に置かれたコンビニの袋が目ついた。さっき買った僕用と思われる、コーヒーだった。
「ほら、こうやって隠す……」
 シャワーを浴びて少しだけ微睡み、サンドイッチを作って食べてくれと書置きを残した。夢の中にいる彼女の額にそっとキスをして、コーヒーをもらって家を出た。

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